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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第7回 『私のデビュー作 パート2』

今岡信治 「デビューまで」 

1994年、12月。「インモラル」という映画で、神代組の助監督についた。それまでピンク映画の助監督を4年やっていて、正直もうやめたいと思って...

降旗康男  第一回作品『非行少女ヨーコ』   

思い起こすと撮影にいたるまでや最中のゴタゴタばかりが浮かび上がって来る。私がいた東映の大泉撮影所では組合と会社の鋭い対立が続き、第二組合も作...

女池 充 「デビューを小分けに」   

どうやったら映画をやれるんだろうって考えていた頃、そこにピンク映画がありました。...

森崎 東  私のデビュ―した頃「人間万事ニワトリはハダシ」   

 私が監督になった1969年は、いわゆる反体制勢力退潮の兆しの見え始めた70年安保を翌年にひかえた「東大時計台陥落」の年であり、...

森田芳光  監督「の・ようなもの」デビュー   

 今考えても恐ろしいくらい僕はドシロウトだった。8ミリの経験こそあったが、35ミリなんてもちろん初めて、俳優のギャラ交渉から、お茶くみまで経...