愛ちゃんの陰に卓球強国、中国人留学生コーチあり!

湯さん(右)と愛ちゃん(中央) 男女合わせ、8人の代表選手をアテネ五輪に送り込む卓球。成長した天才卓球少女、初出場の福原愛(15)=ミキハウスJSC=に注目の熱い視線が注がれる。その愛ちゃんを支えるのが、卓球強国、中国人留学生の湯媛媛コーチ(21)だ。02年12月に、青森大の留学生として来日。愛ちゃんと同居しながら、ピンポン魂を植えつけ、五輪出場権獲得へ後押しする。〔写真:姉、妹感覚で二人三脚。湯さん(右)と愛ちゃん(中央)の息はピッタリ

 まるで“影”。背後にピタリと寄り添う。愛ちゃんは公私に渡って、ある中国人女性と行動をともにしているのだ。

 「五輪に出場できるのは、コーチの力があったからだと思います。タンさんに感謝したい」

 今年4月の五輪出場会見で、愛ちゃんが真っ先に口にした名前。『タンさん』こそ、中国人留学生の湯媛媛コーチだ。2人の出合いは、4年前の中国合宿だった。遼寧省の卓球チームの主将だった湯さんは、練習パートナーで参加。2年後の02年10月の合宿で再会し、今度は父・武彦さん(61)から専属コーチに“スカウト”された。

 「中国でも有名だったので、愛ちゃんのことは知っていました。かわいいし、若いなというのが第一印象。実際に会ってみて、教えたいと思ったんです」。当時、湯さんはオランダへの留学を考えていた。だが、“有名少女”の頼みでは断れない。青森大学留学生として12月に来日、福原家に同居した。当初は日本語を話せず、愛ちゃんとの会話は中国語。寝食をともにする間に上達し、現在はSMAPの大ファンで、夜はテレビにかじりついている。

 9歳で親元を離れ、遼寧省の運動技術学院の寮で生活した湯さん。16歳のときにも1年間、オランダに留学した。豊富な経験を生かし、コーチと友達の顔を使い分ける。多感期の愛ちゃんには、まさに精神的支柱だ。

 「練習ではケンカもします。厳しくなくちゃ勝てない。愛ちゃんのレベルが上がったら、どれだけ疲れていても楽しいよ」。五輪出場の“ご褒美”に、先月9日に初めてディズニーランドに行った。アテネでは祖国の中国勢が強力ライバルだが、湯さんは異国の“妹”のメダル獲得を願っている。

★湯 媛媛(タン・エンエン)
 1983年1月5日、中国遼寧省・撫順市生まれ、21歳。9歳で遼寧省の運動技術学院に入学し、卓球のジュニアチームに所属。16歳で1年間、オランダに留学した。国際大会出場経験はないが、高校3年で卓球チームの主将を務める。02年12月に来日、現在は青森大学でコンピューターを専攻。1メートル63、体重58キロ。

★世界の勢力★
 中国勢が群を抜いており、男子の世界ランクはトップ3、女子はトップ5までを占めている。男子は中国対欧州、オセアニア勢の構図で、1位の王皓(中国)を中心に、昨年世界王者のシュラガー(豪州)、ボル(ドイツ)、サムソノフ(ベラルーシ)が争う。女子の注目は2大会連続の金メダルを狙う王楠(中国)、アジア最終予選を制した牛剣鋒(中国)。韓国勢、北朝鮮勢、香港勢がそれに続く。日本勢はダブルスの梅村礼、藤沼亜衣組にメダルの期待がかかる。

★五輪日本史★
 1931年に日本卓球協会の前身、日本卓球会が創立。52年にはインド・ボンベエでの世界選手権に初参加し、7種目中4種目で優勝を飾った。56年に世界選手権を日本で開催して以来、国際舞台で主導権を握る。87年には荻村伊智朗氏が、国際卓球連盟会長に就任した。また、77年に実業団チームによる日本リーグが発足。五輪では88年のソウル大会から正式種目となり、女子ダブルスで星野美香、石田清美組が4位。96年のアトランタ大会では、3種目で5位入賞を果たした。

★日本と中国★
 卓球界では長年、ライバル関係を築いていた。ここ数年は中国の台頭におされているが、その一方で人材交流も盛んだ。92年には元世界王者・小山ちれが中国から日本に帰化し、96年アトランタ、00年シドニーと2大会連続で五輪出場。今大会で五輪初出場の新井周も99年に帰化している。また、福原は1年に3カ月のペースで中国合宿を行い、遼寧省の卓球チームに所属。小西杏、四元奈生美は中国プロリーグに参戦している。

▼ルール 直径4センチ、重さ2・7グラムのボールを、ラバーのついたラケットで打ち合う。サービスは自分側のコートに1度、相手側のコートに1度ずつバウンドさせ、2球目以降は相手のコートを狙う。サーブ権は2本ずつで交代、1ゲーム11点制で4ゲーム先取の7ゲームスマッチで行われる。各ゲームで10−10になった場合、一方が2点続けて得点するまで勝負が決まらない。また、ダブルスでは相手コートの対角線へ、ペアを組んだ2人が交互に打つ


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