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リアルロボットアニメ『装甲騎兵ボトムズ』などの名作アニメを手がけてきた高橋良輔監督の特別講義を開催しました!

高橋良輔監督は1964年に虫プロダクションへ入社。その後、70年代前半からサンライズ作品に多く携わっており、1973年の同社アニメ『ゼロテスター』で初監督を経験されました。

特別講義をおこなう高橋良輔監督

高橋監督は『装甲騎兵ボトムズ』シリーズのようなハードな内容のリアルロボットアニメの原作・監督のほか、『火の鳥』から、『まんが日本昔ばなし』、『ムーミン』『ナースエンジェルりりかSOS』といった幅広い分野の多くのアニメ作品に監督、脚本、演出協力といった主要制作陣として関わってきました。

今回の特別講義では、学生が直接、高橋監督へ質問する形式で講義がスタート。講義開催と講義進行役に『アドビアフターエフェクツの達人』などを執筆された宗宮賢二氏にご協力いただきました。

 

Q. アニメ業界に足を踏み入れた頃のお話を聞かせてください。

私は元々、昼間は仕事をしながら夜は夜間大学でシナリオの勉強をしており、『鉄腕アトム』の放送が始まった翌年の1964年(昭和39年)、21歳の時に虫プロに入社しました。しかし同じ時期に入った仲間がすでに何らかのアニメ制作を経験した人たちばかりで、アニメの技術では到底追いつけないと入社当時には感じました。
だから私は、アニメ以外の表現やクリエイティブ全般に興味や守備範囲を広げようと思いました。

その頃はちょうど時代的にも今までの劇団の枠にとらわれない、いわゆる「アンダーグラウンド」といった分野もふくめたサブカルチャー的演劇集団が、社会のあちこちで始まり出していた頃でした。そのような演劇の世界を体験してみたり、テレビCMの世界に身を置いてみたりしました。そして節目節目出入りしながら、最終的にはアニメの世界に帰って来ました。

Q. 業界に入りたての頃、一番つらかったことを教えてください。

虫プロに入る前は、一緒に仕事をする仲間とはだいたい同じくらいのレベルだろうと思っていたんですよ。しかしいざフタを開けてみると、先ほども申し上げたように、周囲の既に経験を積み上げてきたみんなと自分とでは、技術に歴然とした差があり、最初から10歩くらい先を行かれていたんです。
こんな状況って普通ならつらいと感じるのだと思うのですが、僕は少し鈍い性格なのか、別につらいとは感じなかったんですね。むしろ自分には「何か、ほかに取り柄があるのではないか?」と考えました。結果的にそのおかげで芝居の世界へ導かれたり、CMの世界を覗くことができました。つらかったというよりも、いろいろなことが経験できて楽しかったです。

Q. アニメ作品を制作する時、最も力を入れる部分はどこでしょうか?

写真中央・高橋良輔監督、同右・宗宮賢二氏

まずは自分が「これをやっていて楽しい」と感じられる部分を探すことです。僕の場合、アニメーションが表現できるテーマやモチーフを広げていきたいと思っています。例えば(インターネット配信アニメの)『FLAG』では、全編をドキュメンタリータッチに仕上げました。これはなにも、アニメでドキュメンタリー作品を制作したいのではなく、アニメーションが持つ表現の幅を広げたいという意図がありました。今後その作品を見て、『この方法論で違う物語を作ってみよう』と思う人も出てくるかもしれない。「こういうモチーフはアニメーションに合わないのではないか」と思われるようなものでも、アニメの中に定着させて行きたいという意欲は常に持っていて、それがアニメを作る上で楽しい部分でもあり、力を入れている部分でもあります。

Q. 学生時代、絵がうまくなるためにどういった工夫をしていましたか?
また、人物やロボットなどを描くためのコツなどはありますか?

僕自身もあまり絵が得意ではないので答えづらい質問ですが(笑)、まずは描いてみて、1日置いてから無駄を落とすという手順で作業をしています。また、作品を作るにあたっては、ほかの作品をお手本にするのではなく、僕は「日常生活で起こっていることをいかに自分の中に蓄積しておくか」ということに気をつけています。新聞や週刊誌をよく読んでみたり、気になった本を読んだり…。
一見、映像やアニメーションに直接関係のなさそうなことを身体の中に取り入れることで、他のアニメーション作家の方たちと違う匂いを出そうと心がけています。

Q. ロボットアニメを多数手がけられていますが、ロボットを描く際に意識されていることはありますか?

ロボットは『機動戦士ガンダム』の登場で初めて「戦争における兵器」というハッキリした位置付けが与えられました。それ以前のロボットは言わば「巨大な鉄のプロレスラー」といった位置付けでした。このガンダムの登場により、戦場という世界観の中にふさわしいロボットが求められました。それは、戦場にふさわしい装備をしていて、戦場にふさわしい武器を持っているロボットのことです。僕がロボットアニメを作り始めたのは『ガンダム』以降だったので、ロボットそのものに対する位置付けに悩むことはなく、あくまで「戦争の兵器としてのロボット」を描くことに意識を集中させました。そして、そのロボットをどうやって魅力的に見せて、どうやって動かして行くかを考えています。

Q. 最新版『装甲騎兵ボトムズ』シリーズの戦闘シーンでは、3DCGが使用されていますが、3DCGを使われた意図を教えてください。

3DCGを使用した主な理由は「その技術が定着してきたこと」が挙げられます。僕は新しい技術が出てくると、すぐにその技術を使うというタイプの監督ではありません。技術を見せるための作品作りよりは「見せたいテーマを表現するために、その技術が必要となれば使っていく」というスタンスをとっています。
また、新たな技術は開発されて間もない頃よりも、ある程度の期間が経った頃の方が制作の各部所のオペレーターたちに習熟がはかられ、テクノロジー自体の開発も進むことから、使いやすくなる傾向があります。ボトムズの中でのロボットの位置付けは「主役級」というわけではなく「工業製品」としての色合いが強いです。つまりボトムズの中のロボットは、工場のラインでの生産が可能なものという位置付けで、できるだけ大量に描きたかったんです。ところが手描きの場合は大量にロボットを描くことは非常に困難です。戦争という消耗戦を描く上で、3DCGはもっともふさわしい技術だと判断しました。

Q. 絵コンテを描くとき、どのような点に注意を置かれていますか?

編集部批評会の様子

正直私は絵コンテが苦手です。なので今は本当に必要に迫られた時にしか描かないのですが、若い頃はお金を稼ぐために外注でコンテの仕事もやっていた時がありました。
外注で仕事をする時は、その監督の意図を思い測って、その監督とプロジェクトの意に沿うようにコンテを描くようにしていました。
外注ではなく、今、自分で絵コンテを描く時は、演出のスタイルを作品ごとに変えるようにしています。例えば『装甲騎兵ボトムズ』という作品だったらこういうスタイル、『FLAG』という作品ではこんなスタイル。という風に、その作品のテーマに合わせて演出スタイルを変えています。
作品の話の内容ということ以上に、演出スタイルを重点的に考えるようにしています。しかし『火の鳥』(2004年のNHKアニメ版)の時は、あまりにも手塚先生の原作漫画スタイルを意識し過ぎたという反省点がありました。なぜなら、手塚先生は生前「同じところに留まることなく、足場を崩しながら常に新しい土台を作り続けてきた人」でした。 もし手塚先生が今も生きていたとしたなら、きっと、執筆された当時の漫画テイストとは変えて、現代の視点でご自身の作品をアニメ化されただろうと感じます。それを踏まえ(2011年公開予定のアニメ映画)『ブッダ』の依頼があった時は、もちろん原作に沿った形ながら「もし今、手塚先生がブッダをアニメーションにしたら、どんな風にするだろう」と考えながら企画を練っていました。そういう意図があって提出した『ブッダ』でしたが、実際には「どうして原作どおりにできないんだ?」という意見もありました(笑)

Q. 今までに影響を受けたアニメや映画作品などはありますか?

私は基本的に、作品そのものから影響を受けることは少ない方です。それよりは著名な作家さんの「作品のつくり方」や、感性などを学んで影響を受けることの方が多いですね。
しかし1967年公開のフランス映画『冒険者たち(Les Aventuriers)』という作品には非常に感銘を受けて、今でも深く心に残っています。
当時、一番人気のあったフランス人の役者、アラン・ドロンが主演で、共演者にはリノ・ヴァンチュラ、ヒロインにはジョアンナ・シムカスが出演していました。アラン・ドロンは飛行クラブの教官、リノ・ヴァンチュラは自動車エンジンの個人発明家、ジョアンナ・シムカスは鉄のオブジェの作家といった配役で、3人それぞれが夢に破れて挫折するところから物語は始まります。そして3人はアフリカの海底に眠る宝探しの冒険へと旅立つのです。西アフリカの海を舞台に、若くてきれいなジョアンナ・シムカスに男2人は惚れてしまうわけですね。1人の美女をめぐって2人の男の友情という三角関係の構図がとても好きで、私もこういう作品をつくりたいなと思っています。

Q. 時代劇がお好きと聞きましたが、時代劇のどんな所が好きですか?

私が小学生の頃はほとんど時代劇しか上映されていなかったんですね。
小学校高学年の頃がちょうど東映の時代劇が最盛期の頃でした。時代劇といっても(いまの大人向けな時代劇と違って)、当時の「時代劇」は、空想冒険活劇的な、多くのファンタジー要素が含まれていたと思います。どんな部分がファンタジーだったかと言うと、たとえば『笛吹童子』(1954年)などは、悪者の「ドクロ党」と善良な「白鳥党」が出てきて、 どんなに強い戦闘力を持った者でも、 ドクロ党のドクロのお面を見た人は、金縛りにかかって動けなくなってしまう。しかし、たくさんお酒を飲んで泥酔している奇人にはその魔力が、かからなかったり。一方の白鳥党の人たちは彫刻家に頼んで「白鳥の珠(たま)」を作らせて、その珠をかざすとドクロのお面が砕けて壊れたり。と、非常にファンタジックな世界観が、当時の多くの時代劇にはありました。
こうした作品を今の技術でアニメーションにすると、たいへん素晴らしい素材になるのではないかと考え、2006年に『幕末機関説 いろはにほへと』を企画しました。

Q. 最後に、これから業界を目指そうとする学生に向けて、ひと言お願いします。

私が仕事を始めた頃は、(アニメに限らず)本当に食べることも必死な時代だったんです。今は時代も進んで「就職は難しくても食べること自体に困る」ことは随分減ったと思います。自分の好きなことを信じて地道に続けていれば、早急に答えは出なくても、どこかの地点で「時代が自分に寄り添う瞬間」が訪れます。その時を待って、コツコツと努力を続けてください。

 

1960年代からアニメーション制作の第一線で活躍されてきた高橋良輔監督の大変貴重なお話の数々を、今回の特別講義では受けることが出来ました。物事をいつでもポジティブに、前向きに考えてきた高橋監督の姿は、学生たちにとっても「一日も早くクリエイティブ業界で活躍できるような人材になろう!」という希望の気持ちを新たにすることになりました。

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