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【茨城】

<ひと物語>「坂東まちづくり」初代社長に就任 広井正一さん(69)

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 「温かみというより、人の熱さを感じる。街づくりへの期待が集まっていると思っていきたい」。今秋、坂東市の中心部にオープンする市観光交流センター「秀緑」。ガラス工房やレストラン、観光案内所などが整備された施設を運営する第三セクター「坂東まちづくり株式会社」の初代社長に就任した。地元の食材を生かしたスイーツづくりに着手するなど、ノートいっぱいにため込んできたアイデアを、早速、生かした。

 マスコミ界を一貫して歩んできた。大学卒業後、日本教育テレビ(現・テレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。報道部門に移り、記者として長く活躍したが、四十歳を迎え、デスクワークを任されたのを機に「現場にこだわりたい」と退社。日本テレビ専属のフリーリポーターになった。

 事件や事故、政治など社会の今に飛び込み、現場の声を届けた。朝のワイドショーの担当として、オウム真理教事件、阪神・淡路大震災など全国各地の現場を飛び回ってニュースを伝えた。

 「視聴者はもちろん、取材相手に対しても『信頼』を最も大切にした。ワイドショーの戦国時代だった時期であったからこそ、そこに重点を置いた」。「リポーター冥利(みょうり)に尽きた」と振り返る英国のダイアナ妃の葬儀でも、マイクを握り現地からリポートした。

 その後、学生時代にアルバイトをしていた縁でラジオ関東(現・ラジオ日本)に転身。早朝の情報番組でディスクジョッキーを務め、若い頃から好きだったジャズをはじめ、選曲でも才能を発揮した。

 茨城とかかわるようになったのは、県域AM局「茨城放送」で番組の司会を始めた二〇一一年十月。「東日本大震災から間もなくで、水戸市内の道路も、まだでこぼこしている所があった。被災地だったことを、あらためて実感した」という。戦後七十年の節目だった昨年八月には、戦前からを音楽でたどった番組も編成した。

 古い酒蔵を改修した秀緑。「この会社を百年継続させなければ」と応募動機を力強く宣言した。目玉となる体験もできるガラス工房では、大学や大学院でガラス工芸を専攻した五人の指導員が来館者の指導に当たる。

 「魅力度ランキングが低いと言われるが、外に対する発信だけでなく、自分自身に誇りを持つことが欠けているのでは。もっと“地力”があることを再認識してほしい」と応援する。大子町や笠間市などでも街づくりに加わってきた。今も週一回、自分のラジオ番組を持っている。 (原田拓哉)

 <ひろい・まさかず> 1947年1月、新潟県小千谷市生まれ。新潟県内の県立高校から学習院大文学部に進んだ。卒業後、日本教育テレビにアナウンサーとして入社。その後、日本テレビ、ラジオ関東(現・ラジオ日本)、茨城放送で、リポーターやディスクジョッキー、パーソナリティーとして活躍する。11月23日にグランドオープン予定の秀緑を運営する坂東まちづくり株式会社初代社長。

 

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