戦艦「八島」


明治30年9月9日、イギリス・アームストロング社で竣工。排水量12,517トン、全長113.4メートル、幅22.5メートル、出力13,500馬力、速力18.3ノット、主砲30センチ砲4門(連装2基)、発射管5門。姉妹艦「富士」、通報艦「宮古」とともに明治26年度の建造予定艦であったが、政府と議会が対立し予算案が否決されたため計画は頓挫した。明治帝は事態を憂慮し、皇室費と官吏俸給の一部を建造費にあてたため議会も折れ建造された。日清戦争直前の状態で、初の戦艦建造を否決すると言うのも凄い話である。(当時、清国には30センチ砲を搭載した「定遠」「鎮遠」の有力な2艦があり、海軍はこれに対する艦艇と戦術に苦慮していた)本艦は当時開発されたハーヴェイ鋼板を使用し、18インチの厚さの防御甲板を持っていた。
日清戦争には間に合わなかったものの、日露戦争では第1艦隊第1戦隊に属し旅順砲撃などに加わったが、明治
37年5月15日旅順港外で触雷した戦艦「初瀬」の救助に向かい本艦も2度触雷し6時間後に沈没した。

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