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サーフィンという新しい生き方 アーティスト 栗林隆 #07




早いもので、トリップミュージアムも7回目を迎える。

旅先を美術館に置き換えて、自分の体験や考え方を様々な角度から伝えてきた。


今回は、私の人生に深く入り込んできた、波乗りの話をしようと思う。


サーフィン。

この、アーティストから限りなく離れているかのようなスポーツ。

いや、「波乗り道」とでも言うべきだろうか。

実は、世界中には多くの波乗りをしているアーティストたちがいる。

しかし、日本の現代美術の世界ではあまり聞いたことがないのが現実である。

大海原にただ一人。こんな静かな海にうねりが入ってきて頭サイズの波が立つのである

皮肉にも、運命なのか必然なのか、

この波乗りを真剣に始めたきっかけは、実は2008年に青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場に向かう旅だったといっても良い。原発問題がなければ、波乗りを始めなかったかもしれないのである。しかも、私が波乗りを始めたのは、私が39歳からだ。9年前の話である。


よく、人生はいつでもやり直せる、幾つになってもチャレンジできる、と言うが、私はやり直すでもなく、チャレンジするでもなく、ごく当たり前のように、たぶん必然であったかのように、波乗りを始めた。


しかし、本当に一番初めての波乗りは、実はひょんなきっかけから始まった。なんと言うのだろうか、見栄をはる? カッコをつける? 口からでまかせ? とにかく、そんな軽口を叩いたところから始まったのである。


私は、前にも話したが、06年ぐらいまで12年間ドイツで生活をしていた。

その当時は、ネットもそこまで発達した時代ではない。極端に言えば10年近く日本の情報や環境を知らずに生きていた。40歳を前に、自分はもっと日本のことを知らなければならない、もっと多くの仲間を作らなければいけない、とドイツでの生活に終止符を打って日本に帰ってきたのが11年前である。

これも前に書いたのだが、私は長くダイビングのインストラクターを副業にしていた時期があり、海に向かうときはいつも波が静かなとき、または波がない穏やかな場所に行き、水中の生活を送っていた。

本当にこれっぽっちも、波乗りなど気にもしていなかったし、やろうとは思わなかった。

それが、日本に帰り、知り合いの家に大家兼管理人として、自分が望んだわけでもなく神奈川県の逗子に移り住み、2年ほど経った時のこと。


当時鎌倉に、カフべという昼はカフェ、夜にはバーになる知り合いのお店があった。ちょうど私が逗子に移り住んだのと同じ頃にオープンしたお店だった。鎌倉のお店なのだが、知り合いがいない私は、逗子から鎌倉まで電車で行ったり、ほんとうに歩いて通ったこともあるくらい、頻繁にその店に通っていた。

ある時、地元の連中が私の噂を聞きつけ、わざわざ飲みに来てくれた時があり、それがきっかけで仲良くなりよく一緒に飲むようになった。

彼らはサーファーだった。


当時私は、サーフィンに全くもって興味がなく、彼らが話す波の話や、ポイントの話、サーフボードやその精神世界の話など、ふーん、という程度に聞いていたと思う。


ある時、その仲間が私のアトリエに遊びに来たいという話になった。

私はウェットスーツの素材を使い、ペンギンやアザラシの作品を作っているのだが、その作品やウェットスーツ専用のミシンなどを見に来たい、ということで、軽くOKを出して次の日に遊びに来ることになったのである。

実はその当時、私の知り合いがニューヨークに留学するため、自分のサーフボードを一時預かってくれないか、とお願いをされていた。

まぁ、邪魔ではあるが置いておくのはよいですよ、と家の階段のところにロングボードを立てかけておいてあったのだ。


次の日、その友人2人が私の家に入るなりいの一番にかけたのが次の言葉だった。

「たかしくん、サーフィンやるの!?」

見栄っ張りの私は、とっさに答えてしまったのである。

「うん、ちょっとね」


もちろん、一度もやったことなどないし、興味もない。

その場しのぎに言ってしまったこの言葉がその後の人生を変えたと言っても過言ではないのである。


「たかしくん、波乗り行こうよ! 明日台風ウネリが入って、かなり波があがるんだよ!! 迎えに来るから行こうよ!」


地獄の一丁目への誘いの言葉だった。


次の日、10フィートほどのスーパーロングボードを持って、台風が近づく海に初めての波乗りに出かけたのである。


前回の話ではないのだが、またもやピンチである。

頭の中を真っ白にして、目の前の波と対話する。ほんの数十秒の至福の時が始まる

初めての波乗り。

覚えているのはとにもかくにもぐしゃぐしゃに、そしてもみくちゃに波に揉まれ、ボードに顔面を打ち付けられ、ボコボコにされたことのみだ。


人生とはおかしなものである。

簡単にできてしまうことには人間あまり興味を持たない風にできているのだろうか? それともそれは私だけなのだろうか?

思えば、アートの世界も同じである。

多くの世界では、例えばスポーツでいうと、記録や順番が自分の価値を証明してくれる。

しかしアートの世界には正解がない。ゴールもない。自分と向き合い死ぬまで問答をしなくてはいけないある意味アーティスト道とでも言うのだろうか、生き方であったりする。


この、答えがない世界、また困難な世界に自分が向かい合い、立ち向かう、ということに自分の存在意義や価値、意味を見つけ出そうとするのである。


話は逸れたが、

この時の初めてのサーフィン。

まさに全く何もできず、永遠に自然に弄ばれた経験であった。

仮にもダイビングのインストラクター、1000本以上海に潜ってきて、それなりに苦しい体験、危険な目にもあってきた。ドルフィンスイムのインストラクターもやり、バハマにイルカと泳ぎにも行ってきた。

その自分が、こっぴどく、何もできないほどもみくちゃにされたのである。


まぁ、今思えば、素人の私を台風の日に連れて行く友人も友人だと思うが、なんといっても、サーフィンを少しかじってる風に嘘をついた自分が悪いのがことの発端。


とにかく、この日を境に波乗り人生が始まるのである。


そして次の機会が、

前に話をした六ケ所村へのサーフトリップであった。


口から出まかせで始まった私のサーフ人生、私がサーフィンをしている(実際1回した(笑))ということで、当時プロサーファーを中心に行われていた活動に参加することとなる。

サーファーやミュージシャン、アーティストを中心に、海を守ろう、環境汚染の問題を取り扱おう、としていたメンバーが、鎌倉から青森の六ケ所村まで、千葉、茨城、福島と北上し、波乗りやイベント、トークショーを行いつつ原発の問題や六ケ所村の海洋への放射能に汚染された水の垂れ流し、フィルターをつけるよう進言しようなど、様々な角度から今一度海を見直そうとした動きが起こっていた。

「ウェーブメント」と名付けられたこの活動は、その後の震災での福島第一原発や、日本中にある原発、関係施設に警鐘を鳴らすものであり、これらを予告するような運動であったのである。

もちろん、サーファーである私は、この機会にプロサーファーに波乗りを教えてもらおうと、誘いに乗っかり旅を始めるのだが、旅を続ける過程で学んだ多くの原発の情報や現状。これは他人事ではなく、私たちの未来に関する重大な出来事なのだと北上すると同時に、現実を直視する旅でもあった。


それから9年。

私は今では上手くはないものの、立派なサーファーであると自負している。


俗に言う、サーフィン。

たしかにスポーツや娯楽の面が強いし、なにかとミーハーなイメージが強いのだが、アーティストにも、アート作品を作るアーティストと、アーティストという生き方をする人々が存在するように、波乗りにも、サーフィンという行為を純粋に愛する人たちと、波乗りという生き方をする人たちがいる。

自然との関係、繋がり、人生や人間の小ささ、地球や自然の偉大さ、それらを直接的に伝えてくれるものが、波乗りであったりする。

そこには恐怖があり、畏敬の念があり、自然に対してのリスペクトがあるのだ。


そして、波乗りを通して知り合った仲間たち、彼らは私の宝であり、人生の一部であり、同じ自然に対して尊敬の念を持って生きている人々なのである。

こんな素敵な場所で、仲間と4人だけの贅沢。なかなかないシュチエーションである

数日前、インドネシアで久しぶりに波乗りをした。

それまで制作や色々なことでかなりへばっていたのだが、あの世のばーちゃんは見ていてくれるのだろう。

信じられないくらい良い波を、私たち数人だけで堪能することができた。

波待ちで夕日を眺めながら、宿までのプラネタリュウムのような星空を眺めながら、自分たちの幸せを仲間たちと分かち合うことができた。


あの時、

友人にサーフィンはしていない、やらない、

と言っていたら、私の人生はどのようなものになっていたのだろう。

いやいや、

全ては必然である。

きっとそれでも私はこの場所に立ち、この波に乗って、同じ星空を眺めていたのであろう。


(次回は7月28日に掲載する予定です)




くりばやし・たかし

1968年生まれ、長崎県出身。武蔵野美術大学卒、ドイツ・クンストアカデミーデュッセルドルフ修了(マイスターシューラー)。2006年シンガポール・ビエンナーレ参加、2010年森美術館「ネイチャーセンス」展、2012年十和田市現代美術館で個展。7月30日まで開催中の北アルプス国際芸術祭(長野)で作品を展示中。インドネシア在住。7月15日からジョグジャカルタで開催される個展にて新作を展示予定。 takashi kuribayashi

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