障害者殺傷事件初公判~暴れた被告 異例の幕開け

障害者殺傷事件初公判~暴れた被告 異例の幕開け
“冬の嵐”になるーー。
朝から雨風が強まった1月8日。
裁判所近くに集まった傍聴を希望する2000人近い人たち。
法廷で突如暴れ出した被告。
そして、犠牲者が匿名となる中、娘の名を初めて明らかにした遺族。

差別的な動機で19人のいのちが奪われた事件の初公判が始まりました。(障害者殺傷事件取材班)

遅れた開廷 傍聴券に長蛇の列

朝9時。
横浜の観光名所「赤レンガ倉庫」の近くにある公園には、続々と人が集まり始めていました。

ふだんは横浜地方裁判所で行われている傍聴を希望する人たちの抽せん場所が、今回は特別に公園となったのです。
対象の裁判は、相模原市の知的障害者施設で19人を殺害し26人にけがを負わせた、植松聖被告(29)の初公判。車いすを利用する人の姿も見られ、曇り空が風を伴った雨に変わったあとも、人は増え続けました。

傍聴券を求めて並んだ人たちは。

埼玉県加須市から来た43歳の男性。
「以前、障害者支援の仕事をしていたため、事件の発生当初から関心を持ってきました。被告が心から被害者や遺族などに謝罪することばが出るのか注目したい」

横浜市の老人ホームに勤める31歳の介護福祉士の男性。
「同じ介護士として、なぜ植松被告が残虐な事件を起こしたのか、その理由を聞きたくて来ました。被告には障害が重度であれ軽度であれ、一つの命だということを理解してほしいです」

午前10時。整理券の交付の締め切り時間をすぎても数百人が列を作ったまま。
最終的に、26の一般傍聴席に対し希望した人は1944人。倍率はおよそ75倍となりました。

裁判所の想定を超えた傍聴を希望する人たち。整理券の交付は30分ほどずれこみ、開廷時間は11時20分に変更されました。

多くの人がこの事件と裁判に、関心を寄せていることを改めて感じる場面でした。

始まった初公判 匿名審理

そして、午前11時26分。裁判が始まりました。

植松被告は法廷に入ると軽く一礼をして弁護士の後ろの席に座りました。
黒のスーツに紺色のネクタイ。私たちが接見した際に、事件後一度も切っていないと話していた髪は、背中の中ほどまで伸びていました。
今回の裁判を物語るものが傍聴席にありました。
高さ1.8メートルほどの遮蔽板です。大けがを負った1人を除いて、被害者が匿名で審理されることになったのです。

裁判長は、冒頭被害者や遺族のプライバシーに配慮して、傍聴席の一部を遮蔽板で見えないようにしていることを説明。
検察官が起訴状を読み上げる前にも、裁判長が被害者の要望に応じ、個人が特定される情報は伏せて、匿名で審理を行うことを説明しました。

検察官も、被害者については氏名を出さず、「甲A」「乙A」などという表現で起訴状を読み上げました。
匿名で審理される状況を傍聴した1人、骨の発達に障害があり、兵庫県西宮市から車いすで訪れた住田理恵さんは。
「裁判官が『犠牲者の名前を甲と呼ぶとか、AとかBとかで呼ぶ』と説明するのを聞いて、悲しい気持ちになりました。19人の人格があって、それぞれの名前を呼んであげたいと思いました。匿名で裁判をしないといけない社会にも腹が立ちました」
裁判を傍聴した71歳の女性は。
「亡くなった19人やけがをした人が匿名のまま裁判が行われ、存在していなかったように扱われていると感じるので残念。廷内に遮蔽板を設置するという今回の対応には今の社会のありようが表れていると思う」

無罪主張と“暴れた被告”

法廷で裁判長から、起訴された内容についてまちがったところがあるかと尋ねられた植松被告。

「ありません」とはっきりした口調で述べ、殺害などについて認めました。この時、被告は証言台の前に立ったまま、裁判長のほうをじっと見ていました。
一方、裁判長に意見を求められた弁護士は、「当時、被告人には精神障害があり、その影響で責任能力が失われていたか、弱くなっていたため、心神喪失者または耗弱者であったと主張します」と述べて無罪を主張しました。

このあと、弁護士が被告に発言を促したところ、被告は「皆様に深くおわびします」と述べました。

その直後、被告は突然、口の中に何かを入れるようなしぐさをするなど暴れ出し、近くにいた係官に制止されます。
被告は押さえつけられてしゃがみこみましたが、係官から「やめなさい」と何度も注意され、裁判長が休廷を告げました。法廷は騒然としました。

横浜地裁はその後、「被告が右手の小指をかみ切るような動作をしたため休廷した」と説明しましたが、けがをしたかについては「答えられない」としています。

被告不在で進む異例の幕開け

午後1時20分ごろに再開された法廷。

被告の姿はなく、検察官と弁護士による冒頭陳述は、被告不在のまま進められました。
争点となる被告の「責任能力」について、検察官の主張です。
「被告には完全に責任能力があった。パーソナリティー障害と大麻使用による精神障害があったことは認めるが、パーソナリティー障害は、人格に偏りがあるにすぎないことで、大麻使用については、病的妄想を生じさせるものではない」
一方、弁護士は。
「客観的事実は争わない。事件が誠に痛ましい事案であることも否定しない。被告は大麻の乱用によって大麻精神病になり本来とは違う別の人になった結果、事件が起きた」

「娘は甲でも乙でもない」名前明かした遺族

この日、遺族や被害者の家族はそれぞれの思いを抱きながら臨みました。
事件で大けがをした尾野一矢さん(46・写真左)の父親の剛志さん。
被告の主張を打ち消したいと、事件後、実名で息子の生きる姿と家族の思いを伝えてきました。

被害者では唯一実名で審理に望んだ剛志さん。初公判を前に、こう語っていました。
「事件から3年半がたってやっときょうの日にたどりついたという感じです。緊張していますが、来る時が来たので腹をすえて法廷に入りたい。被告の顔をこの目できちんとみて、彼の真の心を探りたいです。被告に、もし謝罪の気持ちがあるとすれば、人の気持ちがあったのだと、そう思いたい」
だからこそ、閉廷後の記者会見では被告の態度に落胆した思いを語りました。
「法廷での被告の行動は心神喪失や心神耗弱にみせかけようとしたパフォーマンスとしか思えなかった。裁判をつぶしてやろうという意図がみえて、この程度の人間だったのかと改めて軽蔑したい。施設で働き始めた頃の被告はやさしそうな好青年だった。当時からそういう気持ちがあったのか、そうでなければいつ気持ちが変わったのか、今後の裁判で確かめていきたい」
そして、もう1人、ある決意をして裁判を迎えた人がいました。
事件で犠牲となった19歳の女性の母親です。

「娘が一生懸命生きていた証を残したい」と、初公判にあわせ初めて娘の下の名前を「美帆さん」と明かしました。
幼い頃から亡くなる19歳までの4枚の写真と手記も寄せました。
手記には、葛藤しながらも明かした理由をこうつづっています。

「美帆は一生懸命生きていました。その証しを残したいと思います。こわい人が他にもいるといけないので住所や姓は出せませんが、美帆の名を覚えていてほしいです。うちの娘は『甲』でも『乙』でもなく美帆です。どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘でした」

裁判についてもこう記していました。

「犯人の量刑を決めるだけでなく社会全体でもこのような悲しい事件が二度と起こらない世の中にするにはどうしたらいいか、議論して考えていただきたいと思います」。それだけに、きょうの被告の行動を代理人の弁護士から聞き、こうコメントを出しました。「とても裁判に臨む態度ではなく残念です。この先の裁判がどうなるのか心配です」

初公判を見つめて

法廷での被告の突然の行動には、取材をしていた私たちも驚かされました。

裁判を被告と対じする機会として捉えてきた、遺族や被害者の家族などの思いを想像すると、やりきれない気持ちになりました。
初公判を見つめた、脳性まひの障害があり、障害者と社会の関わりについて研究している東京大学の熊谷晋一郎准教授。

2000人近くが傍聴を希望して集まったことについてーー
「事件の風化が危惧されていたが、多くの人たちが3年間にわたり、それぞれの立場で関心を寄せ続けていると改めて感じた」

そのうえで植松被告についてーー
「おわびをすると言ったが、まだ彼がおわびをできる状況ではない。被害者におわびをしたり、罪をつぐなったりするためには犯した行為の背景と与えた影響を深く理解することが必要だが、全く不十分にみえる。意志疎通ができない人とカテゴリー化する前に、相手の話を聞こうとしたのか。被害者や遺族の声をしっかり聞いて深く理解すべきだ」

そして今後の裁判に向けてーー
「多くの人々がなぜこのような事件が起きたのかと思っている。被告自身の生い立ちや人生、そして社会における重度障害者が置かれている状況など多角的な視点からなぜ事件が起きたのかを明らかにしてほしい」

事件から3年半がたってようやく始まった裁判。
多くの人が注目したその法廷に、植松被告がいた時間は、わずか10分ほどでした。被告本人が不在でも、審理を続け判決を出すことは可能です。

法廷で「深くおわびします」ということばを述べたのであれば、遺族や被害者家族の気持ちに少しでも向き合うため、まず被告は今後繰り返し開かれる裁判に出廷すべきだと感じました。

次回の裁判は今月10日。
被告は出廷するのか、そして、その後の裁判にどう向き合っていくのか、“異例の幕開け”となったこの裁判の行方を見つめていきたいと思います。