反転文字の件はすいませんでした。取り乱しました。

もうこのサイトを誰かが見ているかわかりませんが、遺書代わりに
鬱夫の恋の実体験となった私の実体験を書こうと思います。
詩織は実在していません。しかし元になった女の子は実在します。

もう15年以上前のことなので、記憶が曖昧なところもありますが
できる限り当時の私が体験した事実を、細かいところは補完しつつ
記載していこうと思います。実話なので面白くもないですし、起承転結もありません。
それでもいいという物好きな方は、どうか読んでいただければ。

鬱夫の恋も一応置いておきます。
鬱夫の恋DL

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私は、割と普通の家庭に生まれました。貧乏すぎず金持ちすぎず…。
父親は普通のサラリーマンでした。直接聞いたことはありませんが、
課長とか、部長とか、そこそこの役職にはついていたのだろうと思います。
ただ、無口で厳格な人でした。平日は毎朝スーツを着て出かけ、夜遅くに帰ってきて、
言うことといえば勉強しろ、宿題はしたのか、の2パターンでした。
小さいころの父親の会話の記憶は、それが大部分を占めています。
私は父親のことはあまり好きではありませんでした。
その代わり、マザコンといわれるかもしれませんが、母親のことが大好きでした。
母親は専業主婦でした。私が歳をとってから生んだ一人っ子であるということもあってか、
私をとても大事にしてくれました。小学校低学年のころは、学校から帰って
その日にあったことは、かならず母親に話をしていました。
授業で疑問に思ったこととか、図工で作ったものとか、校庭でサッカーをしたこと
とか…。母親は、夕食を作っているときも、掃除をしているときも、
洗濯をしているときも、必ず話を聞いてくれました。忙しいからまた今度とは
決して言いませんでした。私はそれだけで、母親が私の話を聞いてくれる、
母親を喜ばせたい、それだけのために勉強やスポーツを頑張っていました。
小学校低学年のころまでは、努力の甲斐があり勉強は上位の成績を修めていました。
通知表を見せるたび、母親が嬉しそうな顔をして褒めてくれたことを覚えています。
そのころはそれだけで幸せでした。

私の家族は団地に住んでいました。私の団地では町内会があり
近所同士の付き合いがかなり多いほうでした。土日などの休みは
見栄っ張りでいい恰好するのが大好きな父が、よく町内会の行事を
仕切っていました。父は、町内会の会長も務めていました。
私は正直あまり行事ごとが好きでない、引っ込み思案な子供だったのですが、
父親は「会長の息子が行事に参加しないでどうする」という考えの人だったので
いつも参加させられていました。
そこにいたのが詩織の元となった女の子です。以下名前はK子にします。
K子とは家が近く、また母親同士が仲がよかったこともあって
K子とK子の母親、私と私の母親で町内のイベントに参加したり等
遊びに行く機会がとても多くありました。
K子は、私の記憶では、とても可愛くて、とても男子から人気がありました。
小学4年生から6年生まで、K子とは同じクラスでした。
人気がある、というのは当時の小学生にとっては、いじめる、ということと
同義で、よくK子は男子からちょっかいをかけられていました。
笛や体操着がなくなっていたことが数回あったことを記憶しています。
そのせいか、K子はよく「男子嫌い」と口にしていました。
ちょっかいをかけられても、笛や体操着がなくなっても、
泣くこともなく、ほかの女子のように男子に反撃するわけでもなく、
ひたすら無視していました。それが他の女子からは気に入らなかったようで
あまり女の子の友達は少なかったように感じました。
一度、小学5年生のとき、一緒に帰ったり話をしているところを男子たちに
からかわれて以来、学校ではあまりK子とは喋りませんでした。
ただ、私だけは町内の行事や母親同士の交流で、私とK子は喋る機会がありました。
私はK子のことが好きでした。学校ではあまり男子とは喋らない、クラスで一番人気の
大好きな女の子と仲がいい。そのときが人生の絶頂期でした。
そんなことが人生の絶頂期であるくらい、私の人生はつまらないものでした。

K子は優しい女の子でした。優しいということがどういうことなのか、私には今でもわかりません。
でも私はK子のことはとてもとても優しい女の子だったと思います。ただK子の優しさは、人生において
プラスに働く優しさではなく、むしろマイナスに働く優しさでした。
一緒に公園でボール遊びをしていたことがありました。私が母に買ってもらったばかりの、新しいボールでした。
そのボールを、どちらのせいだったかは覚えていませんが、どちらかが何かミスをして
公園の横にある溝にボールが転がり込み、とれなくなってしまいました。
K子はとても落ち込んでいました。「また買ってもらうよ」私はそういった記憶があります。
ただ、K子の落ちこんでいる理由は、私が考えていたものとは違っていました。
「ボール、かわいそう・・・。誰にもろくに遊んでもらえないまま、溝で汚れてどこかに流れていっちゃうんだよ」
K子は他人の、人ではなく物や虫にたいしてでさえも、痛みにたいして敏感でした。
人や物に感情移入しすぎる傾向にあったんだと思います。

ある男の子がいました。その子は恐らくK子のことを好きだったんだと思います。
何かにつけてはK子にちょっかいをかけていました。よく私とK子のことを
からかってきたのも、その男の子でした。その日も、小学校の帰り道、私とK子が
話をしているところに割り込んできました。そして手には生きたカナブンをもっていました。
恐らく、K子が虫を怖がってキャーキャー言うのを見たかったのだと思います。
K子にカナブンを投げつけて笑っていました。でもK子は睨みつけるだけで何も言いませんでした。
それに不満だったのか、その男の子は、カナブンの足を全部ちぎり、その足をなげつけてきました。
K子は泣いていました。私は、男子にいじめられて泣いているK子を、その時始めて、見ました。
私は怒って、その男の子を突き飛ばしました。いや、本当は怒っていたのか、何だったのかは覚えていません。気がついたら突き飛ばしていました。本気でわれを忘れて暴力をふるったのは
それが人生で初めてで、最後だったと思います。
男の子は転んで、驚き、怯んだ表情を見せました。しかしすぐに立ち上がり
「こいつをかばった!やっぱり好きなんだ!」とはしゃぎながら、精一杯はしゃいだ様子を誇示しながら走っていきました。
K子はずっと無言で泣いていました。ずっとずっと無言で泣いていたような気がします。
そして、男の子がいなくなってから、一言だけ言いました。「かわいそう・・・」と。
カナブンは四肢をもがれながらまだ生きていました。私は道路の真ん中に落ちている、
瀕死のカナブンをそっと道路の脇に置きました。まだ生きているから、埋葬してあげることもできませんでした。
K子はずっとしゃがんで、カナブンを見ながら泣いていました。私も泣いていました。
ずっとずっとカナブンの前でしゃがみながら、その死を看取るまで何もできずに二人で泣いていました。
私は、泣いているK子が、とても白くて、美しくて、儚くて、細くて、悲しくて、痛そうで、好きで好きで
そんなことを感じている自分に罪悪感を感じて、
何が悲しいのかもわからなくなって、ずっとずっとK子のそばで泣いていました。
セミの鳴く、小学6年生の、暑い夏の日でした。

それからでした。私が虫を殺すことをためらうようになったのは。
この虫を殺してしまったら、その殺している姿を見たら、
きっとK子が悲しむだろう、軽蔑するだろう、未だにどうしてもそう思ってしまうからです。
K子のように、虫に対する慈悲の気持ちではありません。
そのことがさらに私の感情を複雑にしていて、未だに虫を躊躇いなく殺すことができる人を見ると
複雑な心境になります。

おそらく小学校5年、6年のときから私はいじめられていたのだと思います。
陰口を言われたり、容姿のことでからかわれたり等の記憶があります。
しかし少なくとも、生まれてきたことを呪ったりするようなことは、ありませんでした。
恐らくすべてK子のおかげだった思います。表だって学校で仲良くするようなことは
ありませんでしたが、同じ教室にいる、同じ授業を受けている、それだけで正直、とても幸せでした。
今思えば、恐らく彼女も、女子からいじめを受けていたのだと思います。
他の女子と仲良くしているところをみたことがありませんでした。
小学校高学年の女子が、学校生活、人間関係を満喫しているとするならば
そんなことはなかったでしょうから。


ただ、彼女と私との決定的な違いがありました。
彼女は、容姿に欠陥がなく、私は、容姿に決定的な欠陥があるということです。
そしてそれは、ただそれだけの差が、中学校以降絶望的なまでの壁となって
私の世界を壊しました。


はっきりと自分がスクールカーストの最下層にいると認識したのは中学以降からです。
当時は、ネットや携帯なんてものはなく、学校以外の人間関係はなにもありませんでした。
学校、それが世界のすべて。その中で最下層の人間でいるということは
すなわち、世界の中で最も価値のない人間であるということを意味していました。
いや、言うならば人間であるということすら、保てていなかったかもしれません。
容姿に欠陥があることが、全人格を否定されるくらい致命的な問題になる前、
すなわち思春期の前、中学時代前までは、なんとか人間を保てていられました。
どう問題があったのかは、どうしても書くことができません。
学生を卒業して年単位で時が経ち、周りの人がその容姿を表立って
馬鹿にするくらいに子供じゃなくなった今でも
そのことを考える、書く、表現しようとするだけで脳が苦痛を覚えます。
恐らく、未だに私が抱く強烈なコンプレックスの源泉の1つになっているのだと思います。

中学校入学後すぐのときでした。
私は、意図しないあだ名をつけられました。容姿に関する名前です。
そしてそれで呼ばれるようになりました。それをはじめに言い出したのは
Aという男でした。Aは、中学1年のときからとても人気がありました。
勉強はできませんでしたが、容姿に問題がなく、また他人の笑いをとることが得意でした。
私も、彼の人気とりのための笑いの犠牲になりました。
私のあだ名はとてもシンプルな単語でした。なので彼が国語の授業のときに
その単語が出てくるたびに、わざとらしい声で読み上げ、クラスで小さな笑いが起きる、
そのようなことが中学1年のときの日常でした。
私は犯行することもなく、ただ小さく笑っていました。その反抗的ではない大人しい態度が
彼の私へのイジメを増長させてしまったひとつの要因だと思います。
私はこの中学1年のときから、はっきりとイジメと認識できるものを、受けていました。
一度、国語の授業中、私が私のあだ名が含まれている部分の朗読をあてられたことがありました。
それを普通に読み上げた後、彼は授業中にも関わらず大きな声で
「声小さすぎるだろ~も一度」といいました。小さな笑いが起こりました。先生までも笑っていました。
私はもう一度朗読させられることになりました。そしてそれが終わってから、彼は
「もう一度!」と言いました。今度はもう少し小さな笑いが起きます。私は結局3度読まされました。
4度目でやっと先生は、いい加減にしなさいと彼を止めました。
Aは授業を真面目にやる気は毛頭なかったようです。大体落書きをしていました。
なぜ大体らくがきをしていることを知っているかというと、私の教科書に落書きをしていたからです。
自分の教科書には書くところがもうないから、といって授業前に私の教科書と無理矢理交換し、
私の教科書に落書きをしていました。2学期になるとAは教科書を持ってくることさえも
しなくなり、私の教科書を勝手に持っていくようになりました。
一度、Aに教科書を奪われ、授業中に先生に、隣の席の人に見せてもらいなさい、と
言われたことがありました。私の隣の席だった女の子、その子はAと仲良くしている女の子でした、
その子は小さな声で、先生に聞こえないような声でこういいました。
「うつるから触らないで」
私の見た目の大きな欠陥は、ほぼ私の持病から来ているものでした。しかしそれは、うつる病気では決してありません。
成長して、私の持病はかなりよくなりました。しかし見た目に与える影響は完全には消えていません。
今になって思うことがあります。性別、人種、身体障害者、その人たちを差別することは社会から非難されます。
しかし見た目に欠陥がある人を差別したとしても誰からも非難されません。
その人には何も非がないにもかかわらずです。13歳の私には、少なくとも何の落ち度もなかったはずです。
何の落ち度もないはずの13歳の少年を、何度も何度も嘲笑い、差別し、虐げることが誰からも非難されないのは何故なのでしょうか。
なぜ、私はあのような扱いを受けなければならず、なぜそのような扱いをした人たちは、何の罰も受けないのでしょうか。
こう思える、思うことができるようになったのは、私の心が汚れ、強くなったおかげだと思います。
ただ当時の私は、そう開き直れるほど強くはなく、また自分の容姿が不快感を与えることを理解していたので、黙ったままでした。

中学のときはK子とは別のクラスでした。
学校では彼女との接点はありませんでした。ただ、私と彼女には、小学校時代から続けている共通の習い事がありました。町内の公民館のような場所で週2、3回やっている習字教室です。
決まった曜日の好きな時間に行って、書いた習字を先生に添削してもらう、といったものでした。
私とK子は部活にも入っておらず、大体二人とも学校の帰りによっていたので、よく時間帯が合いました。
いや、正しく言うならば私のほうがK子が来る時間帯に合わせて行っていたというのが正しいかもしれません。
恐らく、K子は惰性でその習い事を続けていたのでしょう。
ただ私の場合は、それが中学時代の、唯一の生きる希望になっていました。
習字の教室が終わってからは二人で家まで一緒に帰ることができました。
中学生になったK子は本当にきれいでした。長くまっすぐな黒髪、華奢な体、そして何より目に
神秘的な輝き、何かを見通しているような透き通るような光がありました。
私が好意をよせていたから、そう感じていただけなのかもしれません。
ただ好意をよせる私ですら、彼女の容姿を自分と比較して嫉妬を覚えてしまうほど、きれいでした。
事実K子は、中学校時代も違うクラスの男子から、かわいいと噂されていたようです。
習字教室では、私はK子と普通に会話をすることができました。
ただ、学校のことはほとんど話をしませんでした。好きなテレビの話、芸能人の話、読んだ本の話、
勉強の話が中心でした。
私もK子も、成績をそこそこをキープしていたので、テスト前などは問題を軽く教えあったりしていました。
ただ一回だけ、私が学校のことを聞いたのを覚えています。
習字を書きながら私は、なぜか唐突に「最近、学校はどう?」と聞いてみたくなり、聞いてしまいました。
当時の私の世界には、K子と私しかいませんでした。私とK子だけの優しい世界。
その世界の中では、誰も、虫でさえも、生き物でなくてさえも、誰も誰からも迫害されることはありません。
学校は、学校という世界は、その私たちの優しい世界を迫害する敵でした。
私は確認したかったのだと思います。K子がこちらの世界にいるということを。
「楽しいよ」なんていう答えはまったく期待していませんでした。
きっとK子は、学校は嫌いだと言ってくれると思っていました。彼女はこの世界の住人なのだから。
K子は私の問いかけに、習字の筆を置いて、その神秘的な目を窓のほうに向けながら、
私の凝視するような目線から目をそらしながら、長い髪の匂いを漂わせて、少しの沈黙の後、言いました。
「・・・ふつう、だよ。変わらない。」
私は、その表情に見惚れてしばらく、恐らくは何秒かですが、言葉を失っていました。
笑顔でもなく、嫌がるような顔でもなく、どこか遠くを見ているような、不思議な表情でした。
当時の私は、その表情をみて確信しました。虫にですら憐れみの気持ちを感じてしまうような女の子が、
あの残酷な世界の中で傷つかずに生きてけるはずがない。彼女は傷つけられていると。
今になって思えば、私が学校でいじめられているのを知っていて、気まずくて顔をそらしただけ
という見方もできます。ただ当時の私は、彼女のことを、世界で唯一の人間だと、感じていました。
私とK子だけが、この優しい世界にいる、そう強く感じで、言ってしまうならば勘違いをして、
その日は眠ることができませんでした。

中学2年生になっていじめは酷くなりました。Aとまた同じクラスだったのに加え
Bという、Aの仲間が同じクラスになったからでした。
この二人はクラスの中心人物で、その周囲には取り巻きの男子がいました。
Bは容姿に秀でていて、学年中の女子から人気がありました。同じ学年だけでなく
下の学年からも人気があったようです。一方のAは、中学2年のころになると、いわゆる不良になっていました。
不良にはなっていたものの、人を笑わせる、人を的確にバカにして笑いをとる才能には
相変わらず長けていて、よくクラスを笑わせていました。笑われる何人かを犠牲にして。
私もその犠牲者の中の一人でした。中の一人、というよりは筆頭でした。
Aが私をバカにする。Bが大声で、手を叩いて笑う。それを見て取り巻きが笑う。
この流れでした。

中学2年生になったころから、母はとある病気で入退院を繰り返すようになりました。
母が入院している間の私の家庭はとても居心地の悪いものでした。父がいつもイライラしていたからです。
今ならば父の気持ちがわかります。仕事が忙しい上に、身の回りの世話、私の世話をしなくてはいけない。
家事をほとんど手伝ってこなかった父にとってそれは苦痛だったでしょう。
しかし、当時の私には理解できませんでした。父もまた、私たちの優しい世界とは、別の住人でした。
母はそのことを知っていたのか、退院してくると、体の調子が悪いにもかかわらず、家事をしてくれていました。
特に私の昼の弁当作りは欠かしませんでした。入院していたときも、お見舞いに行くたびに
お昼の弁当を作れないことを気にしているようでした。よく
「ごめんね、お弁当作れなくて。何を食べてるの」と口癖のように聞いていました。
そんな母だったので、退院すると、朝はりきって私の好きなアスパラのベーコン巻を入れた弁当を持たせてくれました。
私はそれを精一杯の笑顔で受け取っていました。そして決して弁当を残すことはしませんでした。
たとえ何か弁当にされたときでさえも。

一度だけ、弁当のおかずをトイレに捨てたときがありました。
学校の昼休み、弁当を食べるときは、大抵、AとBが私で笑いをとりにきていました。
その日もそうでした。AとBと取り巻きが私の周りを囲んでいました。
そして、Aは私の弁当を見てこう言いました。
「あれ〇〇くん?この弁当、ソースが足りてないね?」周りで笑いが起きます。
Aは私の筆箱から修正液を取りだして、弁当のおかずの一部にかけました。
そして、特製精子弁当といって笑っていました。
いかにも中学生らしい下品で陳腐なセンスでした。今ならばこういって笑うこともできたと思います。
Bや取り巻きはひでえ、といいながらも大うけしていました。
当時の私に、抵抗するという選択肢は用意されていなかったので
苦笑いをするのが精いっぱいでした。A、B、周りの取り巻きが飽きていなくなってから、
私はトイレの大のほうに行きました。私はいつも、トイレの大に行くと馬鹿にされるのがわかっていたので、遠回りして校舎の隅の、誰もこないトイレに行っていました。
その日、そこで私は弁当を捨てようと思っていました。
しかし、いざ弁当をトイレに流そうとしたとき、体が固まってしまい、捨てることができませんでした。
恐らく、初めて、学校で泣きました。母親の嬉しそうな顔が浮かんでしょうがありませんでした。
なぜか同時に、小学校のときの手足をもがれたカナブンを思い出していました。
当時のK子はこんな気持ちだったのだろうか。今、この捨てられる弁当を見たらK子は悲しんでくれるだろうか。
そして今の私をK子が見たら何て言うだろうか。
そんなことが頭の中にフラッシュバックして、ずっと固まったまま泣いていました。
次の授業には出れませんでした。そのままおなかが痛いとか、そういう仮病を使って、そのまま保健室にいった記憶があります。
結局弁当は、母に修正液のかかった弁当箱を見せるわけにいかず、トイレに流しました。
1時間ほど、かかりました。



中学2年の3学期ごろ、ある話を聞きました。
BとK子が付き合っているという話です。
誰からどう聞いたのかは覚えていません。ただ、なんとなくぼんやりと頭の中に入ってきました。
それは嘘だ、と思いました。誰かが故意に流した嘘の噂だと。
そうでなければ恐らく、K子はいじめられて無理やり付き合わされるのだと思いました。
普通の人ならば、ここではショックを受ける場面だと思います。
しかし私の反応は違っていました。
悲しみ、怒り、嫉妬の気持ちはなく、ただただ嬉しかった。
彼女もまた、世界から迫害を受けている、そう思いました。
彼女を守ることができるのは私だけなんじゃないか、
不相応にも、そう思っていました。
本当は世界なんか始めからなくて、迫害する敵も、守るべきものも
何もなかったのに、不相応にも、そう勘違いしていました。



私へのいじめは続きました。このころになると、
Aは学校の中で有名な不良になっていて、Bは学校の下級生の女子からも人気を集めていました。
この二人がスクールカーストの頂点で、逆らうものは誰もいませんでした。
二人が、犬のことを猫だと言えばそうなる、そんな世界でした。
その二人が、私を蔑み笑いものにしていいんだといっているのだから、当然そうなっていました。
その二人を頂点として、3~4人の取り巻き、私、そしてもう一人、C君。
この数人のグループで行動することが多くなりました。
私は、お金はあまりもっていなかったので、お金はあまり盗られませんでした。
ただグループの最下層であり、グループのストレス発散のために連れられていただけでした。
C君は家がお金持ちで、気が弱かったため、ABの金銭担当をさせられていました。
本当にお金持ちだったのかはわかりません。ただお小遣いをたくさんもらっているようでした。
「金払っとけよ」このセリフだけで、C君は大抵のABの支払い(飲食代等)をさせられていました。
恒例の罰ゲームというのがありました。
じゃんけんで負けたやつが罰ゲームを受けるというものでしたが、私かC君以外が負けると、やり直しになり、ほぼ100%私とC君が罰ゲームを受けるというゲームです。
私の場合は、殴られる、バカにされて笑いをとられる等でした。
ただ、C君の場合は直接的にお金でした。
C君もグループ内にいるときは私へのイジメに参加していました。
ただ、二人だけのときは、普通にいろいろ話をしました。
二人で遊びに行ったことも、何回かありました。
劇場版エヴァンゲリオンを映画館に二人で見に行った覚えがあります。
もしかしたら、初めてできた友達と呼べるもの、だったのかもしれません。

C君はとても大人しくて優しい人でした。容姿もとくに目立った欠点もなく、成績もよく
もしここが大人の世界ならば、女の子の支持を集めそうな感じでした。
ただ、ABを頂点とするこの世界では、食われる側の弱者でした。
なぜなら絶望的に気が弱く、お金持ちの家という格好の餌があったからです。

私はC君にK子のことを話してしまっていました。
特に深い話をした覚えはありませんでした。ただ、
一緒に習字を受けていること。幼な馴染みだったことを話しました。
C君はいいな~と言っていた覚えがあります。
もしかしたら、K子のことを好きだ、そのようなことを話してしまっていたかもしれません。
私はC君に友達意識を抱き、少し気を許してしまっていました。
しかし今になって思えば、それは友達関係などではなく、ただの弱者同士の薄い慣れあい
でしかなかったのだと思います。強者が牙を一振りすれば、たちまち壊れてしまう
とても脆い関係。私とC君の関係はまさにそれでした。



「お前K子のこと好きなんだって?」そうニヤニヤ顔でBに聞かれたとき、
私は後悔しました。私とK子の世界のことをしゃべってしまったこと。
そして、C君に気を許してしまったことを。私は少し、怒りを覚えました。C君にたいして。
本当に人間の感情は不条理な物だと思います。
本来ならば、私が怒りを向ける矛先は、AとBのはずでした。
しかし私は同じ弱者であるC君に怒りをむけていました。同じ弱者であり、迫害されている人なのにも関わらず。
恐らく、この文章を読んでいる人たちは、AとBに対して嫌悪感しか感じないでしょう。
そして私のことを可哀想、だと思うでしょう。でも、実際は、現実は違います。
賞賛されるのはAとBであり、迫害されるのは私です、断言できます。
なぜなら私を助けてくれる人はいませんでしたから。
AとBが非難されることも決してありませんでしたから。
私はC君を見ました。C君はAにお金をせびられている最中で、表情はわかりませんでした。


「おれK子とセックスしたぜ」
Bは相変わらず、ニヤニヤしながら、そういいました。
セックスする、そういう単語の意味としては知っていました。
しかし、カーストの最下位の私にはまったく無縁の言葉であり、
テレビやドラマ、漫画の中でしか存在しないものだと考えていました。
いや、最上位のいる人間、AとBでさえ、そうだろうと感じていました。
なので、私がはじめに思ったことは、これは嘘だ、ということでした。
Bが私を落胆させるため、嫉妬させるために嘘をついている、そう思いました。
Aは大喜びで、「マジか!マジか!」と言っていました。
Bは私の肩に手を回し、
「なあ童貞くん、Kとやらしてやろうか」
と言い放ちました。それから私の胸を揉みながら
「お前女の乳揉んだことないだろ?なあ?」と言い放ちました。
私はBの口ぶりから、K子に何かしたであろうことは察することができました。
しかし、そのときの私は、K子とBがセックスをしたのだとは考えませんでした。
Bが無理矢理K子に迫り、体を触った、それが事実だろう、根拠もなくそう確信していました。
しかし私は、どうしようもなく、何か胸に苦しいものを感じました。
ここでその様子を悟られてはAとBが図に乗るだけ、そう思い必死に我慢しました。

AとBは無反応の私に飽きたのか、私とC君を置いて、どこかに行ってしまいました。
私は残されたC君には話しかけず、一人で帰宅しました。


その日の夜はなかなか寝付くことができませんでした。
当時の私にとってK子は、言葉で表すことができないくらい、綺麗で、神聖で、美しいものでした。
それをあのBが汚してしまった。きっとK子はBに触られることすら嫌だっただろう。
K子もまた、AとBに迫害を受けている。無理矢理付き合わされて、このままならレイプされてしまうかもしれない。
私が彼女を守らなければいけないんじゃないか。同じAとBに迫害を受けている私なら
彼女の力になることができるんじゃないか。そう思っていました。

しかしそれと同時に、何か私の中でどす黒い醜い感情が生まれました。
私が彼女を汚したい。今まではそんなことを想像すらしていませんでした。
しかし、その日に聞いた生々しい単語が頭にこびりついて離れませんでした。
今までも、K子を思いながら自慰をしたことはありました。
いや、それをするときはほぼ、彼女を思いがらでした。
しかし、裸を思い浮かべる程度で、知識や経験の不足が原因かもしれませんが、
妄想の中でさえも何か特別な行為をすることはありませんでした。
しかし、私はこの日初めて妄想の中でK子を犯しました。
その自慰が終わった後、何か本当にどうしようもない感覚に襲われました。
虚脱感、罪悪感。自分は本当に生きる価値のない、醜い汚れた人間だと思いました。
本当に今すぐ死ねばいい、そういう感情に支配されていました。
しかしそう思いながら、同時に私は、AとBからK子を守らなくては、そう強く感じていました。
自分の人生はどうなってもいい、K子だけはこの非情な世界から守らなくちゃならない。
そう思うことで罪悪感を払しょくしようとしていました。


次の習字教室の日、私は意を決して、彼女に聞くことにしました。
AとBのことを。学校のこと。何があったのかを。
私は、学校が終わると同時に、すぐに習字教室に向かいました。
習字教室は、特に決められた時間に開始するといったことはないので
何時に彼女が来るのかわかりませんでした。
ただ、そこで彼女が来るのを待つことにしました。彼女は部活も何もやっていなかったので
1時間も待たずに来るだろう、そう感じていました。
彼女もまた、この習字教室を楽しみにしているだろうから。
当時の私はそんな大それた勘違いをしていたので、そう感じていました。
玄関で靴を脱ぎ、座布団の上に座り、ゆっくりと1枚1枚丁寧に習字を書きました。
30分くらいして、彼女はやってきました。
彼女は私と一つ席を開けて、隣に座り、
「早いね。私が1番だと思ってた」
そう言いました。私は彼女がこの時間に来てくれたことに喜びを感じていました。
「うん、特にやることないからね」私は答えました。
彼女ももってきていた習字の道具を開いて、お手本を横に置いて、字を書き始めました。
私は、字を書く彼女を横目で見ていました。
彼女は相変わらず、とてもきれいでした。彼女の容姿は変わっていませんでした。
綺麗な顔、白い肌、黒い髪、華奢な体。
変わっていたのは私のほうでした。彼女のことを見るたびに、汚い醜い感情が、後から後から
湧いてきていました。私は耐えられなくなって、彼女のことを見るのをやめました。
私は、字の書かれた習字の紙を見ながら、AとBのことを聞くタイミングをうかがっていました。
私たちは学校のことはあまり話ませんでした。それが暗黙のルールのようになっていました。
しかし、その日は違いました。私が口火を切りました。
「・・・Bって知ってる?」彼女は少し驚いたような顔を浮かべ、こちらを見ました。
しかし、すぐに紙のほうに目を落とし、「しってるよ」と答えました。
「・・・付き合ってるって聞いたけど本当?」
私は勇気を振り絞って聞きました。心臓が高鳴っているのを感じていました。
「よく知ってるね。」彼女はこちらを見ずに一言だけ、こう言いました。
少しの沈黙のあと、私は、どうして、と聞こうとしました。その前に彼女はこう言いました
「なんか、断り切れなくてさ・・・」
私は彼女の表情を見つめていました。彼女はずっとこちらを見ず、紙に目を落としていました。
私は、確信しました。
K子は無理矢理、AとBに付き合わされている。
もしかしたらBの言うように何かされたのかもしれない。
しかし、いずれにしても本心じゃない。強制されてのこと。
断り切れない、こうしか言わなかったのは私に心配をかけたくなかったから。
本当はBのことを嫌がっている。私と同じように。
彼女をAとBから守らなくてはいけない。私の命に代えても。
とても満たされた気分でした。生きている意味が見つかったから。
K子は、習字を書き終わると
「その話はもうおしまい」と言って、書き終わった紙を習字の先生に見せるため
席を立ちました。
私は、もう彼女の本心を知ることができたので、十分だと思っていました。
勇気を出して聞いてみて良かった。彼女の後ろ姿を見ながら、これまでにない
達成感や充実感、安心感のようなものを感じていました。




しかしそれはすべては私の妄想であり、独りよがりの思い込みでした。
すべて自分の都合のいいように彼女の言動を解釈していただけでした。



その習字の教室のことがあってからすぐの日。
AとBが、私をK子の前に連れて行く、ということがありました。
それまでは、K子とは違うクラスだったので、あまりいじめられているところを見られることはありませんでした。
しかしその時は違いました。AとBはわざと私をK子の前に連れて行ったのです。
AとBにK子の教室の後ろの入り口に連れてこられた私は、A子を呼んで来いと、二人に言われました。
私は抵抗することをあきらめていました。しかし、K子の教室に入ることは、不思議な抵抗がありました。
何故か未だにわかりませんが、違うクラスの教室というものは、異空間のようで、
別に禁止されているわけではないのに、入ってしまえば恐ろしいことが起こる、そんな空気がしていました。
特にそのときのK子の教室の入り口からはそのような空気が発せられていました。
私は意を決して教室に入りました。なんとなく緊張感が教室に走った気がしました。

K子は教室の後ろのロッカーのほうに、女の子2,3人といました。
私はK子に不思議な違和感を覚えました。
K子は相変わらず、人目を引くほどに綺麗でした。
しかし、小学校の教室で見ていた彼女、習字の教室で見ていた彼女とは違っている気がしました。
何が、を説明するのは未だに不可能ですが、私はそう感じていました。
K子の髪が、窓から入ってきた風のせいで、少し揺れていました。
私はKに話しかけました。簡潔に一言だけ、AとBが呼んでいる、と。
K子は、少し戸惑ったような表情を浮かべてから、周りの女の子を見渡して、
「何?」とだけ言いました。そして入口のほうまでついてきました。
BはK子を見ると、おう、とだけ言いました。K子はもう一度、Bに向かって、何?とだけ
言いました。そして、Bはこう言いました。
「こいつ、面白いんだぜ。見せてやるよ。ほら、この前言ってただろおれが」
何をどういったのか、私は少し気になりましたが、すぐにその思いは消えました。
「いいよ別に…」K子は少し不機嫌な様子で、こう答えました。
するとBは私に向かって、「ほらやれよ!」と命令しました。
B子に向けた言葉の口調とは真逆の、バカにしたような、それでいて有無を言わせないような
強い口調でした。圧倒的に自分が上の立場であるということを主張している、声。
あれとは当時流行っていたお笑い芸人の物まねです。いつもやらされては笑われていました。
なんとなく、そんな予感はしていました。C君がK子と私の話を彼らにしたとわかったときから。

私は、その物まねをやりました。そしてそのあとに、K子は何と言うだろうか、それだけを気にしながら。
きっと彼女は悲しんでくれるだろうと思っていました。
手足をもがれたカナブン。その時の私はそう呼ぶにふさわしい存在でしたから。
きっと彼女は、あの小学校のあの日のカナブンに涙を流したように、私のことを
悲しんでくれるだろう、私の感情に同調し、悲しい顔をしてくれるだろう。
そして、きっと彼らを非難するだろう、そう思っていました。
AとBは、彼らのこと、非難されれば、彼女を傷つけるに違いない。
私は、このとき、彼女に何かしたならば、Bを殺そうと思っていました。
ちょうど廊下にかけてあったパイプ椅子を凶器にして。
そうすれば、彼女はもう苦しまないですむ。


しかし、彼女の次の言葉は、まったく私の予想に反したものでした。





きもちわるい






彼女は確かに、少しの沈黙の後、私に向けてそういいました。
その表情を見て、ああ、そうか、そうだったんだ、と思いました。
そして理解しました。
私と彼女の世界などもうとっくの昔に消えてしまっていたことを。
Bの言っていたことはすべて真実だったということを。
私が、勝手にすべてを都合のいいように解釈していたということを。
彼女は何も無理矢理されていなかったということを。
もしかしたら、自ら望んで行為を行っていたのかもしれないということを。
もうこの世界には、もう、昔、カナブンにすら同調し、涙を流していた
優しい女の子は存在しないのだということを。
私は、虫以下の存在だったということを。
彼女を迫害していたはずの敵は、敵なんかじゃなかく、彼女と一緒の世界に住んでいる人間だった。
そして私は、その世界の外側にいた。
自分の周りのものすべてが反転して見えていくのを感じました。反転して逆転しました。
私の世界の境界線が消えて、外の意識が私の中になだれ込んでくるのを感じました。
感じたのは周りの目、目、目....。その教室にいた、他の生徒たちの目。AとBの目、K子の目。
世界を分けることで遮断できていた周りからの視線が、境界線が崩壊することでなだれ込んできました。
そしてその目は、私の存在と価値を否定していました。
私は、もう生きる価値のない人間で、一生蔑まれる存在なのだと、目たちは告げていました。

Bは、私に向けて「きもちわるいだってよ、ははは」と何となく気まずそうに言いながら私を軽く蹴りました。
Aは横から見て、手を叩いて笑っていました。
私は、その笑い声がとても恐ろしく感じました。とても、とても、恐ろしく感じました。
そんな恐ろしいものに、私は歯向かおうとしていたのか。
そして私はこの日以来、私の精神が十分に成長し回復しきるようになるまで、
その笑い声とたくさんの目に怯えるようになりました。


彼女は、成長していたのだと思います。今ならそう思うことができます。
昔の彼女のままでは、生きてはいけなかったでしょうから。
私があのときの彼女のレベルにまで成長するのに、十数年かかりました。


その日以来、彼女とは一言も言葉を交わしませんでした。
習字教室には何度か行き、彼女を見かけましたが、ずっと目線をそらしていたため
お互い話しかけることはありませんでした。そしてそのうち、彼女は来なくなっていました。
私のことを気にして、そう思いたかったのですが、ただ受験シーズンで忙しくなったからというのが事実でしょう。
彼女が気にするはずはありませんでしたから。虫以下の存在であった私を。




中3の受験シーズン直前に、母が死去しました。ガンでした。
私は、入退院を繰り返しているころから、母がガンで余命があまり長くない、ということを
聞いていました。なので自分が思っていたほど、ショックはありませんでした。
死ぬ直前、父と二人で、母のお見舞いにいったことがありました。
色々なチューブをつけ、白いベッドと周りに看護婦さんを置いて、母は中央のベッドに存在していました。
母の意識は混乱していました。
看護婦さんからは薬の影響で少し混乱している、とは聞いていましたが
実際に目の前にしてみるとショックを、少し、受けました。
父はきっと私の内心を感じ取ったのでしょう。
母さんと話をするから、外に行っていなさい、と言いました。私は素直に従いました。

私は手足をもがれたカナブンのことを思い出していました。
手足をもがれ、もう苦しむしかない、死ぬしかない。だけど、死ねない。
私は病室の外で、母にその姿を重ねてしまっていました。
しかし、そのとき感じていたのは、悲しみ、憐れみ、の気持ちではありませんでした。
私も、同じカナブンであるという感覚。
苦しみ、憐れまれ、いずれ手足をもがれてのたうち回って死ぬしかないのに、
ずっとずっと生きていかなくてはいけない、まだ手足のあるカナブン。
ずっとずっとそうやって生きていかなくてはならない。ずっとずっとこれから何十年も。
せめて、母にだけは安らかな眠りが訪れますように。
そのときそう強く願ったので、突然学校に現れた父から聞いた母の死にも
ショックを受けることはありませんでした。



母の死と、高校入学ということがあって、私は小さいころからたまにお世話になっていた
母方の祖父母の家で暮らすことになりました。習字教室も、辞めていました。
祖父母の家で暮らせば、もうK子と会うことも話すことも、見ることすらなくなるでしょう。
私は何故か、引っ越しの最後の最後まで、何かを期待していました。
K子が私が引っ越すことを、どこかから聞きつけて、最後の日に私の家にやってくる。
そして、Bとのことや学校で言われているようなことは全部誰かの作った噂話で
本当は、本当は、本当は・・・。そんなことを言ってくれる。そんなドラマのような自分に都合のいい展開。
私は、引っ越しの日、父の車に乗り込んでからも、そんな期待を、恥ずかしげもなく
ほんの少しばかり持っていました。
そして、そして本当に何事も起こるわけもなく、
私を乗せた父の車は、K子の家の前をゆっくりと通り過ぎました。

私は窓を開けました。その日の天気は、雨が降っているわけでもなく、綺麗に晴れているわけでもなく
本当に何事もない曇りでした。その曇りは、祖父母の家に行ってからもずっとずっと続いていました。
本当にずっと続いていました。

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