日本の面影

資料は郷土史博物館でかき集めた分です。
きっと、版権なんか持ってる人もいると思いますので、
問題あれば削除します。ご連絡ください。




ユジノサハリンスク駅(豊原駅)





コムニストチェスキー通り(神社通り)



豊原神社
写真は豊原神社の南に位置した「招魂社」。護国
神社とも呼ばれていたそうである。いまは跡形も
無い。

駅前の「花屋ホテル」跡地
駅前の「北海道ホテル支店」跡地



旧潟ジノサハリンスク実験修理機械工場
(王子製紙豊原工場)
レーニン通りソビエツキーサハリン紙横の橋
(玉川橋)




市北側郊外旧自動車部品倉庫
(乾留工場)
チェーホフ山(なんて呼ばれてたんだっけ?)
サハリンスカヤ通りホテルルーカス隣の橋
(西大橋)
このススヤ川(鈴谷川)沿いに女郎屋が建ち並ん
でいたそうです。
家具・建築資材店ドム・メーベリ(景行寺跡)


美術館(北海道拓殖銀行豊原支店)
今は美術館として使われています。手直し、建増
しなんかされてますが、外見は殆ど当時のままで
すね。
博物館(博物館)
戦後は軍に使われたりしたみたいですが今は博
物館としてよみがえってます。
玄関にある狛犬は招魂社(護国神社)から、195
0移行運ばれてきた物だそうです。


軍病院(豊原庁医院、医学専門学校)
旧軍徴兵局、今は雑居ビル(豊原市役所跡)




軍敷地(樺太庁跡)
上の白い建物は軍法会議で使われているそうで
す。博物館の学芸員は日本時代の建物だといっ
てますがどうなんでしょう?
下のピンクに建物は倉造りでまさしく日本風建築
ですね。
国立経済情報大学(豊原高等女学校跡)
ロスネフチェガス宿舎(武徳殿跡)
将校会館(豊原中学校跡)


警察官養成所
+極東科学アカデミー地球物理学研究所
(樺太庁中央試験場)
ユジノサハリンスク市ではなくて隣町のルゴボエ(草野)に今も当時のまま残ってますね。
ハバロフスカヤ通り「国境警備隊裁判所」
(憲兵隊分隊)
1935年頃の建設だそうです。
北緯50度線日本とソ連の国境にあった標です。一つはレプリカで、4個あるはずが、1つしか残っていない(郷土史博物館)。一つは日本に持ってゆかれ、あとは行方不明らしい。
コルサコフは大泊神社あと。今は海洋学校が建っていて石段と灯篭の台座らしき物が転がっているだけ。
コルサコフの学校跡地付近のロシア人墓地に“平和鎮魂の碑”大泊出身者達が建てた日本時代の記憶を再現する物。




プリゴロドノエ(女麗)の日露戦役樺太遠征軍上
陸記念碑。今は朽ちて荒れ放題・・・。でもデザイ
ンが違うとこを見ると、建て直しもされているので
は?
北海道拓殖銀行大泊支店(コルサコフ)あと。利用されていないっぽい。


アニワ(留多加)からホルムスク(真岡)へ抜ける熊笹峠にあるロシア人がつくったモニュメント。地対空砲が日本をにらんでます。モニュメントには日本を侵略者としこれに勇敢に戦ったロシア人をたたえる言葉が記されています。悲しい史実です。
下の写真は日本時代のトーチカです。ぽっかり口をあけています。ここに残る数少ないトーチカの代表です。他はソ連時代に入り爆破されてしまったそうです。中央の山に切れ目からホルムスク港がみえます。銃目から向うをにらんでいたのでしょう。


ネベリスク(本斗)の神社跡地。いまはロシア正教教会の裏に本殿の基礎が残るのみとなっています。


王子製紙跡地を見下ろす高台中腹の住宅地にぽつんと建てられた碑。1995年真岡町関係者が建てた鎮魂の碑。こんなところにも思いをはせる人たちが・・・。
峠からホルムスク(真岡)におりて右、荒貝駅の跡地に建てられているとおもわれるホルムスク駅。真岡駅はもっと南にあったとのこと。
ホルムスク(真岡)の大子製紙跡地。外見はほぼそのまま残っていますが、中はぼろぼろ。市内の温水供給をするためにだけ稼働してます。
ホルムスク(真岡)からネベリスク(本斗)へ南下する途中日本時代の橋がたくさん残っている。ものによっては朽ち果て、ものによっては当時のまま現役で使われている。写真は手井(今も川の名前はトゥイ川)あたりの橋と思われる。


日本時代の面影と趣旨は違いますが、ネベリスク(本斗)外れにある“大韓航空機撃墜事件”の犠牲者への鎮魂の碑。中央の碑をはさんで左右に日本人、韓国人の名を記した碑がある。心無いロシア人に落書きされ、年何人の日本人が訪れるのか、淋しい限りである。
ドリンスク(落合)の王子製紙工場あと、ご多分に漏れず市内の暖房供給に使用されている。ダンボールも加工しているらしいが・・・。


ウズモーリエ(白浦)の神社跡地コンクリート造りの鳥居が残っている。何を意味するのか文様のようなものが残った石を発見。
ウズモーリエ(白浦)の神社となり、学校跡地に残る奉安殿(天皇陛下の御写真が入れられていた)跡。奉安殿は各都市で多数残っており、ユジノサハリンスクの郷土史博物館にもどこぞの奉安殿が移築されている。
ウズモーリエ(白浦)の日本時代終期の変電所跡。と地元の村会議員さんが言ってました。

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