白子川 しらこがわ
Shirako-gawa River
最終更新 05.6.1

練馬区南大泉町の区立井頭 (いがしら) 公園から始まり、練馬区北西部〜和光市白子〜板橋区西部と流れ笹目橋そばで新河岸川に合流する荒川水系の一級河川である。実際には井頭公園から上流も存在し、保谷市では新川と呼ばれている。白子川上流部、大泉堀、新川については「廃河川探検隊」で詳細に取り扱っているので、併せて参照されたい。
※廃河川探検隊はこちら
なお「白子川を知っていますか −水辺再生に向けて−」(白子川汚濁対策協議会編・94年4月発行・非売品) という本が保谷、練馬、板橋、和光各市区の図書館に置いてあり、以前の白子川の様子や全湧水リストなどが載っており非常に内容の濃い本なので一読の価値がある。
取扱区間:全区間 掲載順:上流→下流

※写真はクリックすれば拡大。




99.8.21

91.3.24
地点、旧早稲田通りの近く。現在確認することができる白子川の最上流はここまでである。地形図にもここまでは川として記されている。しかし実際にはこれよりかなり西方、田無の東大農場の辺りまで追うことができる。これに付いては新川の項を参照されたい。

※新川はこちら


99.8.21

91.3.24
地点、井頭公園の南端から上流側。地図には七福橋という名が明記されており、近年まで欄干も残っていた (下流側には今もある)。以前はコンクリート蓋水路だったが、道路との段差が大きいためか金網が張られ通行禁止であった。

99.8.21

91.3.24
同じく地点の下流側。ここから井頭公園の敷地内へと入る。川幅もぐっと広がり、立て札はないがここが東京都で白子川として扱っている上流端だろう。昔はこの辺りに井頭池という池があったらしい*1。以前は池の汚れを防ぐため上流からの流れが公園の西に沿って設けられたコンクリート蓋水路を迂回していたが、下水道の普及により現在はこれも塞がれ、大雨時の雨水排水口のみが残されている。なお70年代末までは上記コンクリート蓋水路のみで、公園内には川はなかった。

*1 「白子川を知っていますか」による
少し下流から七福橋を見たところ。昔の橋の規模と、近年まで残っていたコンクリート蓋水路の様子が分かる。(03.6.22)
地点、井頭公園内から。ところどころに湧水が見られる。以前は草 (水草ではない) が生えたまま荒れ果てていたが、現在は親水公園として整備されており、水辺に降りることもできる。右岸に見える排水口のようなものは、恐らく前述の七福橋袂にある雨水排水口からつながっているものだろう。(99.8.21)
(右) 湧水量は豊富だが、乾燥した日が続くと枯れてしまうこともある。(04.2.28)
74年撮影の大泉井頭公園付近。上が樋の橋、下が七福橋。公園内には確かに川は存在しない。中央の雑木林の右に池らしきものが見える。これが井頭池なのだろうか。

air photo:
「国土情報ウェブマッピングシステム」より引用
(c) 国土交通省 http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

地点、西武線のすぐ隣にある泉橋から。この付近も水草が多く、以前に比べるとかなりきれいな水になった。水面に写る雲が良い感じだ。(99.8.8)

※大泉堀はこちら
地点、清戸 (きよと:現在の清瀬市) へと通じる古道・清戸道の中島橋からやや上ったところ。この大きな開口部は支流の合流なのだが、この支流の名が不明瞭で、保谷市ではこちらを「白子川」と呼ぶ。また「白子川を知っていますか」では「支川」「大泉堀 (だいせんぼり)」「下保谷窪地のシマッポ」(シマッポとは窪地の底にある小川のこと) などと書かれていた。社会科の授業では「保谷川」と聞いた覚えがあるが、保谷川の名は「白子川を知っていますか」にも載っていないので、恐らく担任も正式名称を知らず単に保谷の方から流れてくるから保谷川だと言ったのだと思う。
当サイトでは井頭公園方面からの川と区別するために「大泉堀」の名称を使う。残念ながら全区間が暗渠化されている。(99.8.8)


99.8.8

00.4.16
同じく地点、合流点から少し下ったところ。大泉堀の水質は残念ながら最悪で、勢いの良かった水草もぷつりと途切れてしまう。合流地点からしばらくの間、河床には特別な浄化施設が設けられていたが、これも撤去された。余り効果がなかったのか、末期には手入れも行われずに蓋がひっくり返ったような状態だった。この辺りは現在白子川で最も汚れの激しい部分で、すぐ下流の中島橋付近では河床は黒ずんでる部分があり時折悪臭を放っている。近代的なコンクリート護岸と相まって都会的な雰囲気の川ですが、この200m程下流の左岸には今や23区内唯一となったらしい乳牛牧場がある。練馬はやはり田舎である。……筆者も練馬区民だが (苦笑)。

地点、大泉学園通りの学園橋から下流側。コンクリート堤防から波打ち鉄板の護岸に変わる。この形式の堤防はコンクリート堤防を築いている時間がない場合に使われる言わば間に合わせ的なもので、続出する水害に対応すべく一刻も早く川を広げるために使われたやり方である。工事銘板には72年とあるが、歪んだ部分が見られるのでそろそろ再改修の必要が出るだろう。(右) 学園橋そのものも老朽化しているらしく、万が一橋が落ちた場合に備えて太いチェーンが繋がれている。(99.8.8, 01.1.20)

03.3.29

04.3.14
地点、御園橋から下流側。ごく最近改修が行われた。
地点、弁天池公園の弁天池。今は溜池となり淀んだ緑色の水だが、かつては水源の一つだった。(99.8.8)
地点、練馬区で最も有名な施設である東映東京撮影所 (右岸) の脇。この辺りも用地の買収が進んでいるので近いうちに改修が行われるだろう。(99.8.8)
地点付近、この辺りには白子川がかつて蛇行していた頃の流路跡や分水路の跡らしきものが多く見られる。以前は左右に小さな川が平行しており、西 (左岸) の流路は小槫川 (こぐれがわ:小槫村はこの付近の旧地名) 、東を土支田 (どしだ) 川と呼んだ*2。(99.11.23)

*2 「白子川を知っていますか」による


地点、東京外環大泉JCTのすぐ前、区立びくに公園の一角には八の釜湧水と呼ばれる湧水がある。水量は豊富で、ホタルの養殖実験なども行われている。憩いの森として整備されたのは80年代中頃で、以前は自然な小川が残っていた。小川はV字型に傾斜した土堤防でかなりの水量があり、水路に沿って金網が張ってあったが、この網に沿って何とか歩けるようになっていた。(99.11.15)


地点、放射7号の方へ少し向かったところ。昔はこの辺りに池というか水たまりのような部分があったように覚えている。下写真の対岸にある傾いた木などは当時の面影を残している。
当時は放射7号の向こう側 (土支田側) にも水路があった。それも暗渠化されておらず、狭いながらも石垣の堤防を持つ立派な水路であったが、その後コンクリート蓋水路になり、さらに大泉JCTの工事で取り壊されてしまった。今は放射7号に沿って流れており大泉氷川橋の袂で放流している。(99.11.15)

74年撮影のびくに公園付近。公園はまだ存在しなかった。八の釜湧水付近の流れは旧流路の一部であったことが分かる。放射7号はまだ未完成であり途切れている。

air photo:
「国土情報ウェブマッピングシステム」より引用
(c) 国土交通省 http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/


99.8.21

91.3.24
地点、東京外環大泉JCT前。ちょうど改修工事の最中に撮影することができた。大泉JCTが作られたため川も道も昔の面影は全くなくなってしまった。手前に作られた小さな橋は比丘尼橋という橋で、以前はセンターラインのある広い道で、もう少し遠くにあった。今は道自体がなくなってしまったため、大泉氷川橋からわずか20m程のところに歩行者用の橋として架け替えられている。設けても余り意味のない橋だが、恐らく橋の名を残すために作られたのだろう。

地点、関越道の北側。比丘尼橋下流雨水調整池を設けるための工事が行われていた。(99.10.31)
地点、川から少し離れた部分に旧流路と思われる帯状の荒れ地がある。(99.10.31)
地点、向下橋のすぐ下流。全薬工業工場から湧き出る水の提供を受けて設けられた清流と池がある。(99.10.31)

地点、清水山憩いの森。びくに公園ほどではないが、湧き出た水が小川や池を形成している。小さな池には冬になると水鳥がやってくるそうだ。(99.10.31)
地点、この付近の南側にはかつての流路跡 (土支田川?) がはっきりと残っている (右)。(99.10.31)
地点、稲荷山憩いの森の湧水。こちらは池があるだけで清流は見られないが、水量は豊富で鯉がたくさん飼われている。(99.10.31)
地点、中里幼稚園の湧水。同幼稚園のプールに使用される他、近くの八坂台児童公園の池にも提供されている*3。(99.10.31)

*3 「白子川を知っていますか」による
地点、越後山橋から下流側。これよりしばらく県境を流れるが、管理は東京都が行っている。(99.10.31)
地点、芝屋橋から下流側。これより埼玉県内へ入り白子川も埼玉県の管理となるため護岸の雰囲気も多少変わる。ここから笹目通りまでの南側の斜面には湧水が多いそうだが、川沿いに道がなく接近困難である。(99.10.31)
地点、笹目通りの向山橋から上流側。橋はかなり高いところに掛かっており、川が急に深くなったように感じる。(99.10.31)


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