いすみ市

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いすみし
いすみ市
大原海岸
Flag of Isumi, Chiba.svg Emblem of Isumi, Chiba.svg
いすみ市旗 いすみ市章
2005年12月5日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
団体コード 12238-6
法人番号 8000020122386
面積 157.50km2
総人口 37,043[編集]
推計人口、2018年4月1日)
人口密度 235人/km2
隣接自治体 勝浦市長生郡一宮町睦沢町夷隅郡大多喜町御宿町
いすみ市役所
市長 太田洋
所在地 298-8501
千葉県いすみ市大原7400-1
北緯35度15分14.1秒東経140度23分6.7秒
いすみ市役所本庁舎
外部リンク いすみ市ポータルサイト

いすみ市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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つげ義春石子順造が絶賛した八幡岬(南側から見る)。

いすみ市(いすみし)は、千葉県房総半島南東部に位置する茂原市への通勤率は10.2%(平成22年国勢調査)。

概要[編集]

平成の大合併によって2005年12月5日夷隅郡夷隅町大原町岬町合併し、千葉県内34番目の市として誕生。千葉県内において名前に平仮名を用いた市町村はいすみ市が初であり、唯一の存在。

地域経済循環を拡大しての雇用の創出、地域資源の価値を再認識しての地域所得の向上、都市通勤圏にある自然豊かな地域性を生かしての人口減対策、豊かな自然環境・子育て支援の充実を発信しての地域の魅力の向上を目指したまちづくりに取り組んでいる。

地理[編集]

千葉県の房総半島東部に位置し、当市内を塩田川と支流の新田川、夷隅川と支流の落合川・桑田川が流れる。穏やかな起伏の丘陵地谷津には水田が見られる。丘陵地には、夷隅地域に荒木根ダム、大原地域に東第一・第二ダム、岬地域に岬ダムがある。

北東部には九十九里平野の南端に位置する太東岬があり、ここで九十九里浜は終わる。これより南方は、少しずつ丘陵地になっており、沿岸部は南房総国定公園に指定されている。北東部では、稲作のほかに栽培をする農家も見られる。南西部はなだらかな房総丘陵に連なっており、荒木根山(三等三角点・標高157.8m)や、市域最高地点(勝浦市境の無名丘陵・標高187m)が所在する。中央部には溜池や河川水を利用した水田が広がる。南部では、特に国道128号沿線から海岸まで丘陵地が続き、磯海岸になっている。

いすみ市の沖には器械根(きかいね)と呼ばれる日本最大級の岩礁暗礁)群がある。面積は約120平方キロメートルで、水深は20メートル程度[1]と魚介類の生息に向く適度な浅さである。親潮黒潮がぶつかる海域でもあることから、多種多様な魚をはじめイセエビサザエアワビなどの海産物の宝庫で、好漁場となっている。1900年代後半は宝の海とも呼ばれていた。

用水は、地下水に乏しく、夷隅川など天水に頼らなければならない。

交通事情を見ると、鉄道では房総半島の東岸に沿ってJR外房線が走っている。大原駅から千葉駅までは、普通列車で所要時間65分程度、特急わかしお蘇我駅までが40分、東京駅まで1時間10分である。大原駅は房総半島内陸部へ向かういすみ鉄道いすみ線との乗り継ぎ駅でもある。

首都圏中央連絡自動車道に接続する長生グリーンラインの市内への延長(茂原・一宮・大原道路)や東京湾アクアラインへのアクセスの改善(国道465号線の改良)が望まれる。平日の日中や土日、祝日、観光シーズンの国道128号線の渋滞は市民生活にも影響を与えるため並行するバイパスや4車線化等の改善が望まれる。夷隅地区では、茂原駅へのアクセスのため運行されるバスの本数、いすみ鉄道の本数に利便性が乏しく、外房線から離れた市の西部では、路線バスの廃線などもあり過疎化が進行している。

隣接する自治体[編集]

現在の住所表記[編集]

旧大原町および旧夷隅町は現在、「いすみ市」となるが、旧岬町(みさきまち)は「いすみ市岬町(みさきちょう)」となる。

  • 夷隅郡大原町○○ → いすみ市○○
  • 夷隅郡夷隅町○○ → いすみ市○○
  • 夷隅郡岬町○○  → いすみ市「岬町」○○

歴史[編集]

概略[編集]

古代[編集]

古代の当地域は伊甚国と呼ばれていた。『日本書紀安閑天皇元年(534年)の条には、伊甚国の国造伊甚稚子の真珠献上が遅れ尋問のため都に上った国造が春日皇后の寝殿に逃げ込んだが、その罪を免れるため自らの領地を献上し伊甚屯倉となったという記事がある。この時の真珠はアワビの中に出来る真珠と考えられ、当地域から大和朝廷にアワビや真珠などの海産物を献上していたと推測される。また、『類聚国史弘仁7年(816年)8月23日の条には、夷灊郡衙の諸施設で火災が発生し、正倉60棟が焼け落ちたという記載があるが、この正倉の数は他の郡衙に比べて極めて多い。これらのことから当地域は古代から海産物や農産物が豊富であり、朝廷にとっても重要な地域であったと考えられる。

中世[編集]

鎌倉時代末、禅僧として有名な夢窓疎石がこの地で隠棲生活を送った。夢窓疎石は建治元年(1275年)に伊勢国に生まれ、その後甲斐国に移り、9歳で出家、20歳で禅宗に入門し夢窓疎石と名乗り行脚に出て、全国各地を遍歴した。疎石は後醍醐天皇など7代の天皇上皇から帰依を受け国師号を賜り、足利尊氏直義兄弟ら時の権力者からも帰依を受けるなど当時を代表する名僧となり、鎌倉瑞泉寺甲斐恵林寺京都天龍寺などを開山する。また、作庭家としても有名で、開山した寺院以外にも、京都西芳寺などの庭を作庭している。元亨3年(1323年)1月、横須賀泊船庵から千町荘能実(いすみ市能実)の退耕庵に移り住み、正中2年(1325年)の秋、後醍醐天皇に請われ京都南禅寺の住持となるまでの約2年半、この地で隠棲生活を送る。長い修行の終着地が退耕庵だったと言える。現在も疎石が修行のため籠ったとされる坐禅窟(県指定史跡)が残り、奥壁には、疎石が自ら刻んだとされる「金毛窟」の刻銘が確認される。坐禅窟の前方には太高寺があり、疎石のものとされる袈裟2領(県指定文化財)が伝わっている。「能実」という地名は疎石が、この地に稲が能く実るようにという思いを込めて付けたと伝わる。

戦国期になると、上総土岐氏が当地域を支配するが、その領域は現在のいすみ市域とほぼ重なる。土岐氏の勢力は決して大きく無かったが、県内でも屈指の中世城郭万喜城を築き、庁南武田氏安房里見氏正木氏をはじめとする周辺の勢力と渡り合った。土岐氏は土岐為頼が当主の頃に最盛期を迎え、万喜城を拠点に夷隅川流域に多くの支城を築き勢力を拡大していった。万喜城は夷隅川をの代わりにし、水運も利用でき、城を築くには絶好の立地条件にあった。

万喜城は幾度か周囲の敵に攻められたが、落城したという記録は残されていない。最終的には、天正18年(1590年)の豊臣秀吉小田原征伐で、為頼の子・頼春(義成)が小田原北条氏側に属したため、豊臣方に包囲されて開城したものと思われる。一時、徳川四天王の一人、本多忠勝が入城したが、大多喜城に移った後は廃城となった。

近世[編集]

本多氏による支配では、特に本多忠朝の代に新田開発が積極的に進められた。市域の多くは大多喜藩の領地であったが、本多氏の転封後は、大多喜藩、苅谷藩をはじめ旗本領や各藩の飛地領に細分化された。著名な領主としては、岩熊村(岬町岩熊地区)を領した、遠山金四郎家が挙げられる。江戸時代の中期になると沿岸地域では地引網漁が盛んになり、賑わうようになった。それを裏付けるように、大原から岬地域周辺の寺社には多くの大漁絵馬が奉納されている。この頃には五穀豊穣・大漁祈願をする祭礼も行われるようになり、市内でも大原はだか祭、中根六社祭、上総十二社祭などが現在にも引き継がれている。

江戸時代中期、現在の岬町長者地区では宇佐美灊水中村国香に代表される儒学者を輩出した。中村国香は、房総各地を巡り、寺社や史跡、伝承を採録した地誌房総志料』を編纂した。『房総志料』は、読本作家滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』の執筆にあたり大いに参考にした。

江戸時代後期には、「波の伊八」として有名な彫刻師武志伊八郎信由が、円熟期から晩年までの間、行元寺飯縄寺などに傑作の欄間彫刻を彫った。なお、伊八の波の作風は、浮世絵師として著名な葛飾北斎富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」の波の造形に影響を与えたともいわれている。

近代[編集]

明治維新後の廃藩置県では、市域は大多喜県花房県宮谷県の管轄区域となったが、のちに木更津県、そして現在の千葉県となった。

明治初期の自由民権運動の広がりにより、市域でも、私塾「薫陶学舎」を創設した三島村(上布施地区)の井上幹らにより以文会が結成された。1884年(明治17年)11月の夷隅事件により官憲からの弾圧を受けたが、以文会はその後も大政翼賛会の結成まで戦前を通じて千葉県政に大きな影響を与え続けた。

房総鉄道の整備に伴い、夷隅川河口付近から大原海岸にかけては、東京方面から多くの人々が訪れる避暑地となり、別荘も建てられるようになった。

この時期多くの著名人も当地を訪れている。作家山本有三は、大原海岸の塩田川河口近くの旅館に逗留し、この周辺を舞台にした小説「真実一路」を著した。林芙美子は「放浪記」の中で、日在海岸の情景や人々との交流の様子を記している。

文豪森鴎外は夷隅川の河口近く(日在地区)に別荘を建て、「妄想」の中で周辺の光景を描写している。鴎外の別荘近くには、鴎外の親友で陸軍軍医賀古鶴所日活の前身であるM・パテー商会など映画事業で財を成して中国の革命家孫文の革命運動を支援した梅屋庄吉の別荘もあった。

昭和初期には国吉周辺で生産された米は「国吉米」として東京方面に出荷され高値で取引され、皇室献上米にもなった。現在でも「いすみ米」としてそのブランドは引き継がれている。

沿革[編集]

行政区域変遷[編集]

現いすみ市市域に関連する行政区域変遷

1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の町村が発足。[2][3][4]

  • 大原町
    • 夷隅郡
      • 中魚落村 ← 中魚落郷単独で村制施行
      • 東村 ← 山田村・長志村・長志郷・佐室村・高谷村・新田野村・下原村・細尾村
      • 東海村 ← 若山村・新田村・深堀村・日在村・釈迦谷村・若山村外二ヶ村入会地
      • 布施村 ← 上布施村・下布施村・実谷村・七本村・上布施実谷入会地
      • 浪花村 ← 小池村・小沢村・岩船村・岩和田村
  • 夷隅町
    • 夷隅郡
      • 国吉村 ← 苅谷村・弥正村・深谷村・今関村・島村・楽町村・万木村・国府台村
      • 千町村 ← 松丸村・荻原村・須賀谷村・神置村・小高村・小又井村・能実村
      • 中川村 ← 増田村・引田村・大野村・札森村・柿和田村・正立寺村・作田村・八乙女村
  • 岬町
    • 夷隅郡
      • 旭町 ← 長者町・江場土村・三門村・井沢村・東小高村
      • 中根村 ← 中滝村・東中滝村・押日村・嘉谷村・鴨根村
      • 古沢村 ← 桑田村・岩熊村・市野々村・谷上村・榎澤村
    • 長柄郡
      • 太東村 ← 椎木村・和泉村・中原村

1893年(明治26年) | 9月22日

国吉村は町制施行し国吉町となる。

1899年(明治32年) | 12月22日 中魚落村が町制施行・改称し大原町となる。

1900年(明治33年) 7月25日 旭町は改称し長者町となる。

1953年(昭和28年) | 7月1日 長者町と中根村が合併し長者町が発足。

1954年(昭和29年) | 4月29日 国吉町・中川村・千町村が合併し、夷隅町が誕生。

| 12月1日 太東村と古沢村が合併し太東町が発足。

1955年(昭和30年) | 3月31日 大原町・東海村・東村と浪花村の大半(岩和田を除く)・布施村の一部(下布施の大部分と上布施の一部)が合併し、大原町が発足。

1961年(昭和36年) | 8月1日 長者町と太東町が合併し岬町が発足。

2005年(平成17年) | 12月5日 夷隅町・大原町・岬町が合併しいすみ市が発足。


  • 変遷表

人口[編集]

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、5.78%減の38,594人であり、増減率は県下54市町村中38位、60行政区域中44位。

Demography12238.svg
いすみ市と全国の年齢別人口分布(2005年) いすみ市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― いすみ市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
いすみ市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 43,112人
1975年 43,100人
1980年 42,816人
1985年 43,453人
1990年 43,431人
1995年 43,547人
2000年 42,835人
2005年 42,305人
2010年 40,962人
2015年 38,594人
総務省統計局 国勢調査より

行政[編集]

市長[編集]

市役所[編集]

  • いすみ市役所
    • 本庁舎 (旧大原町役場)
      千葉県いすみ市大原7400-1
    • 夷隅庁舎 (旧夷隅町役場)
      千葉県いすみ市国府台1524-1
    • 岬庁舎 (旧岬町役場)
      千葉県いすみ市岬町長者549

警察[編集]

消防[編集]

夷隅郡市広域市町村圏事務組合(いすみ市、勝浦市、大多喜町、御宿町で構成)による広域消防、およびいすみ市消防団

  • 大原消防署
    • 夷隅分署
    • 岬分署
  • いすみ市消防団

その他[編集]

  • 千葉地方法務局いすみ出張所
  • ハローワーク大原(茂原公共職業安定所いすみ支所)
  • 夷隅地域整備センター
  • 夷隅農林振興センター
  • 南部漁港事務所大原支所
  • 夷隅環境衛生組合
  • いすみクリーンセンター
  • 大原クリーンセンター
  • いすみ市農村環境改善センター
  • いすみ市ふれあいセンター
  • いすみ市土着菌完熟堆肥センター
  • いすみ市ふるさと憩いの家
  • 大野浄水場
  • 山田浄水場
  • 音羽浄水場

経済[編集]

平地や人口が少ない夷隅郡市北西部や南部に比べ、国道128号線沿線は比較的平地が広く人口も多いので、大型店が出店しやすいためか、当市内の国道128号沿線にはスーパーセンターベイシアせんどう)、ホームセンターカインズホームコメリ)、家電量販店ケーズデンキヤマダ電機)などが出店し、今日における夷隅郡市の経済の中心地となっている。

産業[編集]

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  • 農業
    • 夷隅川流域や大原浪花地区では水田が多く、生産されるフサオトメコシヒカリは「ほたる米」として市場出荷されている。尚、いすみ米は献上米として扱われた歴史をもつほど味、形共に優れるがJAの在庫も多い。
    • 岬町谷上地区から隣接の一宮町にかけてナシの栽培が行われている。
    • 山田地区をはじめ山間部ではキウイフルーツシイタケタケノコブルーベリーソバなどの栽培が行われている。
    • 温暖な気候を生かし、ハウス・露地栽培のキンギョソウ、食用ナバナなど商品植物の栽培も盛んである。
    • 土着菌完熟堆肥センターを活用した「有機の里」づくりを目指し、土着菌を利用した有機栽培による農作物の販売を展開している。
  • 漁業
    • 夷隅川水系では川魚の放流も行われている。
    • 大原地区の大原漁港を中心に岩船漁港と岬地区の太東漁港などは「夷隅東部漁業協同組合」を形成しており、器械根の漁業資源を活かして、漁協のイセエビ水揚げ量が日本一となっている。また、タコ漁も盛んである。

姉妹・友好都市[編集]

旧夷隅町、旧大原町、旧岬町の姉妹・友好都市は、いすみ市に引き継がれる。

国内[編集]

旧岬町と旧南魚沼郡大和町との間で友好親善町の締結。
旧大原町と長野原町との間で交流都市の提携。

海外[編集]

  • アメリカ合衆国の旗 ウォパン市(アメリカ合衆国ウィスコンシン州
    1995年8月29日、旧夷隅町とウォパン市との姉妹都市提携に関する同意書を交換し、文化、教育に関する交流を開始した。きっかけは、1991年に夷隅町立国吉中学校(当時)とウォパン市立ウォパン中学校が姉妹校の提携をし、両校の間で文通や絵画の交換を行い、相互に理解と親善を深めた事から始まり、姉妹都市提携の機運が高まった事から実現された。
  • アメリカ合衆国の旗 ダルース市(アメリカ合衆国・ミネソタ州
    1990年10月3日、旧大原町とダルース市は、平和の梵鐘)が機縁となり姉妹都市同意議定書を結んだ。きっかけとなった平和の鐘とは、かつて大原町寄瀬地区の長栄寺にあった梵鐘で、太平洋戦争中に軍用物資製造用材料として供出されたものの、使用されないうちに終戦を迎え、1946年に米軍によりアメリカ本土に渡り、ダルース市の市長室に飾られていた。その後、この梵鐘について返還の陳情を行ったところ、大原町に返還されることになり、1954年5月に米国海空軍の協力で再び太平洋を渡って大原町に戻り、当時の大原町長であった土屋幸正によって“日米親善平和の鐘”と命名された。

教育[編集]

小学校[編集]

  • 大原地区
  • 夷隅地区
    • いすみ市立夷隅小学校(平成29年4月開校)
      いすみ市立国吉小学校、いすみ市立千町小学校、いすみ市立中川小学校の夷隅地区3校を統合
  • 岬地区
    • いすみ市立太東小学校
    • いすみ市立長者小学校
    • いすみ市立中根小学校
    • いすみ市立古沢小学校

中学校[編集]

高校[編集]

特別支援学校[編集]

その他[編集]

  • 夷隅医師会立夷隅准看護師学校[1]
  • いすみ学園
  • いすみ市郷土資料館(田園の美術館)

施設[編集]

文化施設[編集]

  • 夷隅文化会館
  • 大原文化センター
  • 岬ふれあい会館文化センター

公民館[編集]

  • 夷隅公民館(夷隅文化会館内)
  • 大原公民館(大原文化センター内)
  • 岬公民館

医療機関[編集]

郵便局[編集]

  • 大原郵便局
  • 大原南町郵便局
  • 大原小浜郵便局
  • 山田郵便局
  • 浪花郵便局
  • いすみ郵便局
  • 千町簡易郵便局
  • 岬郵便局
  • 太東郵便局
  • 古沢郵便局

金融機関[編集]

千葉銀行[編集]

  • 大原支店
  • 長者支店

千葉興業銀行[編集]

  • 大原支店

京葉銀行[編集]

  • 大原支店

銚子信用金庫[編集]

  • 大原支店

房総信用組合[編集]

  • 大原支店
  • 夷隅町支店
  • 岬支店
  • 岬東支店

いすみ農業協同組合[編集]

  • 本所
  • 大原支所
  • 東支所
  • 夷隅支所
  • 岬支所
  • 中根支所

夷隅東部漁業協同組合[編集]

  • 本店
  • 太東支店
  • 岩船出張所

交通機関[編集]

鉄道路線[編集]

路線バス[編集]

以前は小湊鐵道千葉中央バス都自動車の路線が市内域を運行していたが、現在では純然たる民営の路線バスは市内では運行されていない。

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

祭事・催事[編集]

  • 大原はだか祭り
  • 万木城まつり(万木城跡公園・毎年5月3日)
  • 岬サーフタウンフェスタ
  • みさき盆・盆フェスタ(岬運動場・毎年8月11日)
  • 夷隅ふれあい納涼まつり(国吉中学校グラウンド・毎年8月14日)
  • 増田明美杯いすみ健康マラソン(岬ふれあい会館前スタートゴール・毎年12月上旬ごろ)
  • 港の朝市(大原漁港・毎週日曜日 ほか特別開催日あり)
  • いすみ市ふれあいコンサート(岬ふれあい会館・毎年10月中旬。三代目海沼実率いる児童合唱団、「音羽ゆりかご会」ほか地域合唱団によるコンサート)
  • いすみ市短歌大会(大原文化センター・毎年2月中旬。)

名所・旧跡[編集]

岩船地蔵尊

いすみ市旧大原町(城山地区、深堀地区)の文学碑は、山本有三の代表作「真実一路」の一路橋のそばに「真実一路碑」・若山牧水の歌碑 八幡岬に若山牧水・林芙美子の歌碑 椿の里に窪田空穂の歌碑がある。 いすみ市大原の美しい風景や素朴な人情は多くの文人に愛され、昔から訪れた文人達の足跡が町内に散在している。 別荘「鴎荘」をこの地に建てた森鴎外はじめ、若山牧水、井伏鱒ニ、前田夕暮、窪田空穂、斉藤茂吉、竹久夢二、鈴木信太郎、宇佐美灊水、林芙美子など文人・墨客の心をとらえた。

観光スポット[編集]

出身有名人[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 【ぐるっと首都圏】千葉・いすみ 器械根イセエビ/大きくて濃厚な味わい 好漁場をブランド化『毎日新聞』朝刊2018年9月6日(首都圏面)2018年9月7日閲覧。
  2. ^ 大原町史編さん委員会編『大原町史 通史編』、大原町、1993年より
  3. ^ 岬町『岬町史』、岬町、1983年より
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201より

外部リンク[編集]