高校1年生くらいまで、インテリアデザイナーになりたいという夢を持っていた。結局、フォトジャーナリストになったが、取材で訪れる国々のインテリアをチェックするのは大好きだ。
部屋から窓の外をのぞくと、ついついカメラのフレーム越しに外の風景を撮りたくなる。家の造りやドアのデザイン、壁紙の模様、家具や絵画まで、すべてをじっくり見ながら触って確かめたくなる。
今でも強烈に印象に残っている部屋がある。
5年前の11月はキルギスに滞在していた。外は雪が降り注ぎ、夜になるとアパートの部屋から漏れる灯りがとても幻想的だった。
私はキルギスに到着して数日の間、通訳を探していた。現地の観光会社を通して出会ったのが20歳の女子大生グライシャだった。
彼女はロシア語と英語は話せるが、キルギス語を自由に話すことができなかった。キルギス語が主流の田舎の村で取材活動をするのは難しく、彼女自身の大学生活も忙しくて何ヶ月も行動を共にすることが不可能だったため、彼女と一緒に仕事をすることはなかった。
それでも、天真爛漫でいつも意見をはっきり言う彼女は私にとって妹のような存在で、いつも話をするのが楽しみだった。
地方での取材の合間に首都ビシュケクへ戻るたびに、私はグライシャに連絡をしては一緒に公園を散歩したり、コーヒーを飲んだり、彼女のアルバイト先の日本料理店を訪れたり、ショッピングへ出かけたりした。
「私の友人のアトリエがあるガラス工房に一緒に遊びにいかない?」
ある日、彼女から突然、電話があった。取材がなかなか進まず、帰国便を1ヶ月延期するため首都に数日だけ戻っていたときだった。
ビシュケク中心部にある「ツム」という大型百貨店の入り口で待ち合わせをした。そこから歩いて30分。ソビエト時代にアパートとして使われていた水色の大きな建物の前に辿り着いた。建物の各部屋は事務所やアトリエなどとして使用されているという。
古びたエレベーターで5階へ上がる。重厚な扉を開けて中へ入ると、グライシャの友人エレノアがチャイを作って待っていた。
制作中の色とりどりのステンドグラスの窓が部屋中に置かれていた。部屋自体は殺風景で小汚いだけだったが、ロシアの革命家ウラジーミル・レーニンと社会主義思想を掲げたフリードリヒ・エンゲルスの大きな肖像画が目に飛び込んで来た。まるで30年前のキルギスに戻ったようだ。
エレノアはレーニンやエンゲルスを敬愛しているのだろうか?
そう想像をしながら、 画の下でチャイの準備をする2人を撮っていると、エレノアが笑顔で口を開いた。
「この2つセットの絵画いいでしょ。アンティークマーケットで買って来たの。インテリアに面白いかなと思って」
キルギス南西部の田舎で出会った年配者は「ソビエト時代、社会主義の暮らしは良かった」とレーニンの銅像の前を通り過ぎながら懐かしんでいた。だが、都会で暮らす若いエレノアやグライシャにとって、レーニンやエンゲルスはインテリアの一部にすぎないようだった。「なんで、そんなに絵をジロジロ見ているの?」とゲラゲラ笑われた。「早く飲んで、チャイが冷めちゃうからね」と言われ、カメラを置いた。
インテリアになった革命家の前で、つかの間の首都での休息を楽しんだ。
はやし・のりこ
1983年、神奈川県川崎市生まれ。2006年から西アフリカ・ガンビア共和国の現地紙で写真を撮り始める。「メディアが取り上げない場所で暮らす、一人ひとりの想いや問題を伝えたい」と、硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、HIVに母子感染したカンボジアの少年、誘拐結婚させられたキルギスの少女などを写真に収めてきた。著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳-いま、この世界の片隅で』、写真集『キルギスの誘拐結婚』がある。16年12月に写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)を出版。ホームページはこちら(http://norikohayashi.jp)
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