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日本橋川 (含む亀島川) にほんばしがわ・かめじまがわ
Nihonbashi-gawa River (include Kamejima-gawa River)
最終更新 04.5.14

神田川の分流で、その名の通り日本橋を流れる川である。古くは平川と呼ばれ、江戸初期に神田川の現流路が築かれる前はこれが本流であった。神田〜大手町〜日本橋と日本の経済・商業の中心地を流れており、大都市東京のスケールを実感できる川だ。現在は大半が首都高で蓋をされているのが残念。
取り扱い区間:全区間 掲載方向:上流→下流
※写真はクリックすれば拡大。





※神田川はこちら
地点、神田川から分かれた新三崎橋から下流側。右岸は飯田町貨物ターミナルだったが、いつの間にか再開発が行われ高層ビルと化していた。江戸期は神田川分岐〜堀留橋 (下記) は埋め立てられていた。1895年に中央線が開業、1903年に水運と鉄道を結ぶために再び開削が行われた。現在の流路はその時のものであり、00年に行われた飯田町遺跡 (再開発地内、ここよりやや西方) の発掘調査では幅10mほどの当時の堀が発見された*1。川の真ん中から首都高の柱がにょきにょき生えている。しかも上下車線を1本の柱で支えている。地盤の軟弱な河床にこの程度の支柱で耐震性は大丈夫なのかな? (04.1.11)

*1 現地の案内板による。発見された堀の写真も載っている。

地点、堀留橋から下流側。江戸期には三崎橋からこの辺りまで埋め立てられていたようだ。(04.1.11)
地点、俎 (まないた) 橋から下流側。(04.1.11)
地点、雉子 (きじ) 橋から下流側。江戸城本丸に近いため警備が厳重だったそうだ*2。(04.1.11)

*2 現地の案内板による。
地点、江戸期のものと思われる石垣が今も残っている部分がある。この辺りはかつて江戸城外堀の一部であった。その石垣に首都高の支柱が立っているが、強度は大丈夫なのか? 石垣の向こうは毎日新聞社。(04.1.11)
地点、一ツ橋から下流側。これより右岸は大手町で、大企業の高層ビルがひしめく超都心である。(04.1.11)
地点、錦橋から下流側。右岸は政府の大手町合同庁舎 (気象庁他)。(04.1.11)
地点、神田橋から下流側。(04.1.11)
地点、鎌倉橋から下流側。右岸上流側は日経新聞社。(04.1.11)
地点、新常盤橋から下流側。JR線架橋下。これより左岸は中央区。(04.1.11)
地点、常磐橋から下流側。歩行者のみの古そうな橋が残っているがホームレスが多く雰囲気は余り良くない。左岸は日銀。旧館はいつかどこかで見たことあるような……そうそう、昔の千円札の裏面の絵柄だったね。(04.1.11)
地点、常盤橋から下流側。
橋と常橋があり紛らわしい。前方の一石橋から右岸も中央区。この辺りは東京駅から三越へ向かう買い物客の通り道なので土日でも結構人が多い。三越の駐車場に入る車も列を作っている。(04.1.11)
地点、西河岸橋から下流側。前方のアーチ橋が日本橋で、古い橋のため川幅が橋の部分だけ狭くなっているのが分かる。(04.1.11)
地点、日本橋。日本の道路元標であり、すべての道はここから始まる。上図の国道 (太線) からもそれが良く分かる。11年の竣工で関東大震災、第二次大戦を生き延びた数少ない構造物であり、重文に指定されている*3
広く言われているように首都高が景観を台無しにしているが、橋そのものはさすがに優美な造りだ。(04.1.11)

*3 現地の案内板による。
地点、同じく日本橋から下流側。この付近から鎧橋辺りに掛けて川幅も非常に広い。(04.1.11)
地点、江戸橋から下流側。(04.1.11)
地点、鎧橋から下流側。右岸上流側は東京証券取引所。(04.1.11)
地点、日本橋水門。亀島川が分岐する。水門になぜ信号が……船が行き交うため。(04.1.11)
地点、湊橋から下流側。(04.1.11)
地点、豊海橋から下流側、河口。目の前には永代橋の雄姿が。(右) 永代橋から見た河口。(04.1.11)
地点、亀島川、霊岸橋から下流側。日本橋川、亀島川、隅田川に囲まれた島 (現中央区新川) を霊岸 (れいがん) 島という。レーガン元米大統領に因んだ……ではないようだ。海が近いためか鴨よりユリカモメの方が多い。(04.1.11)
地点、高橋から下流側。亀島川は前後に水門があって運河的な雰囲気だ。(04.1.11)
地点、隅田川を渡った石川島から見た亀島川の河口。(04.1.11)

以上。

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