はてなキーワード: 主人公とは
20歳なんてこどもでしょ。
今放送しているガンダムはガンダムらしくないガンダムなんだそうな。
で、私の見てみたいガンダムを列挙してみる。
辺境の惑星に一人降り立ち地元料理に味わう食べる方でも、料理バトル・料理で難問解決の作る方でもかまわない。
元々戦争モノだろなんだけど。
きな臭さが増してる現状では逆に受けないかもね。
なんやら子供が書く『正しい感想』ではないとのことで教師が指導したって話しがちょっと前にあったけど、よく考えたらそもそもごんぎつねが子供に読ませるような話か?
ニューシネマかよ。
とらドラや俺ガイルのような青春もの、生徒会の一存やはがないのような日常系は、だいたいCだよな。
似たタイプでも、俺妹みたいに学校がほとんど出てこない作品もあるけど。
あとは最近「石鹸枠」といわれている、ファンタジーと学園ものハイブリッドタイプも、だいたいBかCじゃないかな。
Aでアニメ化されたのは、最初に挙げたSAOやダンまち、魔弾の王、六花の勇者、オーバーロード、GATEと、他にもやはりファンタジー系が多いな。
「リーングラードの学び舎より」や「グランクレスト戦記」あたりはどうかな。
大人と言っても若者なのは変わらないので四十すぎたおっさんの口にあうか分からないが。
あとはメディアワークス文庫などの青年向けラノベに行くか。
なぜ物語の少年少女が「学園」に呪縛されるようになったのか - Togetterまとめ
このまとめの最初のあたりで芦辺拓氏が例に挙げている作品の刊行年は以下のとおり。
西條八十の白ばと組
→『あらしの白ばと』1952年
高木彬光の古沢姉弟
まず、このくらいのスパンの話だということを理解しておいてほしい。
たかだか十年前と比較するくらいの感覚で「最近のラノベ作家は楽をしたがるから」などと言っていると論点がズレてしまう。
さて、そもそも「昔は学園ものは少なかったが今は学園ものばかり」というのはラノベだけの問題なのだろうか。
Wikipediaの「学園漫画」の項には以下のように書かれている。
少年少女を主人公とする作品に学校を場としたりその人間関係が中心になることが多いことは当然であり、漫画以前の小説の時代から学校ものは存在したし、学校を舞台とする漫画作品も昭和30年代から存在した。ただ昭和30年代には、放課後に家の手伝いをする者や中学で卒業して実社会に出るものがまだ多く、学「園」ものという呼び方にはある程度の生活階層の青春ものを意味するイメージもあった。
結果的に、雑誌の漫画において学園漫画という「分野」(市場分野?)が生じたと言われるのは、日本の高度経済成長が成果を安定させて生活の向上や学歴の向上が既定路線となった1960年代半ば(昭和40年前後)からである。
学園漫画で言えば『ハリスの旋風』が1965年、『夕やけ番長』が1967年、『ハレンチ学園』や『男一匹ガキ大将』が1968年である。
芦辺氏と同じ論法を使えば「戦前や終戦直後には学園ものの少年漫画は少なかったのに今は学園漫画ばかり」とも言えそうだ。
もとより、「学園もの」増加の原因を、一足飛びに現代のラノベに求めたところで、何が分かるものでもあるまい。
学園小説が一定の発展を見せたのは、少年雑誌よりも少女雑誌においてである。もっとも著名な作家としては『少女世界』の読者から作家デビューした吉屋信子があげられる。
1916年に連載が始まった吉屋信子の『花物語』は、当時ベストセラーとなった連作短編で、女学校を舞台とした話が多い。→エス
これは「漫画以前の小説の時代から学校ものは存在した」「学園ものという呼び方にはある程度の生活階層の青春ものを意味するイメージもあった」ということの実例と言える。
こうしてみると、むしろ「1960年代以前の少年向け娯楽作品において学校が舞台とならなかったのは何故か」というほうが問題なのではないかと思えてくる。
そしてそれは、Wikipediaのとおり経済力に理由を求めるほうが、現代の青少年の心性を大仰に言い立てるよりは筋がとおっているだろう。
(もちろん他の要因もあるだろう、議論するならその点についてすべきである)
最後に、筆者が最近読んだライトノベル50作品を「A. 学校が出てこない」「B. 学校は出てくるが事件が起こるのは学外である」「C. 学校が主な舞台である」で分類したところ、以下のような内訳となった。
つまり芦辺氏が言うような「全てが学校で起きる学園もののラノベ」は16/50=32%である。
言うまでもなく、このサンプル数は少なすぎるし、個人の嗜好による偏りなどもあるので参考程度にお願いしたいが、
最近のライトノベルの全てが「学内で完結している」ということはありえない、とは確実に言えるはずだ。
大ヒット作だけを見ても、SAOやダンまちは「A」であるし、禁書目録や魔法科高校は「B」に分類されるだろう。
横だけど、うは~って感じ。
「敵」 (筒井康隆)
http://www.pu-hiroshima.ac.jp/~takahasi/teki.htm
主人公は大学を退官した一人暮らしの男。彼は老醜をさらけ出すのを潔しとせず、蓄えが尽きたら自ら命を絶とうと決意している。この小説の前半部分には、老境をいかに生くべきか、自分なりの考えに従って生活を律っしながら生きる主人公の生活ぶりが細部にわたって事細かにリアリスティックに描かれる。
~
ところが後半部分になると、主人公が参加しているインターネット上のメーリングリストを通して正体不明の「敵」が北から攻めてくるという情報が流される。このあたりからこの小説はにわかにSF的・幻想的になってくるのだが、これをリアリ スティックに読めば主人公がボケ症状に陥ったと解釈することが出来る。
ゆるく、なので手厳しい追求は勘弁。
小室哲哉が音楽を手がける、とこっそり話題になったパンチラインですが、しょこたんがOPをやっていたりと話題性を生もうとして失敗した作品でもあります。
内容は至極まっとうで、タイムリープ、肉体入れ替え、世界線いじりと堅実です。
ただ、世界線の解釈は比較的漸進的で、『STEINS;GATE』と違って何が何でも元の世界線に戻そうとする、などという引力は働いていません。
むしろ積極的に世界を改変してやれ、という若さがこの作品の良さでもありますし、世界線というガジェットに対する一つの解だと思います。
後半のとあるシーンで幾原邦彦の『輪るピングドラム』も参考にした村上春樹『1Q84』の色を今作も打ち出していますが、
もしかすると村上からと言うよりパロディ的な意味が強い作品なので、ピンドラを直接意識して孫引きとして行った描写かも知れません。
過保護毒親系ヤンデレヒロイン、という新しいヒロイン像で挑むデスゲーム系サスペンス。
結構練り込まれたシナリオですが、悪いオムニバスによく見られるクリア型のシナリオで、よくあるボスに招集された勇者的な人達が戦いを繰り広げる、という形式です。
当然デスゲームなのでその場に呼ばれた人間は共闘するわけではなく殺し合います。それも次期デウス・エクス・マキナの座を賭けてです。
彼らは神となる力を手に入れるために騙しあいますが、最後は主人公とヒロインが信じるか信じないかというシンプルな心理戦に集約してゆきます。
そう考えると恋愛世界系デスゲーム、という変な作品でもあります。
・ハリウッドでよく見られる三幕構成ではなく起承転結の四幕構成で、アニメ作品としては少々中だるみを見せる箇所があります。
・デスゲーム系であるにも関わらず、新ルール登場などを頻繁にやらかして興をそぐこともしばしばです。
・ひぐらしが好きな人は割と回収できてるひぐらし的作品として楽しめるかも知れません。
・決して駄作ではありません、といいたいところですが、佳作と呼ぶにも少々雑なところがあります。
すでに消してしまった私のツイートをいくつか乗せておきましょう。
例の天空の城っぽい何かを抜け出しながら壮大っぽい久石譲のパクリ音楽02が流れる。
殆どアクションのない男女に恋愛感情発生。舞台が地下世界に移り、ムスカっぽい敵と対峙するする二人。
さすがにバルスは言わないようだが、ムスカもどきはセリフまでムスカ。
ムスカもどきが落ちて(!)いった後、再び久石ズム溢れる楽曲が壮大っぽく流れる。
腹筋がここで崩壊。
ネタ映画として最高におすすめです!
これが比較的マイナーだった理由は明白で、ルパン自体で引っ張るネームバリューが国内に存在しなくなりつつある、というものです。
内容もオーソドックスに走らざる得ない、という難しさも手伝っていますが、アダルトな原作志向のルパンを見たい人は待ち望んだ作品だと思います。
そんな僕みたいな人はどうぞ。シリーズファンじゃない人は何が面白いのか分からないでしょうが、そこはビジュアル面の凝り方に着目するなどしてみると面白いでしょう。
何故か全く話題に上りません。幾原作品の系譜を引き継ぎつつも、変化を効かせた新しい一歩とでも言うべき作品なのですが、物語の根底が晦渋過ぎるのでしょうか。
少女革命ウテナは解説サイトや解説本無しでは読み解けないほど真意が難解な作品でしたが、こちらは比較的分かりやすく描写されており、幾原初心者でもなんとか味わえる作りだと思います。
基本的に構造的な謎を投げかけるサスペンスの側面と、心理的な問いをフラグとする進行が遺伝子のように絡み合いながら話が展開されます。
実は深読みをしてゆくとベルリンの壁崩壊なども盛り込まれていたりしますが、普通に見ている分には誰がKGBである等は意識できないようになっています。
少年Aを再び題材化して追求せざる得なかった点は、この作品のテーマを考えるとやむを得ないところもあります。この辺りはピンドラでばら撒き、ユリ熊嵐で回収する、という心理構造が見えます。
とはいえ基本的に幾原邦彦ですから、何か一つの概念に対してこれが正解だなどと言うはずもなく、正解などないのだよ、という監督のほくそ笑みを最後まで残しています。
しょぉーっく! くまショック!!
どうなんでしょ、これ。作りはマイナーなはずなんですが、はてなでは受けてたし。ムムム。
僕は好きでした。神か仏かと思えるほど達観した一ノ瀬はじめと、全然達観していない上に激しい思い込みにより失敗も沢山やらかすつばさの二期。
ヒーロー不在ならば一体何を求めるのか、と原因追求した監督が体制にそれを求めるという、やっちゃいけない方向に舵を切った作品とも言えます。
大衆と大衆心理、それを取り巻く支配と共産思想、無政府主義者にテロリスト、フーリガンに日和見主義と、ある意味深みのないどこかの掲示板のような心理描写が続きます。
だけど何度も言います。こういう無駄に小難しい話は結構好きです。ヒーロー物じゃないからむしろ助かったとすらいえます。
カップヌードルの協賛で大友克洋のシナリオ、と叫ばれた今作でしたが、大友先生はいきなり降板してしまい、その御蔭でブーイングの嵐だった記憶があります。
今となってはレンタル店の隅でこっそりと埃を被るような作品ですが、実はロードムービー風で凄く空気感の良い作品です。
ラストが急展開でいきなり糞化していますが、そこは尺が足りなかったのでしょう。
そう思えるくらい中間点がいい。
通常物語の盛り上がりを持ってくる中盤において、広い荒野でヒッピーじみた人々との生活を細やかに描く、なんて変なことをやってしまえば通常は成功はしません。
しかしこの作品では盛りあげるべき中盤でそれをやって引き込むことに成功しています。
色々主人公たちの行動に着目して分析すると、自由ってなんだろう、というテーマを持っていることが理解できます。
そこには自分の自由、他人の自由、自分の自由によって阻害される他人、他人の自由によって諦める自由、戦って手にする自由など様々な自由の形が盛り込まれています。
私は萌えアニメは基本的に大好物なのだが、最近の奴はヒロインからアニメ口調のストレートなロリ娘を排除してみたり、主人公が聖人君子でラッキーエッチ以外は女子との触れ合いを全力で拒否するキャラクター作りをしたりして、『俺は萌えアニメの絵柄や口調が嫌いなんだけど、このアニメはキャラが普通なのに面白かったから最後まで楽しめてみれた。ありがとう。』などとアニオタ以外から出てこない発言を間抜けにもした挙句に一般人を気取るバカな私に対し、目をさませコノヤローと挑戦状をたたきつけるような萌えアニメの正道を名乗るにふさわしいつくりの作品だった。
主人公であるうーさーはぶっちゃけ人間の三大欲求ばかりを追いかける素直で屑な人間像であり、ヒロインのキャラクターは見た目や口調はほぼ幼児なのに、設定は女子校生(中学生か?すくなくともうーさーのセリフにはJCの単語がある)でなおかつ大人の言い分が理解できるという都合がよすぎる存在。
うーさーはヒロイン連からみて人間ではなくペットのウサギであり、ゲスな欲望からくる行動や妄想がすべて失敗に終わり痛い目を見るオチがついてるので、彼の存在も行為もまるっとひっくるめてすべてが笑い話として成立している。
世の中のすべての萌えアニメはかくあるべしというアンチテーゼを突きつけてくる骨太なこの作品からは、最近アニプレに円盤の売り上げの大半をもっていかれるスターチャイルドが背水の陣より発するメッセージがビシビシ伝わってくるのであった。
『いい歳こいて萌えアニメで語ってるお前なんかばーかWWWwwwWW』
と。
「3巻以内完結のおすすめマンガ」にブコメしてもよかったが、語りたかったので増田にする。
この増田で言いたいことを一行で書くとしたら、これが大傑作だったと思ったということだ。
四コママンガ形式だけど長編。台詞が写植ではなく手書きであることを嫌う人がamazonのレビューにいたから人を選ぶかもしれない。だけど読んで損はない。
舞台は女子高。とある一日、校舎の屋上に、偶然、様々な生徒が集まってくる。主人公格の漫才研究会のコンビ、ソフトボール部員、漫研、生徒会、保健委員、不良少女、ぼっちの引きこもり少女…
漫才研究会コンビを主人公格と書いたのは、彼女ら以外の登場人物のほぼ全員にも、背景となるドラマがあるからだ。
ふと彼女らが屋上から校庭や校舎を見回すと、恐るべき光景が! 街がゾンビの大群に襲われ、彼女らは孤立してしまったのだ…という設定だ。
初めのほうは軽やかなギャグが連発される。それが徐々に、残酷なスプラッタに変わる。登場人物たちが次々に、容赦なく殺されてゆく。
笑いが恐怖に変わるというと中島らもの傑作戯曲『こどもの一生』が思い出されるが、あれより救いはない。救いは全然ない。『まどマギに』似ているかもしれない。それも違うか。
マンガを読む価値が現実では体験できない感情をかき立てられることにあるとしたら、この作品は見事にそれに成功していると思った。それを言いたかったのだ。
「舞台っぽいな」と思ったら元は戯曲でそれをコミック化したものだそうだ。原作者は麻草郁という人で、やはりはてなーだった。idはscreammachine。
ネタバレになるから書けないが、あのラストを読んだ時、なんとなく作者は絶対に女性に違いないと思ったが、はてなブログやプロフィールの写真を見ると男性だった。
他にも…
・となりの801ちゃん+(3巻続刊)
“+”はプラスと読み、ヒロインがお母さんになったという意味だと思う。
先行の『となりの801ちゃん』(6巻完結)の巻末には京都御薗橋801商店街のゆるキャラ「801ちゃん」とのコラボページがついていたが、“+”ではそれがなくなっていた。
とか…
『はてな村奇譚』だけの小島アジコ先生じゃないのだ。本業で頑張ってる人がはてなで我々に構ってくれることに、たまにはちょっとぐらい感謝してもバチは当たるまい。
ラノベ原作アニメとしてはキャバルリスクの被りっぷりが話題になっているけども、鎌池和馬原作『ヘヴィーオブジェクト』の酷さも相当なものであると思う。
ヘヴィーオブジェクトのアニメを見た、まともな人間はこう思うはずである。
喋りすぎだ、と。
この点に関しては、同原作者による禁書目録の主人公、上条さんの長台詞=説教を参照して「鎌池だから仕方ない」という意見が少なからずあるようだ。
しかし俺は、上条さんの説教は「味」として楽しむことが出来るのに対して、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は単に冗長なものとしか思えない。
本稿は、上条さんの長い説教は「アリ」なのに、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は「ナシ」なのはなぜかということを考察するものである。
ちなみに俺は禁書目録は数年前に十数巻あたりまで読んで、ヘヴィーオブジェクトはアニメ3話まで観てから原作1巻の該当部分を読んだだけなので、思い出補正とかが作用している可能性は大いにある。
ヘヴィーオブジェクトアニメ3話までで最も問題になるのは、2話の「お姫様救難信号出してるのに長々喋りすぎ問題」と、3話の「敵基地に潜入してるのに大声で喋りすぎ問題」である。
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ヘイヴィア「だったらお前は、あのオブジェクトと戦えんのかよ! あの化物にたった一人で立ち向かって、お姫様を助けだすとかそんなのできたら最高だよ!! でも実際にどうにかできんのか! えぇ!? 人間なんか、レーダーに補足された瞬間に塵になっちまう。もう俺らに出来ることなんかねぇんだよ」
クウェンサー「あのお姫様は、そんな化物と戦ってくれてたんじゃないのか? 大の男がこれだけ集まっても震え上がるような、照準合わされただけでショック死しちまうような、そんな化物から俺達を守るために、たった一人で戦ってくれてたんだろうが!! 貸せ!! 貸せ!! そのライフル!!」
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この部分は原作だとこうだった。
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「だったら、テメェはあのオブジェクトと戦えんのかよ!?」
「綺麗事だったら誰でも言える!! あの馬鹿デカいオブジェクトにたった一人で立ち向かってお姫様を助け出すとか、そんなの出来たら最高だよ!! でも、実際問題どうにかできんのか!! あんなもん、レーダーで補足された瞬間に生身の体なんか塵も残さず吹き飛ばされちまうじゃねえか!!」
ボロボロになったヘイヴィアに両肩を掴まれ、クウェンサーは思った。
(……ちくしょう)
どうしようもない、恐怖だった。
(怖いに決まっている。誰がなんて言ったって、どれだけ希望的な観測を並べたところで、度胸なんか湧くかよ。オブジェクトなんて化物だ。あんなもん相手に真正面から立ち向かうなんて間違ってる。少しでも近くにいたくない。ヘイヴィアの言う通りだ。どんなに綺麗事を並べたところで、この気持ち悪さがそうそう簡単に消える訳ないだろ……)
だが、クウェンサーの足は退却するためには動かなかった。
「……あのお姫様は、そんな化け物と戦ってくれていたんじゃないのか?」
「ッ」
「大の男がこれだけ集まっても震え上がるような、ちょっと照準を合わせられただけでショック死してしまうような化物から!! 俺たちを守ってくれるために、たった一人でオブジェクトに乗って戦ってくれてたんだろうが!!」
そう。
たとえオブジェクトなんて馬鹿げた兵器に乗っていたって、怖いに決まっている。あんな化物と立ち向かうのに、恐怖を感じない訳がない。
あの少女は、出撃の直前にこう言っていた。
勝てるかどうかは分からない、と。
特に真剣な調子ではなかったから、深い意味などないのだと思っていた。だが違う。もしもあれが何気ない表面にまで噴出してしまうほどの、大きな不安を抱えていたせいだったとしたら。とにかく誰にでもいいから言葉を放って、少しでも不安を払拭したいだけだったとしたら。
クウェンサーは思う。
自分はここでどう動くべきだ。
「……貸せ」
怪訝な顔をするヘイヴィアにもう一度、
「貸せ!! そのライフル!!」
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長い。長すぎである。アニメが原作の台詞を助詞レベルまで削っていたということがわかる。
しかし、俺は原作を読む最中はアニメほどには「喋ってないでさっさと行動しろ」と感じなかった。
それは恐らくセリフに輪をかけて地の文と括弧書きの心内文が長いためである。
地の文と心内文に関しては、どれほど長くても読者は東京大学物語のごとく(その間0.1秒)などと都合よく解釈することができる。特にここで描かれるような緊迫した場面では尚更である。
そのプロセスを経て文字数に対する時間感覚が混乱した状態であれば、長台詞を発語するための時間も無視することができるような気がしてくるのである。
この小説マジックを用いたシーンをそのまま映像にすれば「何くっちゃべってんだ」と思われるのは当然であり、これは脚本と監督の落ち度である。
では、作者に落ち度はないのか。
そんなことはない。以下はアニメ3話で「敵基地に侵入しているのに大声で喋りすぎ」と言われた部分の原作における描写である。
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「タイムオーバーだぜヒーローッ!! 三〇秒でここから出ないと袋の鼠だ!!」
「一分待て!!」
「何をゴソゴソやってんだよ! 爆破できねえのは分かったろ!?」
「あと四十五秒だ!!」
多くの足音が近づいてくるのを、ヘイヴィアは耳にした。恐らくクウェンサーは、目の前で取り上げられそうな希望にすがろうとして、冷静な判断能力を失っている。もう殴りつけてでもここから脱出しようかと考えたその時、ようやくクウェンサーがヘイヴィアのところまで戻ってきた。
「行こう。まだ間に合うか!?」
「どっかの馬鹿が道草食ってたせいでスリリングなことになってるよ!! こっちだ!!」
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アニメだとここは全力で叫んでいる。だが、少なくとも声優は悪くない。語尾に「ッ!!」が付けられていたならばそれは叫び台詞であると考えるのは当然である。
ただ、この部分を読んだだけなら、ニコニコのコメントが言うように「※実際は小声で話しています」というフォローが辛うじて出来ないでもない気がする。それを掬い取れなかったアニメスタッフが悪いのだ、と。
しかし原作はそんな幻想もぶち壊してくれる。原作では、小声の台詞とそれ以外はきちんと区別して表記されているのである。
以下は原作では35ページ、アニメでは1話にあった、和服上官に呼びつけられた時の二人の会話の原作における記述である。
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「(……どうするんだよヘイヴィア! だからやめようって俺は言ったんだ!! これならレーションどころか三日間雪の塊だけ頬張ってた方がまだマシだったんじゃないか!!)」
「(……うるせぇな畜生!! くそ、ほんとに一八歳かこの女。今時の洗浄に生身の兵隊は必要ねえとは思ってたけどよ、あいつに限って言えば握り拳でオブジェクトと戦えるんじゃねえのか!?)」
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この台詞はアニメでもきちんと囁き声で演じられている。他にアニメ3話の敵基地で捕縛されたシーンでも「(……俺が飛び出したら伏せろ。そっちに除雪用のトラクターあるだろ)」などと書かれている。
要するに、原作に従えば主人公たちは敵基地で相手の足音が聞こえる位置にいても実際にお互い叫びあっていたのであり、アニメスタッフはそれを忠実に映像化しただけなのである。
では、ヘヴィーオブジェクトにおける長台詞は、上条さんの「説教」と比べて何がダメだったのか。
俺はその原因を「鎌池の長台詞癖と、主人公をペアで行動させることの食い合わせの悪さ」に求めたいと思う。
上条さんは基本的に一人で行動するので、その長台詞=説教の相手は、自分がまさに直面している相手≒敵(ステイル、御坂、アクセラレータ等)であった。
無論その場合も、「うるせえ話長えよ(グサ」となる可能性はあるのだが、その可能性はむしろ「殺される可能性と引き換えにでも相手を全力で説得しようとする上条さん馬鹿だけどカッケー!」という評価に繋がっている。
しかし主人公をペアで行動させると、その長台詞=説教が敵ではなく相棒に向かってしまうために「馬鹿だけどカッケー!」ではなく単に「こいつ馬鹿じゃね?」というシーンが出来上がってしまうのではなかろうか。
禁書目録と毛色を変えたかったのは分かるけど、主人公をペアで行動させたければ、鎌池の説教体質も変えなければならなかったのではないかと思う。
今までいっぱしのキモオタを気取っていた。けれども突然、ラノベやアニメの世界で主人公が変化している場面を見て虚しくなったんだよ。
世の中、彼女がいるとか金持ってるとか所帯持ちだとか、いろいろと幸せについて語られるけど、人生で一番楽しいのは毎日何かしら変化(イベント)が起こっている事なんだよな。
2chのニート連中が、世の中が辛いと言っていた理由がよくわかった。
俺も「どうせ俺が顔がよくないし〜 非リアだし〜」と言い訳して自分の殻の中に閉じこもっていたよ。でもな、人間たるもの変化を恐れる奴は何やってもダメなんだ。そうしないと成長もしな
男性漫画誌の作品はシナリオ重視なので、女性作家でも男性が読んで面白いものを描く事が出来るが
女性漫画誌の作品は女性主人公の心理描写重視なので、男性作家が描くのは難しい&男性が読んでもつまらん
って説なら聞いたなー
対象年齢層も狭くなる、男性誌なら本来小学生向けなジャンプを大人も多数読んで楽しんでたりするけど
小学生向けの少女漫画誌を大人女性は読まないのは、小学生女子の心理なんて描かれても大人の女性はつまらんから
手塚治虫とかが少女漫画描いてた時代はまだ女性漫画家が殆ど居なかった時代だしね
http://anond.hatelabo.jp/20151007120831
主人公がさくっと人を殺すようなったガンダムに期待する記事を書いたりと血に飢えた状態をキープするなどウォーミングアップは万全のようだ。恐ろしい恐ろしい。
とはいえ、青二才最近炎上ブロガーじゃなくなって普通にライター路線になっていってるから今更いじってもそんなに面白くはなさそう。
いくらアホの青二才でも3年も待てばおとなになるよってシロクマの考えは実証されたか。それとも血に飢えたシロクマはそれでも血をすすらねば気がすまないのか?注目だ。
おそらくいじられキャラとしての賞味期限はもうすぐ終わりだな。
あと2年もすればほんとにライター仕事もらえるようになってつまらない記事ばかり書く社畜となった青二才を見て嘆くシロクマが見れるかもしれない。
不思議なソメラちゃんが巷であいまいみー3期と呼ばれているのを見て、それは違うぞ、ということを伝えたくて筆を取った。
確かに後の代表作となるあいまいみーに通じる、理不尽さと倫理観の欠如からなる全てを冒涜するような作風はこの作品で既に確立されている。
一方で、あいまいみーが常人では理解しがたい狂気によって物語を展開するのに対して、ソメラにおいて物語を構成する要素は飢え、渇きという持たざるものの渇望、すなわち人間誰もが持つ本能である。お金が欲しい、食べ物が欲しいという欲望そのままに行動する主人公しかり、レギュラーになりたい、出番が欲しいというメタ的欲求に忠実な松嶋さんしかり、その行動の動機が理解できるという点が、あいまいみーとの最大の違いである。故に、あいまいみーでよく訓練された読者からすると、若干狂気が足りなく感じることもあるが、逆に「あいまいみーのノリには付いていけないが、ちょぼらうにょぽみの(罵倒)言語センスは好き」といった人には丁度よい案配かもしれない。
なお、狂気が足りないといってもそれはあくまであいまいみーと比較した場合の話であり、地面をディグダのように移動する雫さん、ウナギとベッドインする話で萌え4コマの「萌え」の部分を描いたつもりになっている作者など、SUN値を削るには充分な混沌が渦巻いているので、ちょぼらうにょぽみに初めて触れる、という方は用法用量を守って明るい部屋で適度な距離を取りながら接種することが望ましい。
結局何が言いたいのかというと不思議なソメラちゃんが面白くてもあいまいみー3期の代わりには成らないので早く3期をやってくれ!早く!
結婚したこともないのに、家庭板のような内容の漫画に共感してしまう。
過干渉でいびってくる姑、親戚のセクハラや質問攻め、守ってくれないどころか敵方に付く夫。「お前がちょっと我慢すれば丸く収まる」
大抵そういう漫画では、結婚する前や新婚の時期の恋人または配偶者との何気ないやりとりに主人公が違和感をおぼえる描写がある。
何気ない、些細なやりとりから疑問が沸いてきて、でもそれを口に出すことも憚られて飲み込んでしまう。
たぶん、その時点でそれを口に出したら「そんな難しく考えなくていいのに」「大げさ」「そんなに先のことわからないよ」「俺のことそんな風に思ってるの? ひどくない?」
そういう返しがきて、それ以上はやはり口を噤むほかない。自分でも考えすぎだと思う、思おうとする。そういうことが見えている。だから口に出せない。
一つ一つは小さなことで自分が努力か我慢をしさえすれば問題ない大したことではなかったはずで、その努力や我慢もそう呼ぶにも足らないほんのささやかなものだったはずなのに
いつのまにかそんな些細が山積みになってどうにもならなくなる。あの感じ。
幸せなカップルを描いた漫画であれば逆に、日常の些細なことで幸せを感じる描写がある。
どちらにせよ、些細なことが積み重なってできている。
些細なことを全く気にかけないようになれたら、もっと伸び伸びとたのしく大きく生きられるんだろうか。
貧すれば鈍するというけれど、貧すれば貧するほど、何故だか些細なことが気になって仕方なく、大きく見えてしまっているような気がする。
自分の辛さを語るとき大げさになってしまうのは辛いと言える資格が欲しいからだけでは多分ない。またそれを大げさだとも自分では思えない。
アフタヌーンの短期連載系だと「弾丸ティアドロップ」(稲見独楽)は好きだったな。全2巻。
古本屋の主人——は世を忍ぶ姿の殺し屋のお姉さんにほれちゃった高校生の男の子が、お姉さんを守るためにふたりで逃げ出す話。荒唐無稽な設定なんだけど一応非現実要素(魔法とか)は入ってなくて、主人公の頑張りでどんどん物語がドライブされるのが気持ちよかった。おそらく最初から2巻の予定で作られてて、密度が高くてテンポがいい。
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063107050
って絶版かよ! つらいなー。
あと申し訳ないがこの表紙あんまりセンスよくない。気になった人は試し読みまでしてみてほしい。
ついでに思い出したのでもうひとつ。
これはまたかよの部類かも知らんが「はるかリフレイン」(伊藤伸平)。全1巻。
高校生の主人公はるかは彼氏であり幼馴染みでもある啓太を交通事故で亡くしてしまう。ところが葬式の日に見かけた不思議な黒猫の力で、はるかは気がつくと事故当日の目覚めた時刻に戻っていた。ここから自分がうまく立ち回れば啓太は死なずにすむかもしれない、とはるかが延々と試行錯誤する話。いわゆるループものなのだけど展開そのものにある種の人生観がこもっていて、それがはるかにある変化をもたらしていく。最後のひとこまのモノローグがその変化と対応していて印象深い。ベネッセの「高1challenge」という雑誌に連載されていたらしい。
自分のベスト100選んで、「またかよ」って思われそうなタイトル抜いたらいいぐらいの数になったので書くよ。
※試し読みとかあるのはできるだけリンク貼ったよ。
・ぷらせぼくらぶ(1巻完結)
http://sol-comics.shogakukan.co.jp/solc_dtl?isbn=9784091886385
大橋博之のアシスタントをしてた奥田亜紀子のデビュー作。題材としては『桐島、部活やめるってよ』的なスクールカースト。
主人公であだ名が「毒まんじゅう」の岡ちゃんと、イケてる「向こう側」の人とのなんとも言い難い関りを、綺麗なトーンワークで描いている。
「自分で始まり自分で終わる岡ちゃんの恋は、クライマックス以外のバリエーションが無い」という掴みから引き込まれてしまう。
・ケンガイ(3巻完結)
http://sol-comics.shogakukan.co.jp/solc_dtl?isbn=9784091847904
レンタルビデオ屋を舞台にした、フラグの全く立たないラブストーリー(仮)。
主人公で普通のイケメン・伊賀君が惚れたのは、映画を観ること以外のことに興味を持てない、バイト内で「圏外女」と言われてしまうような白川さん。
自分も映画観て勉強したり努力するんだけど、一緒に映画観てても全然いい雰囲気になる気配はなく。
好きな人に映画のチケットあげたら「伊賀くんはあたしを買収して何がしたいの?」「SEXですか?」「します?」って死んだ目で言われるの、キツすぎる。
あと、この漫画読むと映画観たくなる。(自分は『エレファント・マン』を観た)
・たまりば(2巻完結)
http://maoh.dengeki.com/tamapon/
「溜まり場」である「多摩リバー」を舞台に、女子高生・美和とアラサー会社員・ハルオの恋を描いた作品。
女子高生の「青春」をいい年こいた人間が奪っていいものか、という問いかけ。
これをヘビーに味付けすると緑のルーペ『こいのことば』になるのかなあ。
・さきくさの咲く頃(1巻完結)
http://www.poco2.jp/comic/sakikusa/
『ぼくらのへんたい』でプチブレイクしたふみふみこの、奈良に暮らす幼馴染3人の不器用な関係を描いた作品。
ビターな恋愛。ふみふみこはセリフに無駄がなくて、感情をえぐり取るのが上手い。
https://viewer.yondemill.jp/?cid=1196&u0=3
『椿荘101号室』でハマったウラモトユウコの作品。高野文子っぽいタッチのいい線を描く。
本作は女性の身体のパーツに関するオムニバスで、個人的には『キミの脚』という話が好み。
フェティシズムを刺激される。↑の試し読み読んでほしいんだけど、服を脱ぐ描写にこだわりを感じる。
ほんとにいい線だ。
http://mag.kawade.co.jp/mama/pdf/%E3%83%9E%E3%83%9E%E4%BA%BA1-1x.pdf
自分が子育て経験ないもので、端から端まで目から鱗、というか自分の想像しようのない部分を埋めてくれた。
同作者の『母がしんどい』も秀作。
・誰も懲りない(1巻完結)
https://note.mu/nakamuraching/n/n5680094105e2
『羣青』の中村珍作品。一見「理想的」な家庭の裏で何が起こっていたか。
どこまでが実話なんだろう?となるほど、表現がリアルで肉薄してくる。
ほんと誰も懲りなくてどうしようもねえな、とタイトル通りの感想。
読んだら1日は活力奪われるほど重くて苦しい。
http://www.shodensha.co.jp/sayonaragirlfriend/
(こんなちゃんとした特設サイトあるぐらいには期待作だった)
今年初めに出たばっかりの新鋭の作品。山内マリコの『ここは退屈迎えに来て』が好きな人はぜひ読んでほしい。
いわゆるファスト風土の話。
自分が地方出身都会住まいなこともあって、作品全体を覆う閉塞感のようなものにすごくシンパシーを感じた。
・宇宙を駆けるよだか(2巻続刊)
http://www.s-manga.net/omf/omf_978-4-08-845351-4.html
美人で性格もいい主人公と、ブスで性格の悪い同級生の身体が入れ替わってしまう。
設定的には松浦だるま『累―かさね―』に近いかもしれないんだけど、これを少女漫画の文脈に落とし込んだのが尊い。
「主導権は常に外見が優れた人間にある」「あんたら美形はいいわよね キレイごと並べてればそれが正義になるんだから」
http://comic.pixiv.net/works/790
BL作品。自分はノーマルなのでいわゆるイチャラブ系のBLや百合は読まないのだが、これは凄くよかった。
http://blog.livedoor.jp/aki22two/archives/1802123.html
このブログを読んでみてほしい。ちなみに百合でいうと「私の世界を構成する塵のような何か。」が好きです。
ギャグマンガ家・地下沢中也のSF作品。全ての事象を予測できるオーバーテクノロジーのコンピューターが開発され、それが人類の滅亡を予測してしまったら?という話。
こう書くと平凡な印象を受けるかもしれないけど、ストーリーテリングが秀逸なのです。
いがらしみきおの『I』といい、ギャグマンガ家の描くSFって独特の雰囲気があって好き。ただ次の巻がいつ出るか未定で、もう4、5年生殺しを食らっている。
見ての通り息切れしてきたのでこのへんで終わりますが、↓のもおススメなので興味あったら読んでみてください。
故・青山景の作品。「よいこの黙示録」が未完なのが本当に惜しい。日本は貴重な才能を失ったと本気で思う。
・まちあわせ(1巻完結)
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063770209
・68m(1巻完結)
http://csbs.shogakukan.co.jp/book?book_group_id=9362
http://morning.moae.jp/lineup/451
ノワ―ル時代劇。道を踏み外す怖さ。
http://csvt.tank.jp/img/rtk/rtk1.html
・変身のニュース(1巻完結)
http://morning.moae.jp/lineup/376
つげ義春、華倫変の系譜に連なる宮崎夏次系のデビュー作。これが一番トガってる。
当時どのくらい有名だったのかわからないのだけど。
http://afternoon.moae.jp/lineup/187
とても切なくて、とても綺麗な話。
・男の操(1巻完結)
http://www.shogakukan.co.jp/books/09186865
妻を亡くした演歌歌手が歌い続けて、売れて、そして死ぬまで。ギャグなんだけど、最後は泣くしかない。
・名勝負数え唄(1巻完結)
http://sokuyomi.jp/product/meishoubuk_001/CO/1
・星のポン子と豆腐屋れい子(1巻完結)
http://www.moae.jp/comic/hoshinoponko
小原愼司とトニーたけざきの素晴らしいタッグ。1巻でよくまとまってるSFってだけで自分の中での評価が上がってしまう。
・透明なゆりかご(2巻続刊)
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063409574
仕方ないんだけど、なんかヴィレヴァンっぽいラインナップになっちゃった。
反応あってうれしい。
→訂正しました。偉そうに言ってて恥ずかしい。
・サブカル臭がキツい
→冒頭でも書いたように今回は「またかよ」系(明らかな名作であったり、こういう類の記事で頻繁に上がるもの)の作品を除いて書いたので、人によってはサブカルっぽく感じても仕方ないかもです。
『NARUTO』とか『HUNTER×HUNTER』のジャンプ系も100には入ってましたし、『ギャングキング』とかも。『プラネテス』、『惑星のさみだれ』も。
皆さんのおすすめも聞いてみたいです。『弾丸ティアドロップ』は未読でした。
寝て起きたらけっこう読まれてた。
ブコメで上がってる中だと、
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063806786
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063842906
『ネムルバカ』
『不死身ラヴァーズ』
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063949261
あたりは100に入ってました。
既にそこそこ有名かと思って外してました。線引きが雑でしたね。
http://anond.hatelabo.jp/20151018015453
というのがありましたけど、本当に不遇ですよね。もっと知られて然るべきだと自分も思います。
冒頭からしばらくごちゃごちゃ話してるけど固有名詞とかたくさん出てきてよくわからんくなる
そんでその独立運動を劣化リリーナみたいなお嬢様がシンボルになってて、それが地球に向かうのに護衛で主人公たちに頼んできたと
でもそれを厄介に思う派閥から劣化リリーナが襲撃受けたって認識
特にデレデレの巨乳キャラは感情に合わせて揺れたり、勃起気味の乳首が濡れ場のシーンでアップになったり…もう、完全に生き物みたいなんだよね。空気を読んで(読まないで大きくなったり出てきたりす)るよね…。
なおかつ、男の場合息子だのマグナムだの言って自分の体の一部を楽しんでたり、肯定的だったり、欲望に勝てないことに対して「カルマ」として扱ってるけど、ラノベの女の子のおっぱいってまさにそういう感じで扱われている。
しかも、本来ならおっぱいは大きすぎても小さすぎても「ちっさいと服が似合わなくなるし&色気が…」「おっきかったらおっきかったで下着でおしゃれができない&肩がこる&デブっぽく見える」という悩みがグチグチと出てくるものなんだけど、最近のラノベは自分とは違うおっぱいのサイズの子と喧嘩するんだよなぁ。(自分の身体的特徴に対して否定的な言葉がやたらと少ないんだよなぁ…)
ちっさかったらちっさかったで「海抜0m」とか揶揄するし、出かかったらでかかったで「あんなの脂肪じゃない」とか言うし。
男が言ったらセクハラであろうことで罵り合うオッサン臭さも「これ、中身オッサンやろ」と思う。
けど、空気を読んで透け乳首がアップになったり、揺れてみたりするする辺りを「これはおっぱいではなく、どちらかと言うと感情を表す別の体の部位だよね」と見てて思う。しかも、その身体的な特徴に対して割と自信があるのか異性(主に主人公)に押し付けてみたり、自分とはサイズが違う相手を揶揄する作品も増えてる。