スクロールしてみてね!
1966 ロサンゼルスで 重要なヒントを得る

日清食品創業者・安藤百福にとって初めての欧米市場視察。そこで目の当たりにしたのは「食習慣の違い」でした。ロサンゼルスのとあるスーパーヘ「チキンラーメン」を売り込みに行った時のこと。バイヤーに「チキンラーメン」の試食を頼むと、彼らは戸惑った表情を浮かべました。それもそのはず、アメリカには“どんぶり”も“はし”もない。どうやって食べようかと悩んだ末、ジュースなどを飲む紙コップに麺を割って入れ、お湯を注ぎ、フォークで食べ始めたのです。『そうか、欧米人はハシとどんぶりで食事をしないのか』。この気づきが「容器入りインスタントラーメン」開発の重要なヒントとなりました。

具材の新鮮なおいしさをそのままに。フリーズドライのひみつ

湯戻しの際に具材の新鮮なおいしさをよみがえらせる。これを実現するのが「フリーズドライ製法」です。エビや豚肉などの具材を一気に凍結させ、真空条件下で氷の結晶を水蒸気に変えて取り除く。食感、うまみ、色や形を損なうことなく具材を長期保存することができる上、水分を15%以下に抑えられるため、防腐剤や合成保存料も一切不要。まさに、理想的な乾燥加工技術でした。しかし、当時の日本ではフリーズドライの技術水準が低く、供給量も十分ではありませんでした。そこで安藤百福は、自ら会社をつくって冷凍技術の内製化をはかり、この壁を乗り越えたのです。

中間保持 麺固定を可能にした「逆転の発送」

上が広く底の方が狭いカップの中に、麺を入れることも難しい課題でした。麺をカップより小さくすれば、すんなり入るけれど、輸送中にガタガタ揺れて麺が壊れてしまいます。そこでひらめいたのが、麺をカップの中で宙吊りにするアイデア「中間保持法」。麺の直径をカップの底より大きくして、カップの中間にしっかり固定する方法です。麺がカスガイの役目を果たしカップの強度も高まります。麺の上に具をのせることができるうえ、お湯を注いだとき、麺の下にお湯がまわって均一にもどります。
麺をカップの中間に固定するためには、麺をまっすぐカップに入れなければなりません。上から入れると、傾いたりたり、ひっくり返ったりして、上手く収まりません。安藤百福は、寝ても覚めても考え続けました。そしてある晩、ふとんに横たわった時、天井が突然ぐるっと回ったような錯覚に陥ったのです。まるで、天と地がひっくり返ったような感覚でした。その時、またもやひらめいたのです。カップに麺を入れるのではなく、伏せて置いた麺にカップを上からかぶせれば良いのだ!…早速この方法を試してみると、麺はカップにすんなりと収まり、中間にしっかりと固定されました。この「逆転の発想」によって工場での大量生産が可能となり、「カップヌードル」という食の新たな歴史を切り拓く商品が誕生したのです。

新しい食のスタイルを世界へ。 パッケージのひみつ。

「カップヌードル」の開発は、カップ型の容器をつくることから始まりました。飽きずに長く愛されるものをめざし、開発チームは実に40種類近くもの試作品を作成。1ヵ月に及ぶ試行錯誤の結果、カップ麺のスタンダードとなるコップ型容器を採用しました。片手で持てる大きさで、座りがよく、手から滑り落ちない容器は、安藤の理想を体現したものでした。デザインを大阪万博のシンボルマークを手がけた大高猛氏に依頼し、ついに「包装容器」「調理器具」「食器」と3つの機能を併せもつ画期的な容器が誕生したのです。

1971 カップヌードル発売 銀座歩行者天国で若者たちに大ヒット

開発の着想を得てから5年が経った1971年9月18日。さまざまな困難を乗りこえて、世界初のカップ麺「カップヌードル」が誕生。アメリカでコーラ片手に立ったままフライドチキンやハンバーガーを食べる人の姿を見たことで、ファーストフードの時代の到来を確信した安藤百福は、東京・銀座の歩行者天国で試食販売を実施しました。試食販売は回を重ねるごとに人気を呼び、多い日には1日2万食を売り尽くすほどでした。長髪、ジーンズ、ミニスカートという当時最先端のファッションをまとった若者たちが、立ったまま楽しげに食べる様子を見た安藤百福は、食は時代とともに変わることを確信しました。そして「カップヌードル」は、安藤百福の予感通り、その後はじまる日本のファーストフード時代の先駆けとなったのです。

1972 あさま山荘事件 カップヌードルの 認知度が飛躍的に高まる
「カップヌードル」の認知度を飛躍的に高めたのは、皮肉にも世間を揺るがす社会的事件でした。1972年2月19日、連合赤軍が軽井沢「あさま山荘」に立てこもり、その様子は連続10時間20分 (NHK) もテレビ中継されました。この時、雪の中で機動隊員が食べていたのが「カップヌードル」。総視聴率80% (民放含む) に達したこの放送で、「カップヌードル」は思いがけず視聴者に大きくアピールし、その時から、羽が生えたように売れ出して、生産が追いつかなくなりました。
1993 カップヌードルのテレビCM 「hungry?」シリーズが カンヌ国際広告祭で グランプリを受賞
数々の人気テレビCMを世に送り出してきたカップヌードル。1992年からスタートした「hungry?」シリーズは、その単純で明るいユーモアが評判となり、広告コンクールの世界最高峰といわれる『カンヌ国際広告祭』で「シンテトケラス篇」と「モア篇」がグランプリを獲得しました 。
2007 カップヌードル リフィル発売

エコロジーへの関心が高まるなか、詰め替えタイプの「カップヌードル リフィル」が発売されました。従来にはなかったコンパクト設計思想によって、麺の圧縮製法や脱気包装などを工夫し、洗って何度も使える「マイヌードルカップ」との組み合わせで、楽しみながら食べるエコスタイルを提案しました。

2008 ポリスチレン製から 紙製のECOカップへ

発売37年を迎えたこの年、「カップヌードル」は、ポリスチレン製のカップを紙製のECOカップに変更しました。その頭文字のE・C・Oには、「地球のために (For Ecology)」「みんなのために (For Customer)」「おいしさのために (For Originality)」の3つの意味がこめられています。紙は地球にやさしい循環型資源であり、くっきりと印字ができる優れた容器素材です。ECOカップに変わり、製造時の二酸化炭素排出量は22%削減され、アレルゲン一覧や食塩相当量もパッケージに表示するようになりました。また、密封性を高めることで、めん、スープ、具材の風味劣化を抑え、おいしさと鮮度をより一層キープすることを可能にしました。

2009 198kcalの カップヌードル ライトを発売

年々高まる低カロリー志向を受けて誕生した「カップヌードルライト」。麺を揚げずに高温の油を必要最小限だけ麺の表面に吹き付けて熱風乾燥させる「ミスト・エアードライ製法」と、小麦の代わりに食物繊維を練り込んだ「オリジナル3層麺製法」で、わずか198kcalという驚きの低カロリーを実現しました。氷を入れて冷やして食べる「ICEカップヌードルライト」といった新しい食べ方提案や、「カップヌードル」"初"となる「カップヌードルライトそうめん*1」が登場するなど、「カップヌードルライト」シリーズは「カップヌードル」ブランドの新しい魅力を広げています。
*1 「カップヌードルライトそうめん」は「ミスト・エアードライ製法」を使用していません。

2010 カップヌードル ごはんを発売

『カップヌードルがごはんになった!』 まさかの商品が話題となったのは2010年。水を入れて電子レンジで炊きあげる「カップヌードルごはん」シリーズは、具材やスープだけでなく、麺の味やフライした風味も取り入れ、「カップヌードル」の味を忠実に再現。その目新しさから、発売わずか4日で一時販売を休止せざるを得ないほどの大人気商品になりました。「米飯」というまったく新しいカテゴリーからも商品が登場したことにより、「カップヌードル」ブランドのラインアップが大きく広がりました。

To be continued

1971年の発売以来、多くの方々に愛され続けてきた「カップヌードル」、

今ではアメリカ、アジア、ヨーロッパなど

世界80カ国以上で発売されており、

日本を代表するブランドに成長しています。

これからも「カップヌードル」は進化を続け、

国境を越えてお客さまにおいしさと感動をお届けしていきます。

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