眞無量院とは 本願寺 眞無量院の由緒・沿革から取り組みについて紹介いたします。

寺宝のご紹介

御本尊 阿弥陀如来立像(四色截金彩色)

阿弥陀如来立像が、本願寺眞無量院(京都)の御本尊として御安置されております。
この御本尊は、木曽檜を3本使った寄木造りで、全体には四色の截金が施されております。門信徒の聞法道場の御本尊として、日々我々を信心獲得へとお導きくださっております。


蓮如上人御染筆焼け残り六字名号

吉崎三大奇瑞の一つ『焼け残りの名号』が、吉崎御坊(福井)の特製御厨子に御安置されております。
これは、蓮如上人が吉崎御滞在中の文明6年(1474)3月28日に吉崎御坊は大火にみまわれ、その折、本光坊了顕が命をかけて守護した御聖教『腹ごもりの聖教』とともに、火中にあって、まわりは焼けても一文字も焼けずに残った蓮如上人御染筆のお名号であります。常時は厨子の扉を閉めており、特別事にのみ御開扉しております。


蓮如上人・厳如上人連坐の御影像

蓮如上人・厳如上人連坐の御影像が、吉崎御坊(福井)に御安置されております。 室町時代の本願寺第8世法主蓮如上人が左上に、その右下に明治時代の本願寺第21世法主厳如上人がいらっしゃいます。
この連座の御影像は、当代大谷暢順御法主台下から特別に御允許を頂き、本山から御下附を頂いた当別院にしかないお掛け軸です。
蓮如上人は、京都の大谷本願寺を失われても、吉崎御坊にて多くの門徒に浄土真宗の御教えを宣布され、やがては山科や石山の地に本願寺を復活なされました。厳如上人も火事で御堂を失くされますが、蓮如上人のお心を確かに引き継がれ、単に御堂を再建するだけではなく、御教えの宣布に生涯を奉げられました。室町時代から明治時代という永い年月を経ても、本願寺の法統が確かに受け継がれてきたことを示すのが、この連坐の御影像です。


御法主台下御染筆六字名号

「南無阿弥陀佛」の六字名号が、吉崎御坊(福井)の御本尊として御安置されております。 この名号は、当別院が吉崎御坊を建立する際に、当代大谷暢順御法主台下より御染筆賜った御名号で、2貫代という大変大きいお掛け軸です。 定例法座や年中行事など、吉崎御坊の御本尊として、日々我々を仏法聴聞へとお導きくださっております。


御法主台下御染筆十字名号

「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号が、宗学堂東京学院(東京)の御本尊として御安置されております。この名号は、当代大谷暢順御法主台下御染筆の御名号で、宗学堂東京学院を開講するに当たり、教場の御本尊として御安置いたしました。
「名号」といえば、「南無阿弥陀佛」の六字名号が良く知られておりますが、浄土真宗御開山親鸞聖人は、阿弥陀如来のおはたらきを顕かにされたものとして、六字名号と並んで、この十字名号を大切にされました。また、浄土真宗開立の祖蓮如上人も、吉崎御逗留後は草書体六字名号の御下附を積極的になさいますが、それ以前は紺地に金泥で書かれた十字名号を御本尊として積極的に御下附なさっておりました。
無明の闇を照らす、阿弥陀如来の智慧の光のおはたらきを示す御名号として、東京にて学ばれる方々の大切なこころの帰依処となっております。