慶長5(1600)年の関ヶ原の戦に敗れた毛利輝元は防長2ヶ国に移封され、慶長9(1604)年、萩に開府しました。以来260年余り、萩は毛利36万石の城下町として発展し、また幕末期には近代日本の夜明けを告げた人々を輩出する明治維新胎動の地ともなりました。
萩には、この毛利藩政期260年間に形成された城下町のたたずまいが都市遺産となって今日まで継承されており、日本で唯一の「江戸時代の地図がそのまま使えるまち」となっています。萩の城跡や武家屋敷、維新の志士の旧宅、寺院などは日本を代表する貴重な文化財です。更に、その傍らで近世そのままの空間が市民によって住みこなされ、いたる所に息づいていることこそ、優れた「都市遺産」であると言えます。
こうした面的に広がる都市遺産に対し、堀内・平安古・浜崎の重要伝統的建造物群保存地区をはじめ、東光寺及び吉田松陰生誕地付近や藍場川周辺等の歴史的景観保存地区などについては、これまでも貴重な歴史・文化資源として維持、保存が図られてきましたが、それらもまだ貴重な遺産の一部に過ぎません。萩のまちには、観光客も、そしてもしかすると萩市民でさえ気づいていない、すばらしい都市遺産が眠っていると私たちは考えています。