小田急80年史

躍進する小田急
※掲載内容(本文)は2007年当時のものです。
そのため、現在の状況と異なる説明、名称等が掲載されている場合があります。
輸送力の増強と施設の充実
 輸送力増強の一環として進めてきた大型10両編成運転計画の関連工事が完成し、1977年7月から本厚木〜新宿間で急行の10両運転を開始。翌1978年3月からは営団地下鉄千代田線との相互直通運転に伴い、準急の10両編成運転もはじまりました。これらにより、平日朝方ラッシュ時における世田谷代田〜下北沢間の1時間当たり混雑率は、210%から200%程度に改善されました。
  1985年3月、小田原線新松田〜栢山間に開成駅が開業しました。開成町が施行する土地区画整理事業に合わせて1982年から工事を進めていたもので、1975年4月の小田急多摩センター駅以来10年ぶりの新駅誕生でした。また、1990年3月には多摩線の小田急多摩センター〜唐木田間(1.5km)の延伸工事が完成して、唐木田駅が営業を開始し、唐木田車両基地も新設されました。
  1987年3月には相模大野駅構内に、小田急型列車運行管理システム(OTC)を導入した新運転司令所が完成しました。同システムは安全・正確な運行を確保する上で要となるもので、同年2月の江ノ島線を皮切りに各区間での試使用を経て、1990年7月、多摩線に同装置が設置されて全線のOTC化が実現しました。
  次いで1991年3月、当社線新宿〜JR沼津間で東海旅客鉄道?(JR東海)と相互直通運転を開始しました。旧国鉄時代の1955年から新宿〜御殿場間に当社の列車が乗り入れていましたが、国鉄民営化に伴って乗り入れ区間と乗り入れ方式などを変更したもので、新型ロマンスカー20000形が就役し、一層のサービス向上が図られました。
 また、駅施設の大規模改良や駅ビルの建設は、1993年完成の渋沢駅の橋上駅舎化をはじめ、大和、六会、相模大野、秦野などの駅が相次ぎました。中でも相模大野駅はホテルセンチュリーと大規模店舗で構成された駅ビルに生まれ変わりました。利用者サービスの面では、1996年8月にはCS(顧客満足)システムの一環として、利用者の声を幅広く収集するとともにそれらの情報を分析し、今後の企業活動に生かすため「小田急ボイスセンター」を設置しました。なお、2004年12月、当社の電話案内窓口として、「小田急ボイスセンター」と「ロマンスカー予約センター」が統合し、「小田急お客さまセンター」を設立しました。
 2001年4月には全社コンピュータネットワークを活用して、お客さまのお忘れものをすべての駅で検索できる「お忘れもの検索システム」を、7月には携帯電話を利用した特急券購入・特急チケットレス乗車サービスを鉄道業界で初めて導入するなど、IT技術を用いたサービス向上に積極的に取り組みました。
 また、2004年12月には黒川〜小田急永山間に当社70番目の駅としてはるひ野駅が開業しました。
  さらに、2005年3月には箱根観光専用のロマンスカーとして50000形が就役。風景を存分にお楽しみいただけるよう、ロマンスカーの代名詞でもある展望席を復活させたほか、ゆとりあるシートピッチにより居住性の向上も図りました。
 

開成駅開業

 

新型ロマンスカー20000形就役

 

はるひ野駅開業

 

新型ロマンスカー50000形就役

複々線化事業の推進

喜多見〜和泉多摩川間は、
1997年6月のダイヤ改正から使用開始

 

喜多見電車基地

 

世田谷代田〜喜多見間は、
2004年12月のダイヤ改正から使用開始

   首都圏の交通網の一翼を担う当社にとって最大の課題は、東北沢〜和泉多摩川間(10.4km)の複々線化です。1980年度に146万人だった1日の平均輸送人員が1985年度には166万人と約14%増加し、抜本的な輸送力の改善には、複々線化の早期実現が急務となってきました。
 当社では、地域の街づくりに資する連続立体交差事業と連携し、1989年7月に喜多見〜和泉多摩川間(2.4km)を、1994年12月には世田谷代田〜喜多見間(6.4km)をそれぞれ着工しました。
  このうち1997年3月に竣工した喜多見〜和泉多摩川間は、同年6月のダイヤ改正から使用開始し、これにより一部列車の所要時間の短縮とともに前記区間内の13ヵ所の踏切が除却され、街の一体化が図られました。また、2004年11月には世田谷代田〜喜多見間(6.4km)の複々線化が完成し、同年12月のダイヤ改正から使用を開始しました。
  東北沢〜世田谷代田間(1.6km)については、鉄道の立体化の構造形式について関係機関で検討を行ってきましたが、2003年1月に4線地下式(下北沢駅2層構造)で都市計画変更決定がなされました。
 なお、東北沢〜和泉多摩川間の複々線化の機能を最大限に活用するため、1999年10月、関連工事として和泉多摩川〜向ヶ丘遊園間の橋梁架け替えおよび暫定3線化工事にも着手し、2008年度の完成を目指して鋭意工事を進めています。(※2009年3月の切り替えを経て3線化が完了し、使用開始)
  一方、1990年11月、喜多見電車基地(120両収容)および喜多見総合事務所の建設に着手し、1994年3月に完成して使用を開始しました。これに伴い小田急線の開業とともに誕生した経堂電車基地は、約70年に及ぶ歴史に幕を閉じました。
不動産賃貸業の拡充

 1982年3月に本厚木駅ビルが完成したことに伴い、ショッピングセンター「本厚木ミロード」ならびに「小田急厚木ホテル」が開業しました。
  次いで、1984年10月には「新宿ミロード」が開業。同店舗は、地下2階地上10階建てで、コンセプトは「ヤング志向の強いテナントによる専門店ビル」として、南口の界隈性の創造と活気ある街づくりに向けて大きく歩み出しました。
  さらに新百合ヶ丘駅周辺の新しい核となる複合施設「新百合ヶ丘エルミロード」が、1992年11月に開業しました。地下2階地上8階建てで、キーテナントとなる量販店は、小田急商事?が運営する食料品とイトーヨーカドーが出店しました。
  また1996年11月に開業した「小田急相模大野ステーションスクエア」は、相模大野駅の施設改良に合わせて建設を進めていたもので、地下4階地上14階塔屋1階建てで、コミュニティー型複合商業施設として話題となりました。
  また、2000年12月には、小田急百貨店別館ハルクを営業してきた東京建物ビルを買収、当社の賃貸ビルとしてIT家電量販店を誘致しました。

 

新宿ミロード

 2002年4月には、海老名駅東口に複合型商業施設VINA WALK(ビナウォーク)が開業。同商業施設は6館の施設で構成され、ビナウォーク全体で約110の専門店が出店しています。
 一方、高架・複々線化事業で成城学園前駅のホームが地下化されたことに伴い、創出されたスペースに建設した「成城コルティ」が2006年9月オープンしました。同施設は物販・飲食店、保育所やクリニックなど約40店舗で構成されています。
 また、高架・複々線化事業によって世田谷代田〜和泉多摩川間では約8kmにわたる高架下空間が創出されたことで、このスペースを有効活用し、レンタル収納スペースや駐輪・駐車場などさまざまな事業を展開しています。

 

VINA WALK(ビナウォーク)

 

成城コルティ

 

小田急クロ−ゼット

不動産分譲事業の拡充

「小田急やくし台」の分譲建物

 

「開成庭園の杜パレットガーデン壱番館」

 

「ガーデンアリーナ新百合ヶ丘」

 
   1960年代後半以降は、宅地分譲主体から戸建て主体の傾向が強まり、1973年分譲開始の「あかね台」は初期を除き大部分が、また1976年に分譲開始した「くず葉台」はすべてが戸建てとなり、その後1977年の「町田金森団地」や1979年の「学園奈良団地」も後半は戸建てが主体になりました。さらに、1975年ごろから買い換え需要の増大などで仲介市場の規模が拡大され、当社および小田急不動産?は仲介業の充実に努めるようになりました。主な区画整理事業は、1977年12月に多摩線沿線区画整理事業第1号として柿生第二土地区画整理事業が、1982年には栗木第一土地区画整理事業と柿生第一土地区画整理事業、1985年5月には鶴川第三土地開発造成工事、1987年3月には鶴川第二土地造成工事、平成2000年5月には栗木第二土地区画整理事業がそれぞれ完成しました。
 特に、1981年5月から着手した町田市薬師池公園に隣接する鶴川第三土地の宅地造成工事は、当社が手がけた開発事業の中でも大規模なもので、開発総面積は約32万m2。この地区は東京都の緑化協定第1号として認定され、事業者と住民が協力して「みんなで緑を守る」を合言葉に、緑道の設置をはじめ、各家の道路に面している部分はブロックや石垣を避け、すべて生垣にしました。これらの採用により、「歩く人の街・やくし台分譲地」が誕生し、緑豊かで快適な生活のスタートとなりました。
 また、2004年には海老名東口駅前に分譲マンション「VINA MARKS(ビナマークス)」が竣工しました。さらに、開成駅から徒歩2分の好立地に広がる、総開発面積44,000?におよぶ複合型開発エリア「開成庭園の杜」では、高層マンション「開成庭園の杜パレットガーデン」を建設。壱番館が2003年、弐番館が2005年、参番館が2006年に竣工しました。
 一方、新百合ヶ丘駅北側において進められてきた「万福寺土地区画整理事業」の一環として、敷地面積約33,000?、総戸数697戸の大規模マンション「ガーデンアリーナ新百合ヶ丘」の建設を進めています。(※2007年2月竣工)
都市ホテルへの進出とリゾートホテルの一新
 1965年ごろから新宿西口の新都心街区が大きく動き出しました。1971年6月に京王プラザホテルがオープンすると、3年後には新宿住友ビル、国際通信センタービル、新宿三井ビルなどの超高層ビルが続々と誕生。当社も第一生命保険(相)と共同で取得していた用地にホテルとオフィスの複合ビルを建設することになりました。
  同ホテルは地下4階、地上28階、客室800室、メインロビーは床上30mのアトリウムを構成し、そこに吊るされた豪華なシャンデリアやシースルーエレベーターが話題を呼びました。米国の国際的なホテル会社ハイアットインターナショナル社と提携し、名称を「ホテルセンチュリー・ハイアット(現・ハイアット リージェンシー 東京)」として、1978年5月に起工式を行い1980年9月に開業しました。ホテル事業は小田急グループの観光事業の大きな柱であり、特に当ホテルは本格的な都市ホテルとして、国内外のお客さまから高い評価を得ています。
  このほかのホテルとしては、国際観光?運営の箱根ハイランドホテルと山のホテルがそれぞれ1977年4月と1978年5月に、箱根観光船?運営の箱根レイクホテルが1977年6月に全面的な改造を施して装いを一新しました。
  1998年3月には、新宿駅南口から代々木方面に約350mの遊歩道「新宿サザンテラス」と、ホテル、オフィス、ショップからなる36階建ての超高層複合ビル「小田急サザンタワー」が開業。小田急サザンタワーの18〜35階にオープンした小田急ホテルセンチュリーサザンタワーは、宿泊に特化した新しい都市型ビジネスホテルとして好評を博しています。
 

ハイアット リージェンシー 東京

 

小田急ホテルセンチュリーサザンタワー

グループ機能の強化

箱根ロ−プウェイ

 

ホテルはつはな

 

新型海賊船「ビクトリ−」

 
   小田急不動産?は、土地所有者と共同で行う等価交換事業を「ジョイン」と命名し、社内に専門部署を新設して検討を進めてきましたが、その第1弾として1981年7月、高級マンション「小田急千駄ヶ谷22番館」が完成しました。  また、神奈川中央交通?では、同年11月、自社本社跡地に神奈中ビルを建設し、「平塚グランドホテル」としてオープン。1986年3月には、箱根登山鉄道?が小田原駅東口にビジネスホテル「ホテルとざん小田原」を、1993年4月には、国際観光?が箱根奥湯本に「ホテルはつはな」を、1997年5月には、?ホテル小田急静岡がJR静岡駅南口に「小田急ホテルセンチュリー静岡」をそれぞれ開業しました。  一方、1983年には、高度情報化時代に対応するため?小田急情報サービスを設立してCATV事業に進出しました。
 1988年12月には流通・飲食関係事業の多様化を図るため、?北欧トーキョーを設立。さらに1990年10月、外食部門の再編・強化と新規事業の展開を目的に、?小田急レストランシステムを設立するなど、事業の充実を図りました。
 1989年8月には、「小田急西富士ゴルフ倶楽部」が完成し、法人会員制のゴルフ場としてオープンしたほか、翌1990年10月には、神奈川中央交通?が静岡県中伊豆町にゴルフ場「中伊豆グリーンクラブ」を、9年11月には小田急不動産?が千葉県佐倉市に「小田急志津ゴルフクラブ」を、それぞれ開業しました。  箱根観光船?では、1996年11月、同社初の船尾外輪型旅客船「フロンティア号」を、2007年3月には新型海賊船「ビクトリ−」の営業運転を開始したほか、箱根ロープウェイ?では、2000年12月から進めていた早雲山〜大涌谷駅間のロープ架け替え工事が完成し、2002年6月から運行を再開しました。
 一方、グループの業務の効率化と収益力の強化を図るため、1998年2月、園芸事業の一部と造園事業を分離して?小田急ランドフローラを、2001年4月にはバス事業部門を分離して小田急箱根高速バス?を設立しました。
  また、2002年2月にはホテル事業の持株会社として事業を統括する?小田急ホテルズアンドリゾーツを、同年3月にはグループ各社の経理業務と資金の一元管理会社として?小田急フィナンシャルセンターを、それぞれ設立しました。
  さらに、2004年10月、小田急グループの箱根エリアにおける事業を統括する小田急箱根ホールディングス?を、2005年10月には小田急保険サービスを立ち上げ、小田急グループの損害保険、生命保険の保険代理業務を一元化しました。 一方、少子高齢化や核家族化などの社会情勢を見据えて、2006年9月介護と保育の専門会社?小田急ライフアソシエを設立しました。
地域社会との共存共栄
 小田急グループは、鉄道事業を基軸に、流通、不動産・建設、ホテル・レストラン、観光・レジャーなど、生活に密着したさまざまな事業を、小田急線沿線エリアを中心に展開しています。
  こうした日ごろのご愛顧に感謝するとともに、沿線地域のみなさまにご理解を深めていただき、今後の沿線地域社会の発展を共に実現していきたいという思いから、小田急グループではさまざまな社会貢献活動や地域コミュニケーション活動を行っています。
  1984年には、地域社会の福祉増進への寄与を目的とした小田急厚生事業団(現・小田急電鉄事業団)と、奨学金の給付や都市環境整備に関する研究助成を行う安藤記念奨学財団をそれぞれ設立し、社会公共の利益に貢献する体制を整えました。
  また、毎年1万人規模の関係者が集う「やまゆり杯 小田急旗争奪 神奈川県家庭婦人バレーボール大会」を、1984年の第9回大会から協賛し、グループ規模でその運営をサポートしているほか、沿線地域の家庭婦人バレーボールの技術指導も行っており、生涯スポーツとしてのバレーボールを通じた健康づくりや、地域コミュニケーションの活性化にも貢献しています。
  さらに近年では、環境への配慮や自然との共生活動にも鋭意取り組んでいます。箱根や江の島をはじめ、沿線各地での社員による清掃活動や、植樹活動・自然観察会などを積極的に実施し、沿線地域の自然保護はもとより、地域環境の向上にも寄与しています。
  今後も、沿線地域のみなさまとのより深い絆を構築し、一層魅力ある生活環境を共に創造すべく、積極的なコミュニケーション活動を行ってまいります。
 

やまゆり杯

初期の小田急
(1923 - 1947)
新生と復興
(1948 - 1960)
多角化と鉄道の近代化
(1961 - 1976)

躍進する小田急
(1977 - 2007)