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【茨城】

和歌で知る井伊直弼 滋賀のグループが解読

井伊直弼の和歌集「柳廼四附」を翻刻した小田輝子さん

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 水戸藩の浪士らに桜田門外の変で暗殺された幕末の大老・井伊直弼(なおすけ)(一八一五〜六〇年)の詠んだ和歌集「柳廼四附(やなぎのしずく)」が、滋賀県彦根市の古文書解読会のメンバーにより解読された。独特の字体のため、研究者でも全容を知る人はいなかった。優しい人柄がしのばれ、翻刻本を受け取った大久保貴・彦根市長は「水戸の市長に届け、本当の人柄を知ってもらいます」と話した。 (大橋貴史)

 柳廼四附は千三十首余りからなる直弼唯一の直筆和歌集で、国重要文化財に指定されている。

 解読のきっかけは、彦根市の彦根城博物館に展示していた和歌集を元中学校教員の小田輝子さん(92)が一九九七年に見たのが始まりだった。

 内容を尋ねたところ、直弼独特の字体や独自の当て字も多く「研究者を含めて誰もきちんと読んだことのないため分からない」と聞かされた。

 小田さんが講師となり、市内在住者を中心に解読会をつくった。月に一度の頻度で集まり、くせ字や当て字の法則性を一字ずつ、読み解いていった。二十年以上かけて一首ずつ正確に古文書と向き合い続けた。

 小田さんは「吉田松陰を処刑した安政の大獄など悪く描かれる直弼さんだが、民を思いやる本当に優しい心の持ち主だったと和歌から伝わってくる」と話す。直弼が彦根藩主となり初めて江戸から地元に戻った際には、「恵まずで あるべきものか 道のべに 出で立つ民の まことこころを」と、領民に恵みを与えていこうという決意の句を詠んでいる。

 直弼は根をしっかりと張りながらもしなやかに動くヤナギの木を、自身の理想の姿に見立てており、和歌を直弼からしたたり落ちた「しずく」ととらえ、和歌集を名付けたのだという。和歌集の詳細な年代は分かっていないが、彦根藩主になった一八五〇年以降に直弼の手で編さんされた。

 政治家として有名な直弼だが、茶や和歌、狂言に精通した優れた文化人としても知られている。「一期一会」という言葉も直弼によって全国に広められた。

 今月七日に、翻刻本を贈られた大久保市長は「悲願である直弼公の名誉回復に向け、人物像を深く知っていただける」と感謝した。

井伊直弼の和歌集「柳廼四附」。左は翻刻したもので右は原本の複写=いずれも滋賀県彦根市で

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