様々な格差について書かれている本になっている。所得格差、世代間格差、職業格差、教育格差、情報格差・・・などなど数々の格差について堀江視点で切っている。
当たり前のようだが、格差というのは他人と比べることにより発生する感情みたいなものだ。その感情の本質的なものは妬みというマイナスエネルギーを持つ。このマイナスエネルギーはやっかいなもので、一部の成功者を見て足を引っ張ってやろうとするものだ。
堀江さんは世間の妬みを買い、検察の馬鹿げた捏造によって潰されただけに、世間の妬みの恐ろしさをよく認識していることだろう。とくに13ページにこう書かれている。
大半の人は、格差問題というと経済格差、つまりカネの問題を真っ先に思い浮かべてしまう。それもたいていの場合、自分が経済格差の下にいる人間だと思って、経済格差を憎む。「オレはビンボーなのに、オレより劣っているはずのアイツが何で金持ちなんだ!」「あんなに稼いでいるヤツは、きっと悪いことをしているに違いない!」、そんな風に、嫉妬心に火がついてしまっているのだ。
金持ち批判をしたり、成り上がりの人間を「拝金主義だ」と批判したりする人たちは、あることに気がついていない。それは自分たちの方こそ、カネのことしか考えていないということだ。自分のカネのことが、心配で心配で仕方がない。だから、金持ちを批判する。そういう人を見ると、「カネのこと、少しは忘れろよ」と言いたくなってしまう。
これは俺も堀江氏と完全同意する部分だ。とくに検察による堀江潰しは上に書いている通りだろう。検察は高学歴で自分が優秀だと思い込んでいる連中が多いと思われる。もちろん偏見も含めてそういう傾向があるとレッテルを貼っているが、堀江氏のように何ら違反をしていない人物を潰したところを見ると、まんざらでもないだろう。成功者を引きずり下ろすためなら犯罪をでっちあげてでも潰す姿勢は検察の本性が垣間見える。
実際問題として、日本の貧乏人は結構豊かである。堀江氏も書いているが、貧乏でもマンションを選ばなければ東京の都心に住むことは可能だ。風呂なしトイレ共同なら六本木でも3万円の家賃で住める。郊外ならそれこそ1〜2万円で住める。ようするに生活水準を落とせばいいだけの話だ。
一部の例外的な極端な金持ちを見て、格差を感じるというのが日本人だが、日本の貧乏人は衣食住に満たされているし、テレビなどの家電製品の普及率は99%以上だ。貧乏に見えて、実は結構豊かな生活を送れているのだ。
資本主義という競争が生み出した製品は、量産化や微細加工による生産性向上が可能な分野では値段がどんどん下がる。数年前まで61インチのテレビは150万円してたが、今や当時よりも高性能なのにそれに近いサイズは30〜40万円ぐらいで買える。20年前だったら60インチのテレビなんて誰一人買えなかっただろう。せいぜいホテルのロビーに置けるか否かという世界だ。それが今では一般家庭でも持てるようになったのは、資本主義という競争社会で生まれた科学技術の進歩だ。そして売れる製品を作って金持ちになろうとする欲のおかげだ。
共産主義体制を敷いていた国の国民ではとても買えない製品を、日本人は貧乏でも買えるのだ。当たり前だが、日本の貧乏人は途上国の貧乏人よりも豊かである。
上を見て格差を感じるのではキリがない。格差のない社会などこの世には存在しないのだから、それにいちいち目くじらを立てても意味はない。金持ちを貧乏にしたところで貧乏人は更に貧乏になるだけなのだから。それよりも思考の視点を変えることが重要だ。ということを主に書いている。全く同意である。
無理やりまとめると、一部の特別な人を見て妬むのではなく、いかに自分が生きていくために変われるかを言いたいのだと勝手ながらに思う。結果は分かっていたことだが、無実の罪で収監されてもリクルート江副氏に負けずに気丈であってほしい。
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当たり前のようだが、格差というのは他人と比べることにより発生する感情みたいなものだ。その感情の本質的なものは妬みというマイナスエネルギーを持つ。このマイナスエネルギーはやっかいなもので、一部の成功者を見て足を引っ張ってやろうとするものだ。
堀江さんは世間の妬みを買い、検察の馬鹿げた捏造によって潰されただけに、世間の妬みの恐ろしさをよく認識していることだろう。とくに13ページにこう書かれている。
大半の人は、格差問題というと経済格差、つまりカネの問題を真っ先に思い浮かべてしまう。それもたいていの場合、自分が経済格差の下にいる人間だと思って、経済格差を憎む。「オレはビンボーなのに、オレより劣っているはずのアイツが何で金持ちなんだ!」「あんなに稼いでいるヤツは、きっと悪いことをしているに違いない!」、そんな風に、嫉妬心に火がついてしまっているのだ。
金持ち批判をしたり、成り上がりの人間を「拝金主義だ」と批判したりする人たちは、あることに気がついていない。それは自分たちの方こそ、カネのことしか考えていないということだ。自分のカネのことが、心配で心配で仕方がない。だから、金持ちを批判する。そういう人を見ると、「カネのこと、少しは忘れろよ」と言いたくなってしまう。
これは俺も堀江氏と完全同意する部分だ。とくに検察による堀江潰しは上に書いている通りだろう。検察は高学歴で自分が優秀だと思い込んでいる連中が多いと思われる。もちろん偏見も含めてそういう傾向があるとレッテルを貼っているが、堀江氏のように何ら違反をしていない人物を潰したところを見ると、まんざらでもないだろう。成功者を引きずり下ろすためなら犯罪をでっちあげてでも潰す姿勢は検察の本性が垣間見える。
実際問題として、日本の貧乏人は結構豊かである。堀江氏も書いているが、貧乏でもマンションを選ばなければ東京の都心に住むことは可能だ。風呂なしトイレ共同なら六本木でも3万円の家賃で住める。郊外ならそれこそ1〜2万円で住める。ようするに生活水準を落とせばいいだけの話だ。
一部の例外的な極端な金持ちを見て、格差を感じるというのが日本人だが、日本の貧乏人は衣食住に満たされているし、テレビなどの家電製品の普及率は99%以上だ。貧乏に見えて、実は結構豊かな生活を送れているのだ。
資本主義という競争が生み出した製品は、量産化や微細加工による生産性向上が可能な分野では値段がどんどん下がる。数年前まで61インチのテレビは150万円してたが、今や当時よりも高性能なのにそれに近いサイズは30〜40万円ぐらいで買える。20年前だったら60インチのテレビなんて誰一人買えなかっただろう。せいぜいホテルのロビーに置けるか否かという世界だ。それが今では一般家庭でも持てるようになったのは、資本主義という競争社会で生まれた科学技術の進歩だ。そして売れる製品を作って金持ちになろうとする欲のおかげだ。
共産主義体制を敷いていた国の国民ではとても買えない製品を、日本人は貧乏でも買えるのだ。当たり前だが、日本の貧乏人は途上国の貧乏人よりも豊かである。
上を見て格差を感じるのではキリがない。格差のない社会などこの世には存在しないのだから、それにいちいち目くじらを立てても意味はない。金持ちを貧乏にしたところで貧乏人は更に貧乏になるだけなのだから。それよりも思考の視点を変えることが重要だ。ということを主に書いている。全く同意である。
無理やりまとめると、一部の特別な人を見て妬むのではなく、いかに自分が生きていくために変われるかを言いたいのだと勝手ながらに思う。結果は分かっていたことだが、無実の罪で収監されてもリクルート江副氏に負けずに気丈であってほしい。
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