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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

日本映画監督協会新人賞

日本映画監督協会新人賞は1960年度から始まり(第一回の受賞者は大島渚監督でした)現在まで継続されている、監督協会の大きな活動のひとつです。

この賞は作品賞ではありません。またいわゆる公募の映画コンテストでもなく、年毎に選任される協会内の選考委員会で、その年度内に公開(放映)された作品の監督の中で最もふさわしいと思われた「新人監督」を選び、贈呈されるものです。

対象となる監督の作品は、劇映画・ドキュメンタリー、劇場公開・テレビ放映、フィルム・ビデオ…などの違いを一切問いません。

また例年、監督協会では受賞者の作品を特別上映(或いは試写)し、その場でセレモニーをやって選考委員が選考の過程・理由を発表しその後パーティを開くことになっていますが、このセレモニーのことをあえて「授賞式」とは言わず、「贈呈式」と呼んでいます。 そこには、監督協会が新人に賞を「与える」のではなく、同じ監督として私たちが贈る賞を「もらってもらう」のだという思いが込められています。

贈呈の歴史

第56回 2015年
松永 大司「トイレのピエタ」
第55回 2014年
小林 啓一「ぼんとリンちゃん」
第54回 2013年
市井 昌秀「箱入り息子の恋」
第53回 2012年
島田 隆一「ドコニモイケナイ」
第52回 2011年
砂田 麻美「エンディングノート」
第51回 2010年
大森 立嗣「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」
第50回 2009年
入江 悠「サイタマノラッパー」
第49回 2008年
タナダ ユキ 「百万円と苦虫女」
第48回 2007年
横浜 聡子 「ジャーマン+雨」
第47回 2006年
小林 聖太郎 「かぞくのひけつ」
第46回 2005年
高橋 泉 「ある朝スウプは」
第45回 2004年
井口 奈己 「犬猫」
第44回 2003年
佐々部 清 「チルソクの夏」
第43回 2002年
金 守珍 「夜を賭けて」
第42回 2001年
石岡 正人 「PAIN/ペイン」
第41回 2000年
緒方 明 「独立少年合唱団」
第40回 1999年
塩田 明彦 「月光の囁き」,「どこまでもいこう」
第39回 1998年
豊田 利晃 「ポルノスター」
第38回 1997年
原 將人 「20世紀ノスタルジア」
第37回 1996年
犬童 一心 「二人が喋ってる」
第36回 1995年
利重 剛 「BeRLiN」
第35回 1994年
古厩智之 「この窓は君のもの」
第34回 1993年
岩井 俊二 「ifもしも/打ち上げ花火・下から見るか?横から見るか?」
寺田 靖範 「妻はフィリピーナ」
第33回 1992年
平山 秀幸 「ザ・中学教師」
真喜屋力・中江裕司・當間早志 「パイナップル ツアーズ」
第32回 1991年
周防 正行 「シコふんじゃった。」
第31回 1990年
北野 武(奨励賞) 「3-4X 10月」
渡辺 文樹(奨励賞) 「島国根性」
第30回 1989年
阪本 順治 「どついたるねん」
高嶺 剛 「ウンタマギルー」
第29回 1988年
金 佑宣 「潤の街」
第28回 1987年
山本 政志 「ロビンソンの庭」
第27回 1986年
原 一男 「ゆきゆきて、神軍」
第26回 1985年
澤井 信一郎 「早春物語」
第25回 1984年
該当者なし
第24回 1983年
森田 芳光 「家族ゲーム」
第23回 1982年
該当者なし
第22回 1981年
井筒 和幸(奨励賞) 「ガキ帝国」
第21回 1980年
小栗 康平(奨励賞) 「泥の河」
第20回 1979年
クロード・ガニオン 「Keiko」
第19回 1978年
該当者なし
第18回 1977年
橋浦 方人 「星空のマリオネット」
第17回 1976年
神山 征二郎(奨励賞) 「2つのハーモニカ」
第16回 1975年
該当者なし
第15回 1974年
該当者なし
第14回 1973年
田中 登(奨励賞) 「?女郎責め地獄」
第13回 1972年
伊藤 俊也(奨励賞) 「女囚701号・さそり」
第12回 1971年
東 陽一 「やさしいにっぽん人」
第11回 1970年
小川 伸介 「日本解放戦線三里塚」
第10回 1969年
出目 昌伸(奨励賞) 「俺たちの荒野」
第9回 1968年
該当者なし
第8回 1967年
藤田 敏八 「非行少年・日の出の叫び」
第7回 1966年
中島貞夫 「893愚連隊」
第6回 1965年
熊井 啓 「日本列島」
第5回 1964年
該当者なし
第4回 1963年
該当者なし
第3回 1962年
浦山 桐郎 「キューポラのある街」
第2回 1961年
羽仁 進 「不良少年」
第1回 1960年
大島渚 「青春残酷物語」