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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第5回 高田馬場・その1【第4水曜配信】

    2017-02-22 07:00  
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    〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回からは高田馬場編が始まります。学生街と盛り場が奇妙に入り混じった街を歩きながら、90年代雑誌文化の片隅で存在感を放った「エロ本」文化圏を振り返っていきます。

    第5回「高田馬場・その1」
     いつの間にか、冬になっていた。
     フリーランスの生活は昼夜逆転になりがちで、用事以外で朝から外出するのは辛い。
     今日は巣鴨から山手線に乗り、高田馬場へ行く。
     いくつも会社を転々としていた中でも、もっとも長く通っていた街だ。
     かつての職場──白夜書房がある街で、辞めた後に入った別の会社もまた高田馬場だったからだが、15年ほど前、完全にフリーランスとなってからは、ほとんど訪れていない。
     東京都内──中央線沿線に住んでいるのに、巣鴨から向かったのは、カプセルホテルやビジネスホテルに泊まることが、気分転換を兼ねた趣味だからだ。
     とはいえ、会社勤めをしていた頃、巣鴨に泊まったことはない。
     会社勤めをしていた頃は、「グリーンプラザ新宿」という西武新宿駅横の巨大カプセルホテルによく泊まっていたが、建物の老朽化なのか、昨年のクリスマスに閉店してしまった。
     新宿でも池袋でも良かったのだが、考えてみると、大半の安宿は制覇していたから、わざわざ巣鴨のカプセルホテルに泊まっていた。
     3000円以下でコトブキシーティングのSPACE Dカプセルベッドに泊まれることには驚いたが、ごく一部のマニアにしか面白くない話なので、省略する。
    ■■■
     JR高田馬場駅の発車メロディは、いつの間にか『鉄腕アトム』のテーマになっていたが、早稲田口の風景自体はそれほど変わっていないように思えた。
     たぶん、高架橋周辺の煤けた暗さが昔のままだったからだ。
     覆い隠すように手塚治虫の漫画のキャラクターたちを壁画にしているのだが、低くて暗いガード下のどんよりした空気は変わらない。
     かつては、徹夜明けの早朝に通ると、土建屋のトラックが日雇い労働者を運んでいく光景もよく見かけた。
     高田馬場から小滝橋通りの坂を登り、新大久保へ向かう中間地点の西戸山に日雇い労働者向けの職業安定所があり、その周辺がドヤ街になっていたからだ。
     山谷や釜ヶ崎ほど有名ではなかったが、敗戦直後から昭和の終わり頃まで、戸山ヶ原──百人町のドヤ街は、それなりの規模だったらしい。
     戦前、このあたりには帝国陸軍の施設が立ち並んでいたのだが、戦時中の空襲で焼け野原になり、跡地はまるごと巨大な貧民窟と化した。
     やがて、新大久保側は1950年に建設されたロッテ新宿工場を中心にコリアンタウン化していくのだが、高田馬場側には戸山ハイツなどの都営住宅が建設され、急速にスラムクリアランスされていった。
     両者の中間地点である西戸山の一角だけが、ドヤ街として取り残されていたのだが、それも平成に入ると、徐々に縮小されていく。
     早朝のトラックはその時代の名残りだった。もっとも、高田馬場側に残っていたのはそれくらいなのだが、駅前のガード下はいつもどんよりとしていた。
     だからこそ、手塚治虫キャラクターの壁画で明るくしようと思ったのだろうが、小学生時代の夏休みをまるまる使って講談社の手塚治虫漫画全集を全巻読破していた筆者は、シュマリが祭り好きの陽気なおっさんであるかのように描かれていることに毎朝、苦笑いを浮かべていた。
     それ以前に、完全に手塚ダークサイドの住人である、奇子や結城美知夫といったキャラクターは描かれていない。
     スラムクリアランスと「死者の聖化」という利害の一致から描かれた壁画も、結局、どんよりとした空気を払拭することはできず、中途半端に風景の一部となっている。
     なお、西戸山の職業安定所──ハローワークはその役目を終えたのか、労働基準監督署になり、ロッテ新宿工場も2013年に閉鎖された。チューインガムの生産ラインはマリーンズの二軍本拠地でもある浦和工場へ集約されたらしい。
     大型タワーマンションも次々と建てられ、往時の風景はすっかり消えたと思っていたが、昨年秋、西戸山公園で寄せ場のショバ代を脅し取ろうとした極東会系の暴力団員が逮捕されていた。
     ということは、早朝のトラックも残っているのだろうか。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第4回 秋葉原・その3 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.776 ☆

    2017-01-24 07:00  
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    更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー第4回 秋葉原・その3
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2017.1.24 vol.776
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』の第4回をお届けします。
    80年代末、宮崎勤事件により社会的に糾弾されたオタクカルチャーは、90年代になると最適化/畸形化から実験的な美少女ゲームを生み出します。「理系文化」としてのポルノグラフィの隆盛から、web社会という「巨大な子供の国」に至る過程を振り返ります。

    ▼プロフィール
    更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
    1975年生。〈元〉批評家。90年代以降、批評家として活動。2009年『批評のジェノサイズ』(宇野常寛との共著/サイゾー)刊行後、病気療養のため、活動停止。2015年、文筆活動に復帰し、雑誌『サイゾー』でコラム『批評なんてやめときな』連載中。
    本メルマガで連載中の『90年代サブカルチャー青春記』配信記事一覧はこちらのリンクから。

    前回:更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第3回 秋葉原・その2

    ■第4回「秋葉原・その3」
     昼食を終え、再び万世橋を渡ると、「安心お宿」というカプセルホテルにチェックインする。カラオケボックスで知られるパセラリゾーツのホテル部門だ。
     夜、仕事の打ち合わせがあるので、その前に風呂に入りたかったのだ。
     秋葉原には、昌平橋の裏手に「神田アクアハウス江戸遊」というスーパー銭湯があり、朝まで営業している。
     料金も手頃なので、昔は深夜によく立ち寄っていたが、昌平橋より万世橋の方が駅に近く、宿泊できるなら、割高でも使い勝手が良い。
     特に、15時にチェックインして12時にチェックアウトできる滞在時間の長さは、睡眠時間帯が一定ではないフリーランスには有り難い。
     二階にはフリードリンクの漫画喫茶風なラウンジがあり、夜はかなり混んでいるが、16時ではそれほどでもない。
     打ち合わせの内容も定期報告が大半で、たいしたものではないが、書類のやり取りはあるので、手持ちのノートパソコンで資料をまとめ、備え付けのプリンターで印刷する。
     ビジネスホテルの機能もだいたい揃っている。
     はじめてカプセルホテルに泊まったのは、1985年の国際科学技術博覧会――つくば科学万博だ。
     当時の筑波研究学園都市は開拓されたばかりの原野で、宿泊施設は著しく不足していた。
     そのため、急ごしらえでプレハブ建てのカプセルホテルが建てられたのだ。
     存在を知ったのは、たぶん、赤塚不二夫が描いた子供向けの『ニャロメの非公式科学万博おたのしみガイドブック』(学習研究社)という本で、万博に相応しい未来の宿泊施設、とかなんとか紹介されていた。
     もっとも、カプセルホテル自体は、1979年に大阪で発明されている。
     つくば科学万博の時点では、ほとんど知られていなかったが。
     小学生の筆者と共に泊まった父親は「カイコ棚のドヤだな」と呆れたが、未来的イメージを纏わせて、別物を装うあたり、いかにも日本らしい発想だ。
     後に、設計者は黒川紀章で、氏が得意としていたメタボリズム建築の延長線上にあったと聞いた。
     なるほど、新橋の中銀カプセルタワービルと同じ発想だったのだ。
     とはいえ、1985年の貧しかったカプセルホテルと比べると、現在のカプセルホテルは充実している。
     もうひとつ、つくば科学万博の記憶を付け加えると、本当は国鉄の臨時寝台列車「エクスポドリーム号」に乗りたかった。だが、予約は埋まっていた。
     これは、始発の土浦駅で一晩停車し、翌朝、そのまま万博中央駅へ向かうだけの、わずか10km足らずの夜行列車だった。
     そんな奇妙な手段を講じなければならないほど、宿泊施設の不足は深刻だった。
     そもそも、東京や横浜からの日帰りが不可能に近いほど、交通の便が悪かったのだ。
     秋葉原とつくば市をわずか45分で結ぶ「つくばエクスプレス」が開通したのは、万博から20年後の2005年で、筆者は『つくば科学万博クロニクル』(洋泉社)という本の企画に関わっていた。
     懐古的な文章をいくつも書いたが、科学技術に彩られた未来予想図は、未来から振り返ると、面白くも滑稽なものばかりだった。
     だが、80年代の少年少女が抱いた科学技術……ハイテクノロジーへの幻想は、それまでの「文系文化」だったサブカルチャーとは違う、「理系文化」を形成していくことになる。
     未来予想図には記されていなかった、最適化/畸形化されたポルノグラフィを開拓しながら。
    ■■■
     秋葉原へ通うようになったのは、高校時代――1992年頃だ。
     父親が転勤族で、小学校時代は横浜で暮らしていたから、遊び場は横浜駅か伊勢佐木町だった。ラジオ会館のNEC Bit-INNは噂に聞いていたが、秋葉原は遠かった。
     中学校の三年間は、日本にすらいなかった。東南アジアのとある国で暮らしていた。海外転勤した父親がそのまま脱サラし、現地で会社を興してしまったのだ。
     バブル経済の真っ盛りとはいえ、経営は厳しく、日本人学校の担任からは「お前の父親は寄付金が少ない」と罵られ、殴られた。
     草なぎ剛主演のテレビドラマ『嘘の戦争』(関西テレビ)の冒頭で、現地在住の日本人が日本人を騙す、バンコクでの日日詐欺が描かれていたが、日系企業の転勤族以外でわざわざ東南アジアへ流れてくるような人間は、その半分以上が屑だ。
     日本人学校の教師も例外ではなく、親の寄付金の多寡で殴る生徒を選んでいた。帰国後に調べたところ、この羽山(仮名)という体育教師は、過去に千葉の中学校で暴力事件を起こしていた。
     資金繰りに困り、社員の給料をゲンティン・ハイランドというリゾート地のカジノで稼いで払ったこともあった。父親は「最低限、稼ぐだけなら、方法はある。まったく面白くないがな」と言っていた。
     そんな調子であるから、三年間、一度も一時帰国できなかった。
     LCCのエア・アジアもない時代だ。往復の航空運賃だけで三十万近くかかるから仕方なかったのだが、同時にそれは、昭和天皇崩御から宮崎事件にかけての数年間を体感していない、ということだ。
     宮崎事件の顛末自体は数日遅れで届く新聞で知っていた。しかし、一ヶ月遅れで届くテレビ番組の録画ビデオの大半はドラマやアニメで、ワイドショーはなかった。
     だから、テレビで加熱していく報道を観ることはなかった。
     アニメやパソコンといったホビー系雑誌でしか、日本のカルチャー状況を知らなかった筆者は、80年代の牧歌的な世界がそのまま続いていると思っていたのだ。
     家族からは、現地のインターナショナルスクールへ進学するよう薦められたが、筆者は「まんがの森もない国で暮らせるか」と啖呵を切った。
     英語の成績が悪かったからだが、それ以上に、このままでは二度と日本へ帰れないのではないか、という恐怖があった。
     結局、紆余曲折の末に、単身、日本へ帰ることになった。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第3回 秋葉原・その2【第4水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.763 ☆

    2016-12-28 07:00  
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    【お知らせ】
    本日12月28日( 水)の記事をもちまして、2016年のメールマガジン配信は終了となります。新年は1月5日(木)より配信を再開いたします。
    本年もご愛顧いただき誠にありがとうございました。皆さま良いお年をお迎えください。


    更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー第3回 秋葉原・その2【第4水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.28 vol.763
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』の第3回をお届けします。
    2000年代に秋葉原を席巻した「メイド喫茶」。「萌え」の3次元化を目論んだその流行の背後には、裏社会が絡んだ暗部が見え隠れしていました。昼下がりの電気街を散策しながら、秋葉原という街に刻み込まれた文化と事件の記憶を辿ります。

    ▼プロフィール
    更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
    1975年生。〈元〉批評家。90年代以降、批評家として活動。2009年『批評のジェノサイズ』(宇野常寛との共著/サイゾー)刊行後、病気療養のため、活動停止。2015年、文筆活動に復帰し、雑誌『サイゾー』でコラム『批評なんてやめときな』連載中。
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    前回:更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第2回 秋葉原・その1【第4水曜配信】

    ■第3回「秋葉原・その2」
     ジャンク通りをしばらく歩いていると、空腹を覚えた。
     最近、ヨドバシカメラAKIBAのレストラン街は改装され、フードコートも新設されたが、90年代の秋葉原駅周辺は食事処が少なかった。
     学生時代は貧乏だったので、秋葉原デパートの1階にある立ち食いお好み焼きで空腹を満たし、店を巡り歩いていたのだが、その秋葉原デパートも、今はJR東日本のアトレ秋葉原に建て替えられ、デリや弁当を売っている。
     それはそれで美味しそうだが、買っても食べる場所がない。銀座松屋のデパ地下のように、食事スペースを併設してくれれば良いのだが。
     話をジャンク通りの裏路地に戻すと、このあたりには地元民向けの蕎麦屋や弁当屋がいくつかある。どれも地味な佇まいだが、地元民専用と言わんばかりの素っ気なさで、妙に入りづらい。
     もっとも、いくつかの例外もあり、「サンボ」という牛丼屋は、秋葉原を訪れる人々の間でカルト的な人気がある。元は吉野家の初期フランチャイズ店舗で、1980年に倒産した際、独立したらしい。
     元々、日本橋の魚市場が発祥の吉野家が、1989年まで神田青果市場があった秋葉原に出店したのは自然の成り行きだが、食べたことはない。
     たぶん懐かしい味なのだろうが、偏屈なローカルルールとカルト的な人気で逆に近寄りづらくなったのだ。
     雑居ビルの店子はその時々の流行に合わせて入れ替わっているが、地元密着型の飲食店はしぶとく残っている。
     その一方で、秋葉原の客層の変化に合わせて、新しい飲食店も増えた。どれも脂っこい料理を売りにしていて、ラーメン二郎インスパイアと思しき店もある。
     あきばお〜、三月兎、まんだらけに囲まれたジャンク通りの角にある「野郎ラーメン」は巨大なラーメンの写真看板を掲げていて、見ているだけで胃もたれがしてくる。昔ながらの中華そばは好きだが、ギトギトの背脂系は苦手なのだ。
     しかし、友人いわく、二郎系ラーメンは「コストパフォーマンスが良い」らしい。秋葉原を訪れるオタクな人々は、基本的に快楽主義者で効率厨だが、それ故に、目的以外の諸要素は考慮しない。
     筆者は大病を患ったこともあり、身体への負担といった要素も考え、昼食を選択する。だが、友人はそういう細かいことを考えず、快楽と価格だけを天秤にかけ、「コストパフォーマンスが良い」という結論に至る。
     更に近隣の雑居ビルには、アダルトビデオのセクシー女優出演が売りのショーパブの看板が掲げられている。昼前なので、現在、営業しているかどうかも分からないが、こうなると歌舞伎町と変わらないギトギトの欲望の街だ。
     歌舞伎町と違うのは、内向きの欲望に特化されていることだが。

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  • 更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第2回 秋葉原・その1【第4水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.739 ☆

    2016-11-23 07:00  
    540pt

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    更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー第2回 秋葉原・その1【第4水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.11.23 vol.739
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは〈元〉批評家の更科修一郎さんの新連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』の第2回をお届けします。
    中国人観光客で賑わうオタクの街・秋葉原。80〜90年代のパソコン黎明期から大きく様変わりした街並みを眺めつつ、日本のサブカルチャーの母体となった、「文系文化」としてのコンピュータの記憶を語ります。
    ▼プロフィール
    更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
    1975年生。〈元〉批評家。90年代以降、批評家として活動。2009年『批評のジェノサイズ』(宇野常寛との共著/サイゾー)刊行後、病気療養のため、活動停止。2015年、文筆活動に復帰し、雑誌『サイゾー』でコラム『批評なんてやめときな』連載中。
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    前回:更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第1回「湾岸・有明」
    ■第2回「秋葉原・その1」
     夏の終わり、総武線のホームに降り立ち、眼前のミルクスタンドでかずさ牛乳を飲んで、降りていく。
     電気街口の改札を出ると、柱や外壁のデジタルサイネージが、次々と新刊の漫画やライトノベルの広告を映し出していて、目が眩む。
     駅舎から通りに出ると、新旧入り混じった光景が広がっている。
     ラジオセンターの猫の額のような隙間には電子パーツの専門店がいくつか残っており、昭和の匂いを漂わせているが、アキハバラデパートやラジオ会館は建て替えられた。代わりにオタクコンテンツ専門の百貨店(?)や外国人観光客向けの免税店が無造作に立ち並んでいる。
     さて、末広町側へ歩くのは何年ぶりだろうか。
     秋葉原がオタクの街と呼ばれるようになって20年以上経っているが、筆者が秋葉原へ行くのは、仕事の打ち合わせだけだ。あとは、年に数回、「秋葉原以外の繁華街を知らない」知人と飲む時だ。どちらも昭和通り側のヨドバシAkiba周辺で済んでしまうので、電気街口から出ることはない。
     電気街口が街の玄関であることに変わりはないが、2005年、電気街口の反対側にあった日本鉄道建設公団の土地にヨドバシカメラが建ったことで、人の流れはずいぶんと変わった。00年代に入り、秋葉原から電気街としての本来の役割は失われつつあったが、一般的な家電を買い求める客は新設された「中央改札口」を通り、かつては裏側であったヨドバシAkibaへ向かってしまう。
     そのため、本来の電気街は、完全にオタクの街──ジャンクなサブカルチャーの街になっている。もちろん、歩けば他の要素もあるはずだが、メディア上でのパブリックイメージはそういう街になっている。
    ■■■
     中央通りへ出ると、交差点で中国人観光客の集団がバスから降りて、免税店の開店時間を待っていた。
     もっとも「爆買い」自体は一段落しつつあるし、当て込んで「爆買い」仕様にしていた銀座の百貨店は閑古鳥が鳴いているのだが、秋葉原はその点に於いて、老舗で大衆的で安定している。
     そして、かつての電気街の記憶はこの光景にだけ残っている。
     白物家電の売れ筋は電気炊飯器と温水洗浄便座と聞いたが、知人は「中国人はなんでそんなものばかり買うのだろうか」と首を捻っていた。
     電気炊飯器や温水洗浄便座は日本独特の事情によって進化した商品で、中国で入手することは困難だ。コピー商品はあるだろうが、特殊な進化を辿っているから、忠実に真似ることは難しい。
     だからこそ日本で買っていくのだが、電圧は違うし、水質も悪いから、結局、早々に故障してしまう。修理するか、買い直すか――日本製品を買った中国人観光客はどちらを選んでいるのだろうか。
     なんで、そんなことを知っているのかというと、十年ほど前、海外で暮らしていた筆者の家族が、ハイアールの冷蔵庫を買ってきたことがあるからだ。ゼネラル・エレクトリックの冷蔵庫が壊れたのだが、半年後に帰国する予定だったから、繋ぎのつもりで買ったのだ。
     ところが、三ヶ月で壊れてしまった。
     当時の印象は「販売力に技術力が追いついていない」で、なるほど、ハイアールが三洋電機を買収したのは当然の成り行きであった。
     その後、故あって長期滞在していたビジネスホテルのコインランドリーでハイアールの洗濯機を使っていたが、何の問題もなかった。まったく同じモデルの新旧品が三洋とハイアールのロゴで並んでいたのだから、当たり前だが。

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  • 【新連載】更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第1回「湾岸・有明」【毎週第4水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.719 ☆

    2016-10-26 07:00  
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    【新連載】更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー第1回「湾岸・有明」【毎週第4水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.10.26 vol.719
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    1975年生。〈元〉批評家。90年代以降、批評家として活動。2009年『批評のジェノサイズ』(宇野常寛との共著/サイゾー)刊行後、病気療養のため、活動停止。2015年、文筆活動に復帰し、雑誌『サイゾー』でコラム『批評なんてやめときな』連載中。
    ■第1回「湾岸・有明」
     九月の終わりに有明の東京ビッグサイトを訪れたのは、病み上がりの暇潰しで、朝の七時に珍しく目が覚めたからだ。
     2009年までの肩書きは批評家だったが、『サイゾー』で連載していた宇野常寛との対談の終盤に体調を崩し、単行本『批評のジェノサイズ』の刊行と同時に倒れた。
     不幸中の幸い、重篤ではなかったが――ようやく快復し、日常的に外出可能になったのは2014年だ。
     しかし、批評家の看板は降ろしているから、やることがない。
     以来、たまに東京を歩いては、暇を潰している。
     新宿で乗り換え、りんかい線の国際展示場駅を降りたのは九時で、駅前広場では『スリランカフェスティバル2016』が行われていた。
     朝食を取っていなかったので、ランプライス(バナナの葉で包んだカレー味のナシチャンプルー/炒飯弁当)でも食べようかと思ったが、飲食ブースは開始前だった。仕方なく、ビッグサイト内のコンビニでおにぎりを買った。
     ビッグサイトと言えば、夏と冬のコミックマーケットだが、もう十年以上、訪れていないので、朝イチの光景に戸惑っていた。
     とはいえ、1996年の開場当時には閑散としていた周辺施設もかなり整備され、隔世の感もある。晴海の東京国際見本市会場と比べれば、設備は最新でトイレ不足に悩むこともなかったが、大型ホテルや国際会議場が併設されていた幕張メッセやパシフィコ横浜と比べると、ビッグサイトはやっぱり「地の果て」という印象があった。

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