はてなキーワード: グルグルとは
http://xkxaxkx.hatenablog.com/entry/2015/10/14/104704
この記事を読んで音ゲーについて色々語りたくなったので書いてみる。
「譜面をリズムに寄せるか、メロディに寄せるか」のというところに引っ掛かりを覚えたので、
この辺りに着目して今の音ゲーについて書いてみようかなと。
結構主観が入っているので何か意見有ればブコメ、トラバでお願いします。
たまにやる機種:ProjectDIVA、jubeat、maimai、ボルテ
気が向いたらやる機種:ポップン、DDR、ビートストリーム、グルーヴコースター
こんな具合でだいたいの音ゲーは触ってる。実力はまぁ・・・いいや(
中級者程度だと思うよ(適当)
本題。上記の記事のブコメでも譜面分類について話題に上がっていたので
DanceEvolution:全身で踊るゲームなので譜面説明できない
ギタドラ・ドラマニ:ギター、ベース、ドラム主体の譜面なので解説不要
DanceDanceRevolution:足で踏むゲームなので色々譜面事情が違うと思うから除外
各楽器パートごとにボタンが割り当てられており「演奏する感覚」に近い。
収録楽曲はインスト(ボーカル無し曲)が多く、歌うように演奏するものではない。
歴史ある音ゲー機種だが現音ゲーの中では難易度も難しめで敷居が高い。
楽器の音に合わせたり、ボーカルに合わせたりと色んな要素を含めた譜面。
ノリで叩かせる系の譜面が多いと思う。
ボタンを押すとエフェクトがかかって曲の雰囲気が変わるのでやっぱりDJ感覚だと思う。
ノリで叩かせる系。ボーカル合わせ、楽器合わせ色々あるけどノリで叩いて!みたいな譜面が多い。
またいずれも画面とボタンが一緒なので感覚的にプレイできるのが特徴。
jubeatは光るところを押せばいいし、リフレクとビーストはラインに重なったらタッチパネルを押す。
jubeat、リフレクはアプリでも配信されているので興味あれば是非。
5年ほど前から音ゲー進出。多分音ゲー界では色々熱いメーカー。
今年夏に稼働したばかりだが今一番音ゲー界では熱い大人気機種。
譜面は前述したボルテに近いが、異なるのはタッチパネルであり譜面ごとに
ボタン数(パネルだけど分かりやすくこう表現しておく)が変わる。
最少2ボタン、最大16ボタン。譜面の自由度が高く初心者から上級者まで楽しめる。
割とボーカル合わせの譜面なので脳内で歌いながらプレイできると思う。
洗濯機。
譜面はスクフェスを円形にしたものを想像してくれば分かりやすい。
上級者がプレイしていると動きが凄いことになっているので端から見ると怖い。
クリプトンのVOCALOIDが躍るPVを見られることが最大の特徴。映像はとてもクオリティが高い
家庭用から始まったゲームだがこの頃から「歌うように遊べる」がコンセプトなので基本ボーカル合わせ。
TAITO初の音ゲー。スペースインベーダーをリスペクトしたようなインターフェース。
ノリで叩くけいの譜面が多い。ボタンが2個だけだがノーツの種類は多彩にある。
ノーツを叩くことで原曲にアレンジ音が重なって演奏されるので聴いていて心地よい。
ノーツが降ってくるというよりは背景がグルグル回るのが殆ど。慣れないと酔う(だからコースター・・・)
背景が非常に凝っておりプレイ動画を見ているだけでも芸術的で楽しい。
こういう話題をよく見かけるので。
アドバイスがてら書いてみる
ちなみに自分はデレステしかやってないのでスクフェスで相違があったらごめんなさい
どっちもノーツはリフレク寄りだけどリフレクは密度が高いのでちょっと難しいかも
ボカロ系 → maimai、チュウニズム、グルコス、DIVAAC(クリプトン系のみ)
アニソン系 → maimai、チュウニズム、jubeat、リフレク、ビースト
※弐寺は曲めっちゃカッコイイですが、難しいので音ゲー初心者にはお勧めしません
長々となりましたがこんな感じでしょうか。
同居して4年。式はしないで籍だけ入れたのが、去年の9月。
お互いに没頭できる趣味がそれぞれあって、共通の趣味はマンガと海外ドラマ。
ふたりとも無類の猫好き。
お互いいい歳。
だから子供はできたらできたで、できなきゃできないでいいよね〜ってスタンスで。
猫もいるし、趣味もあるし、って。
朝起きて仕事行って、くたくたで帰ってきて。
家事は分担して。
自己実現なんて遥か彼方。
何者にも成れず、でも時間と共にいつしかそんな自分も受け入れて。
SNSに載せられるような、魅力のある幸せではないけれど、幸せな暮らし。
他人と比較して落ち込んだり、いや自分の方がまだマシだとかグルグル考えたり。
だからなるべくそんな思いから気をそらし、お酒でアタマを麻痺させて寝る。
でもそうすると眠りが浅くなって寝不足になる。
もし病院に行ってたら、なんらかの病名が付くような。鬱とか??
でも、みんなこんなもんじゃないのか?と思ってやり過ごす。
こんな感じだから、独りで居るのはつらい。
いつも側に相手が居て、猫も居て。
でも、やっぱり全然楽。
生き易くなったのは間違いない。
そんなこんなで、このまま寄り添って生きていこうと。
どっちでもいいと思ってたはずなのに、嬉しかった。ものすごく。
そこから怒涛の日々が始まって。
切迫早産の恐れがあるってことで、春くらいから奥さんは休職することに。
歳も歳なのでなるべく安静に安静に。
自分にできることはなんでもやって。
で、車の免許がないと。
めちゃくちゃ勉強して練習して。
とにかく1日も伸ばせなかったから、もう必死でやってなんとか取って。
で、部屋が狭いと。
てことで、引越し。
物件を探して、決めて、ローンの手続きが終わるまで、全部で1ヶ月くらい。
あっという間に買って、すぐ引越し。
もうお腹も大きくなってたので、引越しの準備もほぼ自分がやって。
ボタンを押して乗り降りする、単線の電車を乗り継いで、通勤時間は今までの4倍に。
で、慌ててたのか疲れが溜まってたのかなんなのか、こんな大事な日にギックリ腰をやるという。
陣痛で苦しんでるのに逆に心配させるという。ホームラン級のマヌケ。
で、這うよう付き添って、立ち会って、産まれて。
周りに友達どころか知り合いもいない、土地勘もないところで、2人だけの子育てが始まり。
長くなっちゃったけど、子どもはコスパが悪いっていうのを読んで、どうしても書きたくなりました。
要するに、コスパなんて言い出したら、そりゃ悪いでしょう。
ここまでいくらかかったか、これからいくらかかるのか、考えると怖いので考えません。
時間も労力も、湯水のごとくです。
で、今は毎日死ぬほど大変ですけど、ほぼ毎日、今日が人生最高の日だ、と思います。
ほぼですけど。
不安や後悔や比較の呪縛は消え去りました。というか、そんな暇がない。
倒れるように寝て、気がついたらまた一日が始まってる、その繰り返しです。
これだけ幸せをもらって、もう十分です。
もうもらってるから。
過去を整理する。
今ではそこそこブラックすぎない会社に拾われて人生つまらないなりにあまり苦しくなく生きられている。
あまり苦しくない人生というものに、それなりに満足できているのは一度それなりに苦しんだからだろう。
ストレス耐性のある人間からすれば全然余裕だったんだろうが、生まれつき精神構造が弱かった自分にとっては十分に苦しい時間を過ごした。
あれより下もきっとあるんだろうが自分が知ってる中で一番下があれだ。
あれより下がきっとあるだろうから必死にそこから逃げ出そうとして、その結果中退の道を選んだとも言えるだろう。
ろくにやってなかった。
緩やかに限界に近づいていた。
毎週やってくるレポート提出日におびえていた。
土日に図書館に行ってレポートを書くための資料を集めて、それでちゃんと準備をしているのに全く進まないレポートに苛立っていた。
何を書けばいいのか本当に分からなかった。
今思えば当たり前の事を書けばよかったんだと思う。
自分は出来の悪い学生だと認めて凄く基本的な事、誤差の計算の話とか実験の教科書に既に書いてあることの焼き直しとか、装置のもっと細かい説明を百科事典から丸写ししていればよかったのだろう。
呆れられるだろうが、何もしないよりはマシだ。
それか、他人のレポートを借りて少しだけ言葉や計算を変えて丸写しするかだ。
あの頃の自分は阿呆な癖にプライドだけは高く、そういう事はできなかった。
それでいて自分の出来の悪さには半分気づいていたので、その後ろめたさから教授に相談することも出来ないでいた。
ただ完成しないレポートとにらみ合いながら、そのままでいると無力感で気が狂いそうだからとラジオを聞いたり横目にテレビを見ながら部屋の周りをぐるぐるしてばかりいた。
朝の6時までそんなことを続けてから、12時間眠って夕方の6時に起きて、5分ほど布団の上であぐらをかいてから大学をサボってしまったことにふと気づいたりしていた。
実際は友達が少ないからと昼休みになるたび図書館に行って学習まんがを読んで過ごしているうちに無意識に勉強をしていたんだと思う。
それでも勉強が人より出来るのは間違いがなかったので親は自分に妙な期待をしたらしく私立中学に行くことを勧めてきた。
その頃の自分は「いい子」だったので親がそう言った以上は逆らうこともなく、素直に塾に通い、素直に人より多く勉強をして、気づいたらそこそこの私立に入っていた。
今覚えばこの時点で覚悟を決めておくべきだったんだろう。
自分は運動も出来なければコミュニケーションも上手く取れなくて、それでいて賢くもないと。
ダラダラと過ごすうちに最初は中間だった成績は下の下まで落ちていった。
今思えば、自分は小学校の頃にちゃんと勉強をする癖を付けそこねたんだろう。
勉強は暇つぶしの範囲でしかしなかったし、テストの大部分は学習まんがで覚えた知識を応用してどうにかしていた。
嫌々ながらも机に向かって問題を熱心に解くことは少なく、宿題も面倒になると適当に埋めて終わらせていた。
算数の問題(今覚えば公務員試験の数的処理によくにていた)を解くのはパズルみたいで好きだった。
だけど単純計算は嫌いで、よくケアレスミスをするのは知っていたのに全然トレーニングをしようとはしなかった。
そうして面倒くさがって勉強しない癖を付けたままダラダラと中学高校時代を過ごし、大学受験シーズンを迎えた。
分からないことが多すぎた。
英語の基礎はなっちゃいないし、数学も積分の問題を解いているのに微分がそもそもろくに理解できていなかった。
社会化の知識は小学校で止まっていたし、かろうじて理科はどうにかなると思ったらこれも中学校で止まっていた。
自分は勉強しなくても勉強が出来るはずだという感覚を未だに捨てきれなかった自分は混乱した。
何から手を付ければいいのか分からなくてとりあえず周りに合わせて受験生がやるような問題を解こうとした。
手も足も出なかった。
中間テスト前に毎回丸暗記して何とか赤点を回避していた知識は反復不足でほぼ全てが抜け落ちていた。
高校1年の問題どころか、中学2年程度のレベルでも怪しい所が無数に合った。
まず何をすればいいのか。
それを誰に相談すればいいのか。
その答えも出せないまま刻々と時はすぎて、気づけば滑り止めも受からないまま高校時代は終わった。
塾には行っていた気がするのだが、基本的な部分で躓きまくっているのをどうすればいいのかが分からなくなり、誰に相談するでもなく自主休講を繰り返していた事だけは覚えている。
相談すれば真摯に対応してくれていたのかも知れないが、あの頃の自分はプライドと疑心暗鬼が心の中で手を組んでこんな奴らに相談しても馬鹿にされた挙句にはぐらかされるだけだぞと完全に思い込んでいた。
浪人生になった春。
新しい塾に入ることにした。
そこは前に通っていた塾よりもレベルが低く、自分が通っていた高校の名前を出したらすぐに上のクラスに入れてもらえた。
自分の今の実力は非常に低いから不安なので一応テストを受けたいと申し出た。
いくらもう1年時間があって同級生には高校3年生もいるとはいえ、こんな問題も解けない奴はヤバいだろうと感じた。
今思えばここで油断したのかも知れない。
勉強をしない生活が基本となっていた自分は、隙あらばサボろうとしていたのをよく覚えている。
最初のうちは授業にはちゃんと出ていたが、いつの間にか加速度的にレベルの高くなる内容に振り落とされ、気づけば足が遠のいた。
どこであんなに差がついたのかとその頃の自分は悩んでいたが、答えは明白である。
日々の反復学習だ。
予習も復讐もロクにせずに授業に出るだけでは大学受験レベルの問題が解けるようにはならないおつむの作りをしていると高校時代に散々味合わされたはずなのに、半年もしないうちにそれを忘れてしまっていたらしい。
そうして勉強をする癖を付けることが出来ないまま、二回目の大学受験を迎えた。
滑り止めには受かった。
「こんな所行ったら終わり」だとすら思わず「こんな所に行く自分が想像できない」滑り止めだった。
他の試験会場で味合わされた絶望感がそこの試験の時だけなかったのを覚えている。
同時に「こんなに簡単ならきっと逆に競争が熾烈化してギリギリの戦いになるだろう」なんて考えていた。
そうして勉強する癖も、自分のイメージする大学生にふさわしい知識も、自分のイメージする大学生にふさわしい学習環境も、何一つ手にすることがないままに大学生編が始まるのであった。
もう一年浪人して心を入れ替えておけばよかったのかも知れないと今は思う。
二浪したら人生の終わりの始まりだとその頃の自分や両親は思っていたが、その程度で終わるなら大学を中退したらどうなってしまうと思っていたんだろうか。
大学に入った頃の自分はまだ自分がそこの学生である事を実感できないでいた。
結局一度も心の中で認めていなかったのかも知れない。
周りの学生も教師も皆馬鹿に思えたし、そんな連中とつるまなきゃいけない自分自身の馬鹿さ加減にも日々絶望していた。
心の半分ぐらいがずっと灰色だった。
浪人時代に失敗したから大学に入ったらちゃんと勉強を頑張ろう!
そう思って友達付き合いやサークル活動を控えて勉強に打ち込もうとした。
駄目だった。
ただ予習・復讐を忘却曲線に合わせてやるだけの事が出来なかった。
だから勉強もできないしサークルにも入ってないし友達もいない救いようのない学生が出来た。
そうしてその救いようのないクズは日々レポートに苦しみながらクズ故のプライドの高さと自己肯定感の低さから来る多方面への遠慮から誰にも頼れずにいた。
そうして自分は大学2年の後半辺りから少しずつおかしくなり始め、就活シーズンの頃にはすっかり頭が駄目になっていた。
誰からも自分は必要とされないだろうという不安から就職活動に踏み切ることも出来ず、だからといってなにもしないのも不安だからとか公務員試験の勉強を始めた。
公務員試験の勉強と、普段の授業と、実験レポートと、卒業論文、その4つにグルグルと毎日追われていた。
授業の実験はなくなったが研究室に妙なやる気があったのでそれに似たことをよくやらされた。
何かをすると他の何かが頭をよぎった。
勉強もしなくちゃいけないし、レポートも書かなくちゃいけない、卒業論文も進める必要がある、面接の準備もしておいた方がいいのだろう、授業の宿題もちゃんとやらなければ……
パニックだった。
計画を立てて物事を実行に移す。
自分にかけていたのはその習慣だったのだ。
今にして見ると簡単な事だ。
だけど自分はまだそのことに気づいていなかった。
だから机に向かって何かに取り組んでは、すぐ別の何かが気になってフラフラしては精神をすり減らしていた。
気晴らしのために遊ぼうとしても色々な事が気になって遊べなかった。
眠ることは生理的に必要不可欠なのでこれなら許される気がした。
悪い夢を見ることが多かったけれどもそれが一番疲れが取れた。
寝ている間の半分は夢すら見ていないからだろう。
実験レポートの内容は相変わらず酷いもので、教授にチェックを受けるたびに皆の前で叱られた。
あるときには呼び出しを受けて教授から2時間にわたり叱責を受けたこともあった。
回りでパソコンに向かっていた同級生・上級生が憐れむような、何か理解できない生き物を見るかのような目でこちらを見ていたのを覚えている。
そうして気づけば研究室へ行くのが嫌になり、卒業論文も進まなくなった。
将来への不安から勉強にも身が入らず単位も不足し、文句なしの留年でその年は終わった。
入る前から死にかけている生きの悪い学生なんてどこも取るはずがないだろうなと今でも思う。
次の年度が始まっても、院生に上がった元同級生や下級生、そしてあの教授たちと顔を合わせると思うと研究室には行く気になれなかった。
研究室を変えたらどうだという話もあったが、どうせたらい回しにされた人間しかやってこないようなもっと酷い研究室に送られるのだと思い拒否した。
今覚えば分が悪くとも賭けに出た方がマシだったろう。
ギリギリの精神を「もうすぐこの状態から抜け出せる」という希望で何とか繋いでいたのが逃亡からの留年という形で切れてしまったこともあり、次の年度は完全に駄目だった。
日々の多くを家に引きこもって過ごしていた。
毎日死ぬことばかり考えていしたし、もうすぐ死ぬのなら今頑張っても無駄だなとふて寝ばかりしていた。
何かを頑張る気にもならなかったし、かといって遊ぶ気にもならなかった。
ただ毎日を死んだ目で寝て過ごした。
段々寝ようとしても寝れなくなっていったが、グルグルと頭のなかで過去や妄想を反芻しながら布団の中で目を閉じている方が起きて何かやるよりかはマシなので眠りもせずに布団の中で過ごした。
そしてその日々の中で、こんなことを続けていたもどうにもならないと思い、自分は中退を決意した。
決意の方向が間違っていたような気もするし、実際もうあの頃の自分はどうやっても大学を卒業できなかった気もする。
生活を見直し、人生を見直し、行動を見直し、とにかく気持ちがどうこうよりも前に日々をどう生きるかを前向きに組み立てなおしていれば可能性はあったのかも知れない。
だけどあの頃の自分は1人でそれが出来る状態にはなく、それを助けてくれる人間も周りには居なかった。
両親は自分の人生で忙しかったし、大学は腐ったみかんの相手なんてする気はなかった。
http://info.nicovideo.jp/gamemaga/satsuriku/
評判を見て最後までやってはみたが、実況者のオカズ、その実況信者のオナネタの域を全く超えない、実に退屈なシロモノだった。
マップチップはキレイだったが、マップは出入口がわかりにくい上に、狭いマップをグルグル移動させられるだけだった。
ゲームとしてはクリーチャーの出てこない2D「サイレントヒル」程度だが、ひたすら作者の都合に合わせて進めるのが退屈なこと退屈なこと。
追いかけっこは工夫皆無の覚えゲー。いちいちアイテム欄から鍵やライトを使わせる意味はあったのか。フラグたても本当にご都合主義。
みんな寝足りてないんだと思うんだ。
http://gigazine.net/news/20141010-jawbone-city-data/
高校の時、英会話の授業で「ホリデーにやりたいことを話してみましょう」というレッスンがあった。
そしたらさ、解答がクラスほぼ全員一緒だったんだよ。
「寝たい」「とにかく寝たい」
進学校で、体力ないのに1時間以上かけて通いながらも予復習はかかさないような、勤勉な子の多い女子校だった。
その先生はこう言った。
「死んだらずっと寝続けることになるのよ。生きてる間に『寝たい』なんてクレイジーだわ」
正直びっくりした。
休みがあったら惰眠をむさぼる、それが至高。
自分も、おそらく周りもそう思っていたし、疑ったこともなかった。
休日に勉強でも睡眠でもない、好きなことをする人生もアリなのか…!(゚д゚)という衝撃と
そうは言っても常に眠いんだよー!今も!(´Д`)という現実がないまぜになって
グルグル頭を駆け巡ったことを今でも覚えている。
閑話休題。
休日、好きなコトができるくらい、日々寝ておこう。
誰かに頼らずとも少しはすっきり起きられるようになるかもよ。
日々の生活に活力が出てくれば、人付き合いの範囲も広がって、そのうち
毎朝美少女とごにょごにょ…?もかわいい嫁として実現するかもしれないしさ。
今朝は完徹で出社して、昼休みにこれを書いているのはまた別の話。
睡眠不足で体力が落ちると寝ることさえままならなくなるよ。
特にプッシュ通知は無い。
LINEの通知は切っている。
Facebookのアプリも、メッセージアプリも入れていない。
それが原因なのかな。
ふとした瞬間、それは非常に頻繁で、例えば仕事をしていたとしても、
数十分に一回は、Facebookを覗きたくなってしまう。
今見たからと言って、さして変化が起こっている訳でもない。
また、例えば変化が起こっているからと言って、
喫緊で見なくては困るような通知は非常に少ない。
ほぼないと言っていい。
もっと言うと、閲覧が1日遅くなったからと言って、誰も困らない。
これは、絶対だ。
誰も困らない。
一人の喜びを構成させるにも至らない。
でも、見たくて見たくて仕方がなくなる。
Facebookを異常なほど見たい。
見ないでいると、そわそわする。
我慢の紐を解きはじめる。
何かと理由を付けて見たくなる。
一度見始めると、
先ずはFacebookを見て、Hotmailアカウントを見て、
Mixiを見て、一回りしたら、Facebookをまた見たくなって、見て。
またMixi見て、Hotmail見て・・・。
もはやそこに、利点はない。
アカウントを削除すればいいのだろうけれど、
今まで繋がったFacebookのつながりが、
いつかどこかで生きるであろうと考えると、
SNSというのは、
この、どうしようもない、
見たいの衝動を無くしたい。
先日、辛いS停滞期間を乗り越えS+になりました。
カンストはまだ無理。S+維持ができればOKというレベルです。
グーグル先生にコツがあるか聞いてみたのですが役立たずでした。ポンコツです。
同じようなライフサイクルをサイクルしてるイカに有意義な情報を提供したいと思い、改めて立ち回りの知見を共有したいと思います。
◾︎自己紹介
中距離シューターが好みのイカ。
黒ZAPを良く使います。
イカったらスプコラを使います。
ナワバリでは、紅葉を片手にノーキル縛りでポイズン当て逃げを繰り返す毒ガンジープレイ。
イカったら赤ZAP。
ナワバリに96デコを持ってくるゴジラを見かけたら、なんとなく縛りを解禁。
スプコラを持っていってます。
βを持ってないのですがストーリー?
立ち回りをしやすいように塗り塗りしてるのが好きです。
そんなイカがいたら9割私です。
イカと言ったな。すまん、ありゃ嘘だ。
サポートが好きといったな。すまん、それも嘘だ。
本当はキル友が欲しいだけです。
私の目安は下記です。
自陣:最低限引っかかりがなくなる
敵陣:ヒット・アンド・アウェイの導線をつくる
私は隅々までキッチリ塗る必要はなく導線があればOKというタイプです。
防御ガン積みしてましたが相手全員が1確ブキという
恐るべき自体に遭遇したとき死にギアになってることにきづきました。
どうせ1発で殺られるなら着てないのと同じ、まさに裸の王様。防御ガン積みは露出狂。変態です。
イカ速度を積むと、ローラーさんの振りかぶりから緊急脱出できる機会が増え
「わかってたのに!」がグンと減ります。
◾︎立ち回り
シューターは、キル性能がローラーやブラスターに劣りますが塗り性能と、そこそこのキル性能を備えています。
自陣の塗りと敵陣への導線確保、敵の導線封鎖です。
→自陣塗り
→主要ポイントについたらカニ歩き撃ちを1回やっておけばまぁ大丈夫
→敵陣への導線確保
→塗り方
→相手は、背中を向けたくないので勝手に後退してくれます。背中を見せたらやっつけます。
→質より量
→桃太郎が何度も殺られるようなら復讐しに行きます。本性は猪なので。
→敵の導線封鎖
→進入路は塞ぎます。
キッチリやる必要はなくて、相手の塗り終わりに入り口にペッと塗るだけで侵入は防げます。
たまにバシッと音がしてそのまま狩れます。
ボムは投げず「あいつのエネルギーは無限大か」と思わせる塗りを繰り返します。
■ブキ別対策
タイマンが熱いです。うまいほうが勝つ。シンプル・イズ・ベスト。
面倒になったらスパショでも撃っておきましょう(暗黒微笑)
キッチリ相手をできれば楽ですがかなり怖いです。
どんなに細いラインから突っ込んでくるので導線を塞いでおきましょう。
ローラーがノコノコ出てくるときは、だいたいダイオウイカに取り憑かれるので
最近、進路を変えて別のイカを倒しに行く人が多いのでガン逃げせずに注意を惹きつけつつ自分のほうに誘導します。
大体6-7秒。4秒目を過ぎた辺りから、回りこんで帰り導線を封じます。
味方がダイオウイカに追われてたらガン撃ちして気を逸らします。
あと、ローラーはショットガンと認識すべきです。飛沫に対するヘイトが薄れます。
どうしようない場面以外の立ち会い自体を避け、不意打ちに徹します、
ブラスターは塗り性能がないのでどのブキよりも不意打ちに弱いと思います。
不意打ちするときはピョンピョンにつられず、むしろ若干足元よりを狙い逃げを封じます。
私はヒト速度を若干盛ってることもあり
グッと近づくよりもカニ撃ちで徹底的に撃つほうが勝率が高いようです。
1. 倒すには、気づかれないように近づいて撃つかスパショ。
2. どかしたいだけならボムポイー。
3. チャージャーを置物にする。チャージャーの死角になる位置で他のイカと戦う
・エイムがまじで凄まじい。(A+以上は大体そう)
・スパショの当たらない地点を心得てる。
・移動しまくってて篭っている位置が掴めない。
・撃ってくるときだけチラっとするのでスパショが壁に吸われる。
ていうか、安置から殺りにくる。
ボムを6発投げてくる。エイム神相手に5/6避けないと勝てない。
・誰もいなくてもテンプレの立ち位置に潰し撃ちを頻繁にしてくる。
しかもそれが撒き餌になってる。
→要所塗られとる〜 → 塗り塗りー → バンッ。
■その他
・味方にローラーが2人以上いる
2人ともビーコンを置きに行くと開幕の競り合いでまけるので少し引き目で維持します。
ボムを使わず維持と導線作りに徹していればダイオウイカでうまいことやってくれます。
・味方がチャージャー3人とか極端
・スパショの撃ち方
とにかく、連射せず良く狙って撃ちます。なれると良く狙って連射できます。
最近クレーンゲームの要領で縦にラインを作って、イカダッシュ → 横から隠れてるイカを撃つというのにハマってます。
放射状に撃った後に残ったラインを利用したセルフ裏取りもなかなか効果的です。
・ボムの投げ方
→相手の後ろです。
→キューバンは壁に貼り付けて、わかりやすく逃げると釣れます。
→スプラッシュボムはもっとストレートにあのへんでいるだろって感じで投げておけば充分です。
・対シールド
- シールドの真上から相手側に置くイメージでボムを投げると、破裂したインクが相手に降りかかります。
失敗しても、突進してくることはなくなるので2回くらい投げちゃいましょう。
対策を全中距離シューターに周知し、シールド使いを減らしましょう。
- うまいシールドの人はシールドとの境目を行ったり来たりするので、
・対バリア
どうしようなないときは相手を中心にグルグル撃ちして混乱の渦に叩き込むと3割くらい運良く勝てます。
スクイックリン相手にこれをしたときは、至高のエイム時間を奪い申し訳ない気持ちになりました。ごめんなさい。
■その他のその他
一時期は、S以下のランクになる機会が多かったのですが最近改善した気がします。
今後はS+が増えると思います。
明らかに負けてるときはキル専。
つまり7割はキル専です。
相手チームに、明らかにヤバイというイカがいる場合は粘着します。
・タッグマッチをやってみたいです。
22時-2時くらいで仲良くしてくれる人はいないでしょうか
他ブキの練習もしつつなので、軍隊みたいなコミュニティは怖いです。慣れないブキでキャッキャウフフしたいです。
Twitterなら、つくろうかな。
・フェス
キリギリスでした。赤ZAPを持っていきました。
偶然スプリンクラー4人チームになり、非常に鬱陶しい構成だったと思います。
イカよろしくー。
思うところがあって、おっさんなのにさか上がりの練習を始めた。
それで、鉄棒にぶらさがって思ったのだけど、さか上がり以前に腕力がないから体を持ち上げられない。
さか上がりの前に懸垂の訓練をすることにして、しばらくしたら2〜3回懸垂ができるようになった。
一回もできなかったのにやればできるようになるもんだと思って逆上がりに挑戦したら、それもあっさり成功。
さか上がりができないのは、運動神経とかコツの問題じゃなくて、腕力の問題だったんだと悟りを得たわ。
小学生のころ胸より高い鉄棒ではさか上がりができなくて、昼休みに居残りで練習させられたけど、腰にゴムチューブをつけて鉄棒に固定してグルグル回るって方法なのな。
あんな練習したって腕力なくて体が持ち上がらないんだから、さか上がりできるよになるわけないだろ。
教師はさか上がりできない子供を何人も見てるんだから「こいつら技術の問題じゃなくて、腕力ないからできないんじゃね?」って気づけよって感じだよな。
いろんなことが関連付くのがつらい
本を読んでてある知識を一つ得たとして
別の本を読んでいるときに、「あ、これ関係あるのかもしれない」と思う
また別の本を読んでいるときも「これも関係ありそう、だとしたらあれも関係あるのかな」
さらに別の本を読んでいるときも「これに関係あるとしたらあれとそれも関係あるのかな」
最初はいい。楽しい。どんどん考えてみてある程度筋が通りそうな時も悦に入れる。
ただ関係がどんどん繋がって、新しい考えにズルズルくっついてくるのは疲れる。煮詰まった関係がくっついてると、重くてしんどい。
頭に蛇の尾がくっついてるみたいだと思った。後頭部と同じ太さの重い蛇が頭から垂れ下がっていて、引きずっているようなしんどさ
新しく考えたいのに、「あれの関係はどうだったかな?」と確認したくなる。酷い時は戻って考え直してみる。「これってあれじゃない?」と新しい考えを短絡的に棒に振ってしまう。
目の前にネズミがいるのに、尾っぽが気になって仕方がない時がある。尾っぽを咥えてしまったりする時がある。
どんどん疲れてしまって、面倒臭くなってしまって、何も関係のない、新しい本を読む。
でも「あ、これ関係あるのかもしれない」と思う。
切り離したと思った蛇はずっと頭にくっついてて、目の前のネズミもウサギも呑み込んでどんどん重く絡まっていく。
あの時疲れた尾っぽは大丈夫かな、傷はどうなったのかな、剥がれた鱗は生えたかな、脱皮は上手くできたかな、なんて気にはなるけど、もう到底、見返せないほど長く絡まって頭にくっついている。
なんか地区だかなんだかの運動会の練習みたいなのをやってるのを見かけたので。
子供の頃住んでいた田舎では小中9学年あわせて200人いくかいかないかぐらいだったからなのか、敷地が隣接してたからなのか、運動会が小中合同だった。
小学生の時から中学生の出し物を見ているので、自分も中学生になったらああいうことをやるんだろうと漠然と思っていたら、
自分が中学に上がった年から少子化の影響とやらで出し物が変わった。
中学男子が毎年やっていた騎馬戦が消えて、中学女子が毎年やっていたその土地に伝わる謎の盆踊りっぽいダンスも消えた。
自分は体が同学年男子の中で群を抜いて小さかったので、騎馬戦で担ぎ手にはならないであろうことが予想できていたのもあって、
珍しく目立てるぞ、と割と楽しみにしていただけに、プログラムが決まった時は結構凹んだ記憶がある。
他にも、全員参加の徒競走では、一組の人数を4人から2人に減らして露骨に時間を稼いだりしていた。
今思えば、半日ぐらいの時間をもたせるだけの出し物を考えるだけで教師陣も大変だったんだろうなー、とは思う。
でも、だからって、5つしかない強制参加の部活のユニフォームを着て練り歩く、部行進とかいう謎の出し物で
30分近くひたすら校庭をぐるぐる歩いたり並んだり止まったりし続けるのはどうかと思うけれど。
しかも「集団行動」という出し物も別であって、そっちもクラス別に先生の号令に従ってひたすら行進したり回れ右したりするっていう……いったい誰が得するんだこれ。
色々と引き伸ばし策を講じても、さすがに単純に出し物の数を減らすと間がもたなかったのか、
騎馬戦と盆踊りが消えた代わりに、全学年参加で踊るソーラン節と、チーム対抗の20人21脚的なやつが入ってきた。30人31脚にならないあたりが悲哀を誘う。
どうやって見つけてきたのかわからないが、隣の隣の町からやってきたソーラン節の講師というおじさんおばさんたちを招いて、毎日ソーラン節の振り付けを覚えさせられた。
まあ、グルグルと網を引き揚げる動きは楽しかったので今でも浴槽でバシャバシャいわせて遊ぶことがある。
本番の日、20人21脚では本番のテンションで疾走する周囲のペースについていけず、
両隣に肩で吊り下げられる形になってしまって足が地面に着かなくなって転倒、胸をノーガードで地面に強打して、呼吸困難になる経験をした。
寄ってきたやたらガタイのいい担任の女教師は、地面で息ができずにアワアワしている俺を見て、
「本番でコケるなんて気合いが足りない」「早く立って続き走って、みんなが迷惑してるから」と言い捨てた。絶対忘れてやらない。
昼食時には、我が家は祖父が昨年亡くなったばかりだったので、
母子家庭+一人っ子という家庭が小中見回しても自分だけで、家庭ごとにビニールシートを敷いて食べる食事場所がものすごく居心地が悪かった。
大体みんな5、6人ぐらいが1家族で、多いところは12人とかきてる。2人だけで食べてる人はどこにもいなかった。
小学生のクソ猿が何匹か寄ってきて「なんで二人だけで食べてるのー?ねえねえなんでー?さびしくなぁいー?」とか言ってきたので、傍目にも割と目立ってたんだと思う。
母もなんか申し訳なさそうにしていて、でも別に母親が悪いわけでもないしなあ、と思いながら適当なことを言って追い払ってた気がする。
ああ、なんか嫌な気持ちばかりよみがえってきた。あれー?運動会、なんか別にいい思い出ねぇなこれ。
ちなみに翌年、翌々年は二年連続で当日に高熱を出して、バファリンで無理やりおさえながら手慣れたソーラン節を踊る羽目になった。
背は大して伸びなかったけど、20人21脚は誘導役のサザエさんポジションになったおかげで二度とコケなかったし、まあいいか。
作業しながら頭をよぎっていった作業に関係ない言葉たちを10分間書きとめてみた
朝辛子 ソレミシ ソラシミレドシ 関東ローリング名刀 千手観音紹介 ミレドレ 連打ブレンディ
どんどん屯田 冷麺パワー 盛りのついたギャラリー 副交感神経膜 腹膜 フッくんあのね メッケー部
シュカ シュガー この町 あの町 Heart ゲイン コンバット小町 木炭 木刀 白蓮 シンデレラ饅頭 サム指姫
ちんすこう グアテマラ 国旗 ピーチ味の無精髭 白髪交じり 43% バンテリン バッテリー パルテノン信玄
湿度の高いポテチ ちりめんじゃこの艦隊 混成三部岩礁 ガッチョン カシューナッツ合唱 ドドミドレ ガンギャラド
瀕死のグルグルボッチ メティオーロ ビブラート肩こりガンダム ダンブルドア武運ダウンロード Send デデンデン ドレスデン
ペンさ PENさ ペン先さ ベンジャミンさ ペン捌きさ ペン先しまっとこう しまっていこー しまった伊藤 神速 Get It PENTAX
復讐 予讐 触媒宿題 吟醸 1965万個の銀賞 Head ラドミレ マグロディストピア 霊峰ナクナク 首輪ハンサム グラビティ緑茶
年表系エルダーエラー ナンボin天狗恋愛 ルワンダ 奇襲 紀州 新古今和歌集 チャウオック ハムエッグ ベンジャミン酢
3.9 三連休 産卵するワオキツネウオ 腕毛テヅルモヅル 三尺 芍薬 生薬ミルキー アルビノエンペルト ソース味
M字クリップ兄弟 肉汁ギャップ 胞子inほうじ茶 ガッデムヘルストローク 男爵ヒモ 死んでる ハミってる クマビスケット
ゼリービーンズ りんごとハチミツと歯茎 ババァモンテネグロ 入れ歯総選挙 10分
集中ってなんだろう。
1
6月11日に、「絶歌」は発売された。その直後、この本の刊行を報道で知った遺族のうちの一人が、遺憾であるとコメントを発表した。
以来、今日に至るまで、様々な人々が—— 専門家、知識人、芸能人、ライター、クリエイター、etc——、この本についてコメントをしたり、記事を発表している。
少しだけ、どこかで見たような光景だな、と俺は思った。
原発だ。
震災以来、原発というのは、賛成だろうと反対だろうと、何かしらの意見を持たなければならないような問題になった。「どうでもいい」「どっちでもいい」というような態度は許されない。誰しもが原発に対して、真剣に考えなければならない(あるいは、そのフリをしなくてはならない)、そんな風潮が蔓延している。
そんな光景に、どこか似ている、と俺は思った。この本の出版に関して、肯定的だろうと否定的だろうと、有名人(というかライターやクリエイター、芸能人)は、何かしらコメントをしなくてはならない。そんな雰囲気が漂っているような気がした。
また、ネットでもあちこちで、この本のことが言及されている。その内容(というか質)も、原発に関するもの似ている。有意義なものあるけれど、ほとんどが似たり寄ったりな退屈な意見で、特にAmazonのレビューに関しては、まぁ、平均的な人間の平均的な意見が読める、という以上の価値はない。
なんというかまさに「脱法ハーブ、握手会、風営法、放射能、ダサい、ダンス、ダウンロードって言ったら負け」状態だ。
2
俺がこの本を読んだ理由は、端的に言えば好奇心だ。この本が発売されると知ったとき、純粋に読みたいと思った。ただの好奇心。
この際だから、書いてしまおう。俺は小説を書いている。ほとんどの人は知らないと思うが、Amazonで販売出できるKDP(Kindle Direct Publishing)で発表もしている。つまり、創作をする人間として、この本に興味を持った。
この本の元になった事件は、説明するまでもなく、後のフィクションに多大な影響を与えている。俺が知っている範囲だけでも、舞城王太郎や佐藤友哉あたりは確実に影響を受けているだろうし(舞城の『阿修羅ガール』に出てくる鬼畜殺人鬼グルグル魔人を知っているか?)、奥浩哉『GANTZ』に出てくる西なんかは、もうまんまだ。他にも探せばたくさん出てくるだろう。
創作をする人間として、そんな風に後のフィクションに、作家たちに影響を与えた事件の当事者が書いた手記に興味を持つことは、そんなに不思議ではない、と思う。だから手に取った。ただ、これは弁解だ、言い訳だ。下世話な好奇心で読んだ、と言われても反論は出来ない。
(これは余談だが、先述したとおり、この本は6月11日に発売された。ニュースになったのも、その二三日前だったと思う。しかし、振り返って見ると、五月の終わりに、この事件をモデルにした窪美澄「さよなら、ニルヴァーナ」が出ているし、そのちょっと前には、34歳になったとある小説家が事件現場を巡礼(?)するという内容の佐藤友哉「ドグマ34」がすばる4月号に掲載されいてる。偶然か? さらに余談だが去年放映されていた、金城一紀脚本のドラマ「ボーダー」の第三話は、殺人を犯した元少年が手記を出版しようとして遺族に殺されてしまう、といった内容だった。まぁ、偶然だろう)
3
事件当時、俺はまだ小学生だった。けれど、この事件のことは、やはり印象に残っている。
俺は子供のころ、モデルガンが好きで、アクション映画などの銃撃戦のシーンを見てはひとり興奮していた。シュワルツェネッガーがバンバン人間を撃ち殺しているのを観ながら熱狂している俺を見て、母親も心配していた。俺も子供心に「自分は人が死ぬことになにも思わないのか」などと普通のことを普通に思っていた。平均的だ。
そしてこの事件以降、子供によるセンセーショナルな事件は、たびたび起こる。「キレる17歳」などいうキャッチコピーがつき、まるで急に少年犯罪が増えたかのように報道された。
フィクションも影響を受ける。バスジャック事件を題材にした青山真治の映画「ユリイカ」などだ。
開き直るわけではないが、俺は上記の作品たちが好きだ。だから作者に興味があるし、その作者に影響を与えた題材、事件にも興味がある。センセーショナルな事件は、良くも悪くも、フィクションに影響を与えているのだ。
ただ、報道のされ方、ニュースの選ばれ方のせいなのか、はたまた「事実は小説より奇なり」なのか、現実では悲惨なニュースが相次ぐ。自然災害は仕方がないにしても、凡人には理解できない理由で、または理解できないほど身勝手な理由で、色々な事件が起こる。無差別殺人、闇サイト、児童虐待。世紀末を過ぎても、この手のニュースには事欠かない。
「近頃はありきたりのリアリズムに追いつかれそうにも見える」
これは、とある賞の選評の一部だ。とある一作品に向けられた言葉ではあるが、なんだかフィクションがひどくしらけてしまうときに、この言葉がふと思い浮かぶ。
我ながらバカなことを書いているな、とは思う。でも、俺は嫌なのだ。俺はフィクションが好きで、物語が好きで、小説が好きなのだ。だから、読むし、書いている。書いては直して、また書いている。
この本が出たときも、似たようなことを思った。批判が溢れ出ているのに、蓋を開ければベストセラーだ。売れているからって、優れたものじゃないってことは判っている。それは音楽も映画も本も同じだ。
4
そして、この本を読んでみた。内心ドキドキしていた。偉そうな事を言っておきながら、日本の犯罪史上稀に見る(仰々しい枕詞だ)事件を起こした、当事者の手記。正直、影響を受けてしまったらどうしようか、とも思った。俺は本を読む以上、どんな本でも最大限影響を受けるつもりで読んでいる(そうでなければ読む意味なんてない)。ただ、この本だけは、少し怖かった。
しかし、どうだろう。前半はネットで揶揄されている通り、自己陶酔しきった糞ポエムだった。ガラガラのライブハウスで演奏しているクソみたいなバンドの歌詞でも、これよりはほんの少しマシだろう。ただ、文章自体は上手いな、とも思った。読ませる文章だ。特に、後半の面会に来た弟のやり取りの場面では、ちょっとぐっと来た。少しだけ泣きそうにもなった。
でもこれは(ここまで書いておいてなんだが)、所謂ただのお涙頂戴話だ。当たり前の反応というか、けして面白かったというわけではない。
そう、端的に言って「つまらなかった」というのが、この本を読んでの感想だ。
一部で神格化、カリスマと化している「殺人鬼」だが、彼はつまらない、ただの普通の人だったのだ。多くのフィクションに影響を与え、ひとたび本を出版すれば大いに話題になる「あの人」は、普通の人間だった。
前半のあの糞ポエムが、それを象徴している気がした。あの稚拙で過剰な修飾表現は恐らくわざとで、そうやって過剰に飾らなければならないほど、内容は、実は普通なのだ。
これについてはロマンポルシェのロマン優光さんが書いた記事に頷ける箇所があった。
“この本には特にそういうところがないのだ。(性的偏向については代入される対象がおかしいだけで数式は同じなので、対象がいくら理解できなくても根本的に理解できないというわけではない。) 普通の人が普通に想像したような話が続くだけである。 ”
http://bucchinews.com/subcul/5203.html
5
少し前になるが、日曜の午前にやっている「ワイドナショー」という番組で、店の商品に爪楊枝を刺す場面をYouTubeに投稿した少年のニュースをやっていた。
それを観た松本人志が、「全然おもしろくない。声も張ってないし」とコメントしていた。他の出演者は「そこですか?w」といった感じだったが、俺は、松ちゃんはこういうコメントをどんどんしていったほうが良い、と思った。
つまり、つまらないものは、つまらないというべきなのだ。そして、松本人志のようなおもしろい人は、こういうくだらないことをする人間に向かって「全然笑えない。おもしろくない」ともっというべきなのだ。
同じ番組で、松ちゃんは、この本は読まない、といっていた。遺族の方がここまで言うのなら、と。立派な態度だと思う。下世話な好奇心で読むヤツに比べたら、遥かにマシな態度だ。
でも、俺は松ちゃんに読んでほしい。この本を読んで、おもしろくない、と言ってほしい。
「俺に影響受けてるのかもしれへんけど、お前の本、つまんなかったで」と言ってほしいのだ。
舞城でもユヤタンでも乙一でも、こんな本より、俺の小説のほうがおもしろいぜって言ってほしい。なにがベストセラーだ!っていってほしい。
だから、俺は敢えて言う。
自分に取っての本当のことを書いたのかもしれないが、ハッキリ言ってフィクションのほうがおもしろいぜ。普通の理由で普通の狂い方をした普通の人間なんかより、グルグル魔人のほうが狂ってるぜ。なんせウンコパン三世〜♫ デレッデレ〜♫ なのだ。
だから俺は、この本を批判するならおもしろい人たちに、「つまらない!」って言葉こそ、声高に叫んで欲しい。
6
“結局のところ、人生で起こるすべての本当のことは、陳腐で薄っぺらで通俗的なのだ。そうじゃないことは小説の中にしかない。だから小説の中で、つまんないなあと思うとき、わりとそれが人生の本当のことを書いているってのがあって、だから小説って難しい”(舞城王太郎/パッキャラ魔道)
まったくその通りだ。
そんで、つまんない本のことで、
いちいち騒ぐのはやめようぜ。
おわり。
http://b.hatena.ne.jp/entry/256989494/comment/gui1
エレベーターの件については、要するにこれが正解なんだけど。
例えば、リフトみたいにケーブルに何本もエレベーター繋いでグルグル回すようなものを作れば、
少なくとも「エレベーターの待ち時間が減る・来る時間の予想が付く」という明確なメリットはある。
ただ、そのメリットを享受するコストとして「各駅停車するエレベーター」を、誰も望まないんだよね。
エレベーターのメリットは、「待ち時間と所要時間が決まっている」ようなシステムではない、というとこかも。
・相乗りする客が少ない
・色々しなきゃって分かってるのに体が動かない。
・夜、駅からの帰り道、自分とか人間とか恋愛についてかなり真剣に考える。頭がグルグルする。
・電車に乗るとみんなが私をちらちら見て避けていく。この時期になるとすごい意識しだすからやっぱ臭いのかなあ。つらい。
・みんなが静かにしている空間に耐えられない。音立てちゃまずいと思うと、逆に意識してしまってガタガタしてしまう。ずっと座ってておしり痛くならん? なんでそんなじっとしてられるんだろう。
何か救いになるものが欲しい。具体的に言うと、すごく親身になって話を聞いてほしい、そして肯定してほしい、できれば自分より経験を積んでいる人に。
あと最近思うけど日本の神経質さが息苦しい。将来は海外に移住するのもいいかも知れない。(と言ってもアメリカ的オープンコミュ強に馴染める気はしないけど)
細かいことに拘らなくて(食べ物とか適当でタオルもふかふかじゃなくていいし友達の家に行っても一緒にご飯作ったり後片付けしたりする)、自然が豊かで、可愛い家具が当たり前のようにあって、ちょっとくらい太ってたってムダ毛があったって気にしない生活がしたい。日焼け対策とか煩わしい。おばさんになったってゆるゆるのワンピースで海に行ったりしたい。変な電子音楽作ってノルウェー音楽聴いたりしながら暮らしたい。
とりあえず、電車で避けられるのがマジで精神に来てるんだ。あとこの充実してない毎日とか自己承認なんたらとかネットに走る(よくない使い方してる)とか心底うんざりしてる。
本当にこのままじゃ虎になる気がしてる。李徴はどうすればよかったんだっけ?