世界観

天使と悪魔

神様が造った万物の中で「見えざる」部分に属しているのが天使や悪魔です。「見えざる」と言っても、単にこの肉眼では捉えられない世界というのではなく、物質的な世界に属さないスピリチャルな(正教会では「属神」といい、一般では「霊的」という)世界のことです。つまり物質の中にある見えない部分という意味ではなく、それとはまったく次元の異なる世界という意味です。空気や時間は肉眼では見えませんが、物質的な物理的な世界に属するものです。天使は、しばしば人間の目に見える形で現われたりしますが、属神の(スピリチャルな)世界の存在です。この「見えざる」世界も、神様が創造されたものであり、神様ご自身の存在とは本質的に異なる世界であることも注意しておかなくてはなりません。

さて、正教会の聖伝によれば、この「見えざる」世界は、「見える」世界に先立って創造されました。言い換えれば、天使は人間より先に造られたということです。聖書は、天使の創造について詳しくは語っていませんが、その存在と働きについては、私たちに啓示されています。

天使について

「天使」(正教会では「神使」とか「神の使い」とも言う)とは、「使者」という意味の「アンゲロス」というギリシャ語を訳した言葉です。神から遣わされるという役割を言い表しています。天使は、第一に神を讃美する者であり、第二に私たち人間に神のみ旨を伝える者です。「天使」という言葉は、厳密に言うと天使の階級名の一つでもあります。正教会の聖伝は、聖書の記述に基づいて天使には九つの階級があると伝えています。

  • 1 セラフィム(セラピム) (イサイヤ(イザヤ)6:1~8)
  • 2 ヘルヴィム(ケルビム) (創世記3:24、他)
  • 3 宝座    (コロサイ1:16、エフェス(エペソ)1:21)
  • 4 主制 (コロサイ1:16、エフェス(エペソ)1:21)
  • 5 権柄 (コロサイ1:16、エフェス(エペソ)1:21)
  • 6 能力 (エフェス(エペソ)1:21、ロマ8:38)
  • 7 首領 (コロサイ1:16、エフェス(エペソ)1:21)
  • 8 天使長 (フェサロニカ(テサロニケ)前4:16、ユダ9、他)
  • 9 天使 (ペトル(ペテロ)前3:21、ロマ8:38、他)

この中の最上位にある「セラフィム(セラピム)」「ヘルヴィム(ケルビム)」は神に永遠の讃美を捧げている者として聖書に登場してきます。中間の階級に関しては、詳しくはわかりません。しかし、「天使長」や「天使」は、私たちと関わりが深いものです。彼等は悪魔と戦い、人に神の言葉を伝える使者として働きます。

ダマスクのイオアン(ヨハネ)という聖師父によれば、天使は理性や知恵をもっており、自由意志をもっています。また神の恩寵によって不死の生命をもっています。恩寵によってというのは、天使も神によって造られたものですから、本来なら限りのあるものですが、神様の力によって限りないものにされている、という意味です。天使は神様から与えられた力によって、神の意志を喜んで迅速に行う能力をもっています。天使は羽をもつ形でイコンや聖書に書かれます。それは、物質の制限を受けず自由にそして速やかに神のみ旨を遂行することを表すためです。

天使は、神の指示によって、ある人間に見える姿で現れます。しかし普通、見えないままで、神から遣わされて、私たちを助け守っています。

悪魔について

天使の中で神に反逆する者たちがいました。そんな悪を行う天使のことを「悪魔」と言います。「悪魔」は、正教会では「魔鬼」とか「悪霊」とか「サタナ」(一般では「サタン」)とも呼ばれます。「魔鬼」というのは、ギリシャ語の「ディアボロス」の訳で、「引き裂く」という意味をもっています。「悪霊」とはギリシャ語の「ダイオニモン」の訳で、やはり「分離する」という意味をもっています。人間と神の間を「引き離す」という悪を行うからです。「サタナ」というのはもともとヘブライ語で「敵対する」「反抗する」という意味をもっています。天使とは全く逆に神の意志に背く行いをするからです。

悪魔は本質としては天使ですから、天使と同じように理性と知性と自由意志をもつ属神の(スピリチャルな)存在です。ただ、その行いが悪の方を向いているわけです。

ハリストス(キリスト)は、悪魔のことを「偽りの父」であり、ウソつきであると教えています(イオアン(ヨハネ)8:44)。旧約聖書の創世記に出てくるあのアダムとエワを誘惑した蛇も悪魔として解釈されますが、聖書には「最も狡猾」であると説明されています。悪魔はその大いなる知性をもって、私たちを騙します。狡猾なウソというのは、あたかも本当であるかのように本当でないことを言う技です。蛇は「この実を食べても死なない。食べると神のようになる」とウソを言いました。真実は逆で、それを食べることによって死が生じ、「神のようになったつもり」になるだけで、その実、全く神に似なくなりました。悪魔は、しかし、神から独立して対抗する存在ではなく、すべてを把握する神の力の中にいることも確かです。悪魔は、もともと天使であって、本質としては神が創造したものであるからです。また、悪魔は巧みに人間を誘惑しますが、それに同意するか否かは、私たち人間の自由意志にかかっています。

いつ、どのように天使が堕落して悪魔になったのか、ということについては、詳細にはわかりません。しかし、天使も悪魔も、神話や伝説や象徴ではなく、それらの力は聖書や聖伝の中で教えられ実際に体験されてきました。だからといって、悪魔のことをオカルト映画のように恐怖を与えるおどろおどろしい霊としてイメージしてもいけません。悪魔は自分の存在を気づかせないようにしながら私たちを神から引き離す見えない力です。

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