残堀川 ざんぼりがわ
Zanbori-gawa River
最終更新 04.5.4

狭山丘陵の西に位置する狭山池から始まる多摩川水系の一級河川である。流路は大幅に改修されており、郊外に位置するにも関わらず全域に渡って都市河川の姿を見せている。
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地点、町立狭山池公園の狭山池。緑色の生臭い水で苔が大量に浮いており水質はかなり悪い。現在の残堀川の水源とされている。しかし…… (04.5.1)
地点、狭山池に流れ込んでくる川がいくつかある。これは池の西端に注いでいる川で、現在は枯れている。(04.5.1)
地点、調練橋から上流側。池の北側にも別の川が合流している。しかもかなりの流量がある。なお調練橋とは幕末期の1865〜66年、幕府が農民達に鉄砲などの火器の訓練を行わせたことから名付けられた橋である*1。(04.5.1)

*1現地の瑞穂町教育委員会・瑞穂町文化財保護審議会設置の案内板による
地点、その流れは間もなく枯れてしまった。池の水が逆流していたようだ。別の川が合流しているが、これも枯れている。(04.5.1)
地点、丸池。こちらの方が水源と呼ぶに相応しい。しかし良く見ると川はさらに西へと続いている。すぐ先には八高線の線路が見える。恐らく流れはその先まで続いているのだろう。今回はこの先は追及しなかった。
なお、この付近の地下には東京都水道局の小作・山口線という多摩川と狭山湖を結ぶ水道管が埋まっているはずだが、地上からではその存在は全く分からない。この水路は柳瀬川の源流・金堀沢の近くで狭山湖に注いでいる。(04.5.1)

※柳瀬川はこちら

狭山池に戻る。地点、残堀川の上流端。この付近一帯は古多摩川が流れていた数万年前に深くえぐられ窪地になった場所である*2。上記の丸池を中心に約18haが水浸しとなり、しかも粘土質だったため水はけが悪く耕作も行えずに芝地となっていた*3。江戸初期に狭山丘陵から流れ出す残堀川に狭山池の水を流し、玉川上水の助水とした*4。現在の規模の池になったのは1807年に大掛かりな池さらいを行った時だそうである*5
従って狭山池〜狭山丘陵から流れ出す残堀川との合流点までは人工的に作られた水路であり本当の意味での残堀川とは言えない。(04.5.1)

*2 *3 *4 *5 現地の瑞穂町教育委員会・瑞穂町文化財保護審議会設置の案内板による

89年撮影の狭山池公園付近。

air photo:「国土情報ウェブマッピングシステム」より引用
(c) 国土交通省 http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

地点、すぐに国道16号と交差する。石造りのしっかりした古そうなトンネルがある。驚いたことにこんな上流にも河川予定地が確保されており、近いうちに改修が行われてしまうようだ。(04.5.1)
地点、狭山下橋から上流側と下流側。セメント護岸が珍しい。改修が行われるまでの暫定的なものなのだろう。橋は既に新しくなっている。(04.5.1)
地点、大橋から上流側と下流側。これより下流は既に改修が終わっている。旧流路 (図中の細い線) は既に埋められており分からなくなってしまった部分も多い。(04.5.1)
地点、中央橋の上流側。旧流路がわずかに残っていた。(04.5.1)
地点、中央橋から下流側。コンクリートは護岸のみで河床は土が残っており、土手が確保されていて黒目川や空堀川に近い姿だが、河床までの高さは両者よりかなり深い。浅い割にはやたら広い空堀川東村山付近とは対照的だ。水はほとんど流れてないが、大雨時の増水が非常に激しいのだろうか。(04.5.1)

※黒目川はこちら ※空堀川はこちら

地点、中央橋の袂。埋められた旧流路と思われる痕跡があった。(04.5.1)
地点、中央橋のやや下流。ここも旧流路が辛うじて残っていた。改修後の直線的な川とそれを取り巻くように小さな旧流路が残っている様子は、やはり近くを流れる空堀川上流部と似た雰囲気だ。(04.5.1)
89年撮影の残堀川上流。現在の直線的な流路とは全く異なる。

air photo:「国土情報ウェブマッピングシステム」より引用
(c) 国土交通省 http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

地点、青梅街道の地蔵橋から下流側。(04.5.1)
地点、表橋から上流側と下流側。傍らに1810年製の石橋供養塔が立っている。ところどころに水辺に降りれるように階段が設けてある。(04.5.1)
地点、新青梅街道近くの富士見橋から下流側。水は溜まっている程度でほとんど枯れてしまった。(右) 早くもカルガモの親子を見掛けた。いつ干上がるか分からないような水溜りで子育てして大丈夫だろうか。(04.5.1)
地点、野山北公園自転車道の堀川橋から下流側。この自転車道の下には東京都水道局の羽村線という多摩川と多摩湖・狭山湖を結ぶ水道管が通っており、地形図には東京水道と記されている。元を正せば多摩湖・狭山湖建設に使用された軽便鉄道の跡である*6。河床は完全に干上がっており水溜りすらない。(右) 近くには護岸に大きく残堀川の文字が。(04.5.1)

*6 「貯水池を <まっすぐ>めざす軽便鉄道」(http://www.toy-train.com/japan/kop/hamura2.html) などによる。
地点、堀川橋のすぐそばで左岸に結構大きな支流が合流する。枯れてはいるが水源は野山北公園辺りと思われ、狭山池の案内板にあった「狭山丘陵から流れ出す残堀川」の一つなのだろう。(04.5.1)
74年撮影の堀川橋付近。川幅は狭い。今の半分くらいか。しかし新青梅街道との交差は予め幅の広いボックスカルバートが設置してあった。北から合流する支流は結構大きい。

air photo:「国土情報ウェブマッピングシステム」より引用
(c) 国土交通省 http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

地点、新残堀橋から上流側と下流側。上流側には用地買収の都合により古い護岸が残っている部分がある。H鋼にコンクリート板を嵌め込んだ構造で、石神井川旧田無〜保谷市内に近い規模だったと思われる。(04.5.1)

※石神井川はこちら

地点、伊奈平橋から上流側と下流側。相変わらず水は枯れておりところどころに溜まっている程度だ。付近は工業団地となっており大型トラックが多い。下流側は今は亡き日産村山工場に沿っており戦後になって作られた流路である。昔は工場内に食い込んでいる立川市との市境に沿っていたのではないかと筆者は推測する。(04.5.1)

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