航空事故調査報告書概要
1985/08/12発生 ボーイング式747SR−100型JA8119
群馬県多野郡上野村 


▼航空事故調査の経過 

 航空事故の概要 
 日本航空株式会社所属ボーイング式747SR−100型JA8119は、昭和
60年8月12日、同社の定期123便として東京国際空港から大阪国際空港に向け
て飛行中、伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる直前の18時25分ごろ異常事態が
発生し、約30分間飛行した後18時56分ごろ、群馬県多野郡上野村山中に墜落し
た。 
 同機には、乗客509名(幼児12名を含む。)及び乗組員15名、計524名が
搭乗しており、520名(乗客505名、乗組員15名)が死亡し、4名(乗客)が
重傷を負った。 
 同機は大破し、火災が発生した。 

▼認定した事実 

 飛行の経過 
 日本航空株式会社(以下「日航」という。)所属ボーイング式747SR−100
型JA8119は、事故が発生した昭和60年8月12日、同社定期503便、50
4便、363便、366便として、航空機関士(363便及び366便に搭乗)を除
き事故時とは別の運航乗務員により運航された。 

 同機は、366便(東京−福岡)として17時12分に東京国際空港に着陸し17
時17分に18スポットに駐機して、その後123便(東京−大阪)としての飛行準
備のための点検等が行われた。 

 東京航空局東京空港事務所に提出された同機の飛行計画は、計器飛行方式、巡航速
度467ノット(真対気速度)、巡航高度24,000フィート、目的地大阪国際空港
への経路は三原、相良、シーパチ、W27、串本VORTAC、V55、信太VOR
/DME、大阪NDBであり、大阪NDBまでの予定所要時間は54分、持久時間で
表された燃料搭載量は3時間15分であった。 

 同機は、副操縦士の機長昇格訓練のため、機長が右操縦士席、副操縦士が左操縦士
席に位置し18時04分に18番スポットから地上滑走を開始し、その後、18時
12分滑走路15Lから離陸した(以下、付図−1及び別添3、5及び6参照)。 

 同機は、24,000フィートに上昇中の18時16分55秒東京管制区管制所(以
下「東京コントロール」という。)に対し、現在位置からシーパーチ(非義務位置通
報点・大島から253度、74海里)へ直行したい旨の要求を行い、同要求はは18
時18分33秒に承認された。 

 18時24分35秒、同機がシーパーチに向け巡航高度24,000フィートに到達
する直前、伊豆半島南部の東海岸上空に差し掛かるころ、「ドーン」というような音
とともに飛行の継続に重大な影響を及ぼす異常事態が発生し、その直後に機長と副操
縦士によるスコーク77(ATCトランスポンダの緊急コード番号7700の意味)
との発声があり、次いで、18時25分40秒東京コントロールに対し異常事態が発
生したため22,000フィートに降下し、同高度を維持すること及び羽田(東京国際
空港)に引き返すとの要求が行われた。18時25分40秒同機から大島へのレーダ
誘導の要請があり、これに対し東京コントロールは羽田への変針は右旋回か左旋回か
との問い合わせを行ったところ、同機から右旋回を行うとの回答があったので、東京
コントロールは同機に対し大島へのレーダ誘導のため右旋回で針路90度で飛行せよ
との指示を発出し、同機は18時25分52秒これを了承した。同機はその後、伊豆
半島南部の中央付近で若干右へ変針し西北西に向かって伊豆半島を横切り駿河湾上に
出たが、このころから同機には顕著なフゴイド及びダッチロール運動が励起され、こ
れら減少はその後強弱に変化しながらも墜落直前まで続いた。18時27分02秒東
京コントロールは同機に対し緊急状態宣言の確認を行い、次いで「どのような緊急状
態か。」との問い合わせを行ったが同機からの応答はなかった。18時28分31秒、
東京コントロールは同機に対し、再度「大島へのレーダ誘導のため、針路90度で飛
行せよ。」と指示したが、これに対し、18時28分35秒同機から「現在、操縦不
能」との回答があった。 

 同機は、駿河湾を横切り18時30分ごろ静岡県焼津市の北付近の上空を通過した
後、18時31分ごろ右へ変針して北上を始めた。このころ東京コントロールが、同
機に対し「降下可能か。」と問い合わせを行ったところ18時31分07秒同機から
「現在降下中」との回答があり、次いで、現在高度を問い合わせたところ現在高度は
24,000フィートとの回答があった。18時31分14秒東京コントロールが「現
在位置は、名古屋空港から72海里の地点、名古屋に着陸できるか。」との問い合わ
せを行ったところ同機からは「羽田に帰ることを要求する。」との回答があった。 

 18時31分26秒東京コントロールは同機に対し、今後は日本語で交信してもよ
い旨を伝え同機はこれを了承した。 

 18時35分ごろ、同機は富士山の西方約35キロメートルの地点付近の高度23,
000フィートで右へ変針して東へ向かい、その後18時38分ごろ、富士山の北北
西7キロメートル付近から左へ変針して北東に向かって飛行し、次いで18時41分
ごろ山梨県大月市付近の高度21,000フィートから、約3分間でほぼ360度右へ
変針するとともに高度17,000フィートまで降下した。その後の同機は東に向かっ
て急速に降下をしながら飛行し、18時45分46秒同機から羽田へのレーダ誘導の
要請があり、これに対し東京コントロールは「羽田の滑走路は22なので針路90度
をキープして下さい。」との指示を行い、同機はこれを了承した。次いで18時47
分17秒東京コントロールからの「操縦できるか。」との問い合わせに対し「操縦不
能」の送信があった。18時48分ごろ、高度約7,000フィートで同機は東京都西
多摩郡奥多摩町付近上空から左へ変針し西北西に向かって徐々に上昇しながら飛行し、
18時53分ごろ高度約13,000フィートに達した後再び降下を始め18時53分
31秒「操縦不能」を再度送信した。18時54分19秒同機は高度約11,000フ
ィートで東京コントロールの指示により東京進入管制所(以下「東京アプローチ」と
いう。)に交信を切り換えた後18時54分25秒同機から「現在位置を知らせ。」
との要求があり、これに対し東京アプローチは羽田の北西55海里、熊谷の西25海
里の地点を伝達したところ18時54分55秒同機はこれを了承した。次いで東京ア
プローチは18時55分05秒羽田も横田も受け入れ可能である旨を送信し同機はこ
れを了承した。その後は東京アプローチ及び横田進入管制所からの呼びかけに対する
同機からの応答はなかった。墜落地点の南南西3〜4キロメートルの地点での目撃者
(4名)によれば、「同機は東南東の奥多摩の方向からかなりの低高度、低速度で機
首をやや上げて大きな爆音をたてながら飛んできた。飛行機は、我々の頭上を通過し
たがその後北西にある扇平山(標高1,700メートル)の付近で急に右へ変針し東北
東の三国山(標高1,828メートル)の方向へ飛行した。次いで、三国山を越えたと
思われるところで突然、左へ傾き北西方向へ急降下し、山の陰に見えなくなった。そ
の後、同機が隠れた山陰から白煙と閃光が見えた。」とのことであった。 

 同機は三国山の北北西1.4キロメートルの稜線(標高1,530メートル、付図−
13の一本から松の地点)にある数本の樹木に接触し、次いで同地点の西北西約52
0メートルの稜線(標高約1,610メートル、付図13のU字溝の地点)に接触した
後、同地点から更に北西約570メートルにある稜線に墜落した。墜落地点は群馬、
長野、埼玉の3県の県境に位置する三国山の北北西約2.5キロメートルにある尾根
(標高約1,565メートル、北緯35度59分54秒、東経138度41分49秒)
であった。 

 推定墜落時刻は、18時56分ごろであった。 

▼結 論 

▼解析の要約 

 ・一般事項 
 運航乗務員は、適法な資格を有し、所定の航空身体検査に合格していた。 
 当時の気象は、異常事態発生に直接関連はなかったものと認められる。 
 航空保安施設及び航空交通管制機関の機能及び運用状況は正常であったと認められ
る。 
 同機は有効な耐空証明を有し、所定の整備点検が行われていた。 

 ・異常事態発生までの事故機の飛行 
 事故機は昭和60年8月12日、定期便として4回の飛行を行った後、123便と
して18時12分東京国際空港を離陸した。当日の4回の飛行及びその間に行われた
点検整備(123便としての飛行前点検を含む。)において、今回の事故と関連があ
るとみられるような異常及び不具合報告はなかった。 
 離陸後約12分を経過した18時234分35秒ごろ、飛行の継続に重大な影響を
及ぼすような異常事態が発生したが、それまでの飛行は正常なものであったと考えら
れる。 

 ・大阪国際空港における事故による損傷の修理 
 事故機の構造の修理作業を日航がボーイング社に委託したことは、同機がボーイン
グ社によって制作されたこと等からみて、妥当なことであったと認められる。 
 日航とボーイング社との間で合意された修理に関する全体計画は、ほぼ妥当なもの
であったと考えられる。 
 修理計画に従って、事故によって変形した後部圧力隔壁下半部を機体から外し、新
規の後部圧力隔壁下半部の取付作業を進めたところ、隔壁の上半部と下半部のウエブ
合わせ面(L18接続部)において、リベット孔回りのエッジ・マージンが構造修理
マニュアルに記載された値より不足する箇所のあることが発見された。これは、修理
作業において、後部胴体の変形等に対する配慮がやや不足していたことにより生じた
可能性も考えられる。 
 これに対して後部圧力隔壁上半部と下半部との間にスプライス・プレートを一枚は
さんで接続するという適切と考えられる修正措置がとられることになったが、実際の
修正作業では一枚のスプライス・プレートのかわりに修正指示より幅の狭い一枚のス
プライス・プレートと一枚のフィラが用いられ、前述の修正措置とは異なった不適切
な作業となった。 
 修理作業の際の検査及び修理後の検査では、前述の不適切な作業部分を目視検査で
見い出すことはできなかった。 
 今回の修理作業では、作業工程における検査を含む作業管理方法の一部に適切さに
欠ける点があったと考える。 
 このような修理によって、本来2列リベットで結合されるべきL18接続部の一部
が1列リベットで結合されることになり、この部分に強度は本来の接続方法によった
場合に比べて70パーセント程度に低下し、この部分は疲労亀裂が発生しやすい状態
になったものと推定される。 
 このことから、この時点において事故機の後部圧力隔壁は、フェール・セーフ性に
欠けたものになったと考えられる。 

 ・ボーイング式747型機のフェール・セーフ性について 
 ボーイング式747型機のフェール・セーフ設計は、当時の米国連邦航空局の輸送
機の耐空性に関する基準に従って設計されている。 
 耐空性に関する規定は、航空機が備えるべき特性についての要求の最低限を示した
ものであるが、ほとんどあり得ないような事態、あるいは不適切な作業等によって生
じるような事態に対してまでも耐空性を保証するものではないと考えられる。 
 今回の事故のように損壊が連鎖的に進行したことは、同機の開発当時のフェール・
セーフ設計とその後の運用実績を取り入れた点検整備は規定に適合した妥当なもので
あったが、かかる事態の発生を阻止するための配慮まではされていなかったものと考
えられる。 

 ・その後の事故機の運航及び整備の状況 
 昭和53年6月の大阪国際空港における事故による損傷の修理後、今回の事故に至
るまでの間の同機の飛行時間は約16,196時間、飛行回数(着陸回数)は12,3
19回であった。 
 この間に後部圧力隔壁のL18接続部には、1列リベット結合部分を主として多数
の疲労亀裂が発生進展していた。 
 この間の飛行で、今回の事故と関連があるとみられるような異常及び不具合はなか
ったものと考えられる。 
 この間、同機について6回のC整備(3,000時間毎の整備)が行われ、その際に
後部圧力隔壁の目視点検も行われたが、L18接続部のリベット結合部に発生してい
た疲労亀裂は発見されなかった。 
 後部圧力隔壁のC整備時の点検方法は、隔壁が正規に制作されている場合、また、
その修理が適正に行われた場合には当該C整備の時点では疲労亀裂がこの部位に多数
発生するとは考えられないので、妥当な点検方法であると考えられる。 
 しかしながら、今回のように不適切な修理作業の結果ではあるが、後部圧力隔壁の
損壊に至るような疲労亀裂が発見されなかったことは、点検方法に十分とはいえない
点があったためと考えられる。 

 ・異常事態の概要 
 事故機に生じた異常事態の状況は、以下のようなものであったと考えられる。 
 18時24分35秒ごろ、同機が高度24,000フィートまで上昇した際に、与圧
された客室圧力と外気圧との差圧は約8.66psiとなった。後部圧力隔壁のL18
接続部のベイ2の部分は疲労亀裂の進展により残留強度が著しく低下していたので、
その差圧に耐えられず破断し、これを契機としてL18接続部は一気に全面破断した
ものと推定される。 
 その後、破断は隔壁中央部においてはコレクタ・リングに沿って上向きに進み、更
にR6スティフナ及びL2スティフナに沿って上方に進行したものと考えられる。一
方、隔壁外周部に置いては、破断はYコードに沿って上方に進んだものと考えられる。
 
 このように破断が進行した結果、後部圧力隔壁の上半部のウエブの一部が客室与圧
空気圧によって後方に吹き上げられ開口した。開口面積は2〜3平方メートル程度と
推定される。 
 後部圧力隔壁の開口部から流出した客室与圧空気によって尾部胴体の内圧は上昇し、
APU防火壁が破壊されその後方に位置するAPU本体を含む胴体尾部構造の一部の
破壊・脱落が生じたものと推定される。 
 APU防火壁の破壊の直後又はその破壊とほぼ同時に垂直尾翼の破壊が始まったも
のと考えられる。 
 胴体尾部に流出した客室与圧空気の一部が垂直尾翼アフト・トルクボックス下部の
開口部から垂直尾翼内に流れ込み、垂直尾翼の内部圧力が上昇し、アフト・トルクボ
ックスの上半部のストリンガとリブ・コードの取付部がまず破壊したものと推定され
る。その後アフト・トルクボックスの内部構造の破壊、外板の剥離が生じ、フォワー
ド・トルクボックス上半部、アフト・トルクボックスの大半、翼端カバー等の脱落に
至ったものと考えられる。 
 垂直尾翼のアフト・トルクボックスが損壊したため方向舵は脱落し、また4系統の
方向舵操縦系油圧配管もすべて破断したものと推定される。 
 このような同機の破壊は、数秒程度の短時間のうちに進行したものと推定される。
 
 後部圧力隔壁が開口したため、操縦室を含む客室与圧は数秒間で大気圧まで減圧し
たものと推定される。 
 前述した機体の破壊によって、方向舵・昇降舵による操縦機能、水平安定板のトリ
ム変更機能は異常事態発生直後に失われたものと推定される。また、補助翼、スポイ
ラによる操縦機能及び油圧によるフラップと脚の操作機能は異常事態発生後1.0〜1.
5分の間に失われたものと推定される。 
 ほとんどの操縦機能が失われたこと及び横・方向の安定性が極度に劣化したために、
同機では姿勢・方向の維持、上昇・降下・旋回等の操縦が極度に困難な状況になった
ものと推定される。 
 同機では激しいフゴイド運動、ダッチロール運動が生じ、その抑制が難しい状態に
なったものと推定される。 
 同機は不安定な状態での飛行の継続はできたが機長の意図どおり飛行させるのは困
難で、安全に着陸・着水することはほとんど不可能な状態であったものと考えられる。
 
 ・異常事態発生後の事故機の飛行と運航乗務員の対応 
 なんらかの異常の発生を運航乗務員は直ちに知ったが、垂直尾翼の破壊、方向舵の
脱落というような損壊の詳細については、その後も知り得なかったものと推定される。
 異常事態発生後間もなく、運航乗務員は機内の減圧を知り得たものと考えられる。
運航乗務員は最後まで酸素マスクを着用しなかったものと推定されるが、その理由を
明らかにすることはできなかった。 
 異常事態発生後、同機は緊急降下に入ることなく20,000フィート以上の高度で
激しいフゴイド運動、ダッチロール運動を行いながら約18分間飛行した。この間運
航乗務員が緊急降下の意向を示しているのに緊急降下を行わなかったのは、飛行姿勢
の安定のための操作に専念していたためとも考えられるが、その理由を明らかにする
ことはできなかった。 
 また、この間に運航乗務員は低酸素症にかかり、知的作業能力、行動力がある程度
低下したものと考えられる。 
 同機は脚下げ後の降下に移った時点でフゴイド運動もおさまったが、高度約7,00
0フィートまで降下した頃に山岳に近づいたことに気付き、直ちにエンジン出力をあ
げたところ、再び激しいフゴイド運動及びダッチロール運動を伴う不安定な飛行状態
に陥ったものと考えられる。 
 異常事態発生後の運航乗務員は、教育・訓練及び知識・経験の範囲外にある異常事
態に陥ったために、また異常事態の内容を十分に把握できなかったために、さらに機
体の激しい運動と減圧という厳しい状況に置かれていたために、その対応について判
断できないまま飛行を安定させるために専念したものと考えられる。 

 ・事故機の墜落 
 不安定な飛行状態にあった同機は、墜落地点手前の一本から松及びU字溝に接触し、
残っていた垂直尾翼、水平尾翼及びエンジン等はこの時点で機体から分離したものと
推定される。 
 その後、同機は機首及び右主翼を下に向けた姿勢で、墜落地点に衝突したものと推
定される。墜落時刻はDFDR記録及び地震計記録等から18時56分30秒ごろと
推定される。 
 墜落時の強い衝撃で、前部胴体、右主翼は圧壊し、小破片に分断され飛散した。後
部胴体は墜落時の衝撃を受けて分離し、稜線を越えてスゲノ沢第3支流に落下したも
のと推定される。その他の部分は墜落地点を含む広い範囲に飛散した。 
 燃料タンクから飛散したと思われる燃料が炎上し、(H)付近に散乱した残骸等が
焼損した。 

 ・乗客・乗組員の死傷 
 前部胴体・中部胴体内にいた乗客・乗組員は、墜落時の数百Gと考えられる強い衝
撃及び前部・中部胴体構造の全面的な破壊によって、全員即死したものと考えられる。
 後部胴体内にいた乗客・客室乗務員のうち、前方座席の者は墜落時の100Gを超
える強い衝撃で、ほとんどが即死に近い状況であったと考えられる。 
 後方座席の者が受けた墜落時の衝撃は数十G程度の大きさであり、これによってほ
とんどが致命的な傷害を受けたものと考えられる。なお、墜落時の衝撃で客室の床、
座席、ギャレイ等がすべて破壊・飛散したため、これらと衝突して強度の打撲、圧迫
を受けて傷害の程度を深めた可能性が大きいと考えられる。 
 本事故における生存者は4名であり、いずれも重傷を負った。4名とも後部胴体の
後方に着座しており、数十G程度の衝撃を受けたものと考えられるが、衝突時の着座
姿勢、ベルトの締め方、座席の損壊、人体に接した周囲の物体の状況等が衝撃を和ら
げる状態であり、胴体内部の飛散物との衝突という災害を受けることが少なかったこ
ともあって奇跡的に生還し得たものと考えられる。 

 ・事故機の飛行に対する地上からの支援 
 管制・通信による事故機への情報の提供及び同機からの要請についての対応は、お
おむね適切に行われたものと考えられる。 

 ・捜索・救難活動 
 墜落地点は登山道がなく、落石の危険が多い山岳地域であり、夜間の捜索というこ
ともあったため、機体の発見及び墜落地点の確認までに時間を要したことはやむを得
なかったものと考えられる。 
 救難活動は困難を極めたが、活動に参加した各機関の協力によって最善を尽くして
行われたものと認められる。 

▼原 因 

 本事故は、事故機の後部圧力隔壁が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦
系統の損壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能の喪失をきたしたために生じたものと
推定される。 
 飛行中に後部圧力隔壁が損壊したのは、同隔壁ウエブ接続部で進展していた疲労亀
裂によって同隔壁の強度が低下し、飛行中の客室与圧に耐えられなくなったことによ
るものと推定される。 
 疲労亀裂の発生、進展は、昭和53年に行われた同隔壁の不適切な修理に起因して
おり、それが同隔壁の損壊に至るまでに進展したことには同亀裂が点検整備で発見さ
れなかったことも関与しているものと推定される。 

▼所見・建議・勧告・参考事項 

 本事故に関連し、運輸大臣に対し行われた建議等及び各関係機関、航空機製造会社
及び運航会社により講じられた措置等 

公表年月日/報告書番号 
 昭和62年6月19日 航空事故調査報告書 62−2 

Aircraft Accident in Japan by SAKUMA Mitsuo/Former Aircraft accident investigator of M.L.I.T.