頴娃城

  薩摩は鬼島津の片腕、頴娃久虎の居城であった頴娃城。

通称・獅子城とも呼ばれている。広大な敷地に深い堀と多数の土塁を設けた非常に堅牢な縄張である。

防御施設の充実に比べ郭の面積が狭い。まるで砦の集合体のようでもある。

  九州初の三層五階の天守が有ったといわれる。本丸の上下段の境目には立派な野積石垣がみられるものの

上段は8×8uくらいしかなく、櫓のような粗末な天守だったのではないだろうか。

 「ラクダ山の焼却炉の傍の城」といえば地元の人にも通じるが、頴娃城という存在自体、

地元には殆ど知られていない。非常に残念である。

 

 

    

 

 

     

    本郭にある石碑「獅子城」とある。       本郭を二つに隔てる野積石垣。高さ1.5mほど。かなり綺麗。

 

 

     

 石垣あたりから見る2郭上段。深い空掘が隔てる。          空掘。土橋の痕跡がないので、木橋があったのかも

 

 

 

      

空掘を渡り2郭へよじ登る。向かって右側に高い土塁が囲む。    2郭上段面と下段を分ける切り岸。石垣跡か?

                                        (下断面→下段面の誤り)

 

 

   

 2郭下段面から見る本郭方面。石が埋まった土塁が続く。

 

 

 

 

  町役場のあたりから池田湖方面を望むと見えるラクダ山の峠のあたりにあり、非常に場所が分かり辛い。

しかし保存状態が良好で深い堀が非常に印象的な城跡。大手口周辺の外堀は圧巻である。

 また土塁等にごつごつとした石が混ざっているのも特徴である。積む時に混ぜたものだと思う。

頴娃は姶良テフラ・鬼界島テフラ・開聞岳テフラなどで、火山灰が50mは堆積した土地ゆえに

石を混ぜるのは風雨による崩落を防ぐためか?

 

とにかく知名度が低く残念でならない。

麓には安養寺跡という砦のような堅牢な縄張の史跡も残る。