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匠ドクターズ 三好 立 Vol.1 第1章、第2章

匠ドクターズ 三好 立 Vol.1 第1章、第2章

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第 1 章 余命宣告の春

――2015年1月24日、午前11時。岡山県倉敷市

この日、岡山県極真空手道連盟の新年会に向かうため、筆者は西田裕二師範の迎えの車に妻と乗り込んだ。

昨年、10周年を迎えたこの組織の顧問、相談役を務めてきた筆者は、これまでずっと彼らの活動を側面的に支援してきた。

なぜなら、かつて少年マガジンに連載されていた『空手バカ一代』のモデルにして、極真空手の総帥・故大山倍達総裁から27歳のとき、直接、総裁室でこう頼まれたからだ。 「中見さん、岡山の極真カラテをよろしく頼みますよ。これから先、何があっても大山カラテを見守ってやって下さい」

いわば男と男の約束を果たすという意味もあった。

「先生、今日、1ヶ所寄らせていただきたいのですが」

西田師範の言葉とともに我々を乗せたワゴンは白いビルに向かって走り込んでいった。見れば、そこは中四国地方からも患者が訪ねてくるといわれている比較的大きな病院であった。

しかし、この日は日曜日。

当然、外来はやっていない。そこで筆者は後方から運転席の師範に向かって尋ねた。
「誰か入院しているの?」
「先日まで母が入院していました。ちょうど今朝、兄が先生に呼ばれて緊急面談が終わったところです」
「緊急面談?」

車は駐車場に滑り込んでいった。そこに体格の良い男性が立っている。

その人物は西田裕二師範の兄で岡山県極真空手道連盟代表の西田憲治四段であった。彼は、極真空手の猛者で、実に真面目で実直な古武士のような人物である。

その西田代表の顔は遠目でもわかるほど蒼白だった。やがて目の前に止まったワゴンに乗り込んできた彼は、頭を下げながら口を開いた。
「寄り道いただいて申し訳ありません」
「いや、構わんがどうだった? お母さんは」
「はい。実は……」

そう言ってから一度うつむくと、彼は再び顔を上げて、私を見ると力ない声でこう言った。

「今、余命宣告を受けました……」
「余命宣告!? 今か?」

思いもよらぬ言葉に一瞬、息を吞んだが、すぐに我に返ると、私は西田代表に問いかけた。
「病名は……」
「胃がんです。手術をして切除できたはずなんですけど、この間の検査で転移が腹膜に見つかりまして……春まで持たない……と言われました。今は胸水が溜まって動けず、寝たきりなんです」
「そうだったのか……」

義母の件もあり、がん患者の苦しみや家族の悲しみを知っている筆者は、なんとかしたいと思いつつ、まずは落ち込んでいる西田兄弟に言葉を投げるよりほかはなかった。
「わかった。ともかく元気を出せよ!」

会場に着くと新年の挨拶もそこそこに筆者は西田代表をはじめ、その場にいた幹部メンバーを前にこう切り出した。
「皆、落ち着いて聞いてくれ。今、西田君の母上が余命宣告を受けたところだ。西田代表の母上は私たち全員の母上だと思ってくれ」

筆者は義母に脳腫瘍が見つかったときに妻にかけた言葉を繰り返した。
「必ず治すからな。治してくれる先生も絶対に見つける」

これは今や筆者の魔法の呪文だった。たとえ医者ではないにしても周囲の誰かが力強く、こう言い切ること。また言い切る人がいること。それががん治療の第一歩だ。そして、こう続けた。
「西田代表のやるべきことは、まず母上の看病だ。そして皆がやらねばならぬことは、全員で彼を助けることだ。頼むよ!」

帰り際にシンデレラカップ全日本女子空手道選手権2連覇を達成した西田直実師範も筆者の前で頭を下げた。
「先生、義母のこと宜しくお願いします」

彼女は西田裕二師範の妻である。

このとき筆者の頭のなかには、ある男の顔が浮かんでいた。旧知の林基弘医師である。彼は義母の主治医であり、肺がんから転移した脳腫瘍をはじめ、いくつかの転移危機を仲間の医師とのベストミックス療法で救ってくれた人物だ。以前、彼は一人の医師の名前を筆者に教えてくれたことがあった。

「ご存知ですか。銀座に抗がん剤の巨匠と呼ばれる先生がいるんですよ。低用量の抗がん剤でがん難民を次々に救っている名医がいるんです」
「低用量の抗がん剤で、がん患者が救えるんですか?」
「そうです。……」

林基弘医師は一瞬、間を置いてから、こう告げてみせた。
「三好先生です。三好立(みよしたつ)先生」

実は、まだ見たこともない、この医師の名が私の切り札として漠然と頭の中に浮かんでいたのである。もしかすると彼ならがん難民となった西田親子の窮地を救ってくれるのではないだろうか、と。

――がん難民。

ある統計では日本全体で69万人以上のがん難民がいるという。しかも毎年、それは増え続けている。

なぜか?

ここでがん難民発生のシステムを簡単に説明しよう。

そもそも我々は、がんと宣告されたあと、まず3つの治療を提案されることになる。
①外科手術
②化学療法――すなわち、抗がん剤治療
③放射線治療

こうした三大治療のことを標準治療と呼んでおり、これら3つの治療を組み合わせることを集学的治療と呼んでいる。これは専門家が適切と判断した普遍的治療のことで、特にどの地域でも均一な治療を目指すがん対策基本法が2007年に施行されて以来、重視されてきたものだ。今、日本ではほとんどの病院でこの標準治療が採用されている。

その一方で、①の外科手術だが、これができない状態だと判明した途端、待っているのは②と③の組み合わせであり、いずれも体に負担がかかるため副作用に苦しむ人々が多いのが事実である。とりわけ③の放射線治療はガンマナイフやサイバーナイフがピンポイントなのに比べて、大砲のようなものだから正常な細胞にまで照射する可能性があり、リスクゼロとは言い切れない。

そして、この標準治療は前述のように全国で普遍的な治療が誰でもどこでも受けることができるというメリットがある反面、ひとたび転移や腫瘍マーカーが上昇し対応できなくなると、体はまだ動かせるのに病院から見放されることになる。

残された道は緩和ケアや心理ケアしかなくなり、あっという間にがん難民の仲間入り。これががん難民誕生のシステムだ。

先にご紹介した西田兄弟の母も、その一人にされたわけである。

「なんとかする」

こう断言した手前、2月に入ると筆者は林基弘医師の紹介で早速、三好立のもとを訪れることにした。私が会ってよければ、ぜひとも彼に紹介したいと考えたからである。

銀座並木通りクリニック。

それは車と人があふれる銀座の一等地に立つビルの中にある。

クリニックというより、まるでオフィスのような構えの扉を開くと、受付にご婦人の明るい声が響いていた。

「ねぇ、あなた。三好先生に言っておいてくれない。あそこの薬局は階段があるから嫌なのよ。別な薬局にしてくれないって」
「そうですか。具合が悪いんですね」

受付の担当者が心配そうに尋ねると、そのご婦人はさらに笑いながら、

「違うのよ。単純に面倒くさいのと、あそこは愛想が悪いから行くのが嫌なだけ。あっ、ごめんなさい。これから歌舞伎に行くの。早く計算してね」
あとで聞いたことだが、彼女は抗がん剤治療が終わり、これから歌舞伎を楽しむのだという。ところが驚くことに昨年11月に余命宣告され、2015年の2月頃に寿命が尽きると主治医から告げられたというのだ。

そして今は、その2月。

彼女の寿命は尽きるどころか、実に元気に人生をエンジョイしているではないか。
だいたい歌舞伎の演目は2時間から3時間の長丁場。見る方だって体力が要る。
「タクシー呼びましょうか」

受付の女性から声をかけられた彼女は、
「いいわ、近いから歩くわ」

そう言うと筆者の目の前で手を振りながらスタスタと歌舞伎座目指してクリニックを後にしたのである。

――余命宣告をクリアした女性患者。

それこそが三好立の推進している低用量抗がん剤治療の凄さであった。

『がん難民を救え! 抗がん剤の巨匠――三好立医師』
中見利男

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