2021夏 長濱ねるが歩く広島と長崎

この夏、長濱ねるさんが広島と長崎を訪ねる旅に出ました。

それぞれの地で被爆体験を未来に伝えようと取り組む同世代の若者と被爆体験者の方々と出会いました。体験者の高齢化が進む中で若い世代が被爆体験をどのように引き継ごうとしているのかをねるさんが見つめます。広島テレビと長崎国際テレビ、Yahoo!ニュースの共同取材です。


「8月6日も9日も、ただ夏の一日という感じで過ぎ去っていく。長崎にいたら当たり前のこととして学習していたことが東京に行ったら、みんなの中に浸透していなかったのがショックで、自分が長崎出身だからこそ発信する責務があるなと感じています。」

こう話す長濱ねるさん。長崎県生まれで、「欅坂46」のメンバーとして活躍し、グループ卒業後はTV・ラジオのMCやエッセイ執筆など言葉を大切に紡ぐ姿が広く支持されています。

長濱ねるさん

この夏ねるさんは、広島と長崎に被爆体験を未来につなごうという若者に出会う旅に出ました。

記憶が解凍されるとは?

まず広島に向かいました。そこで待っていたのは大学2年生の庭田杏珠(にわた あんじゅ)さんです。
庭田さんは、広島の高校時代から被爆体験継承の活動をしていて、東京の大学に入った去年、1冊の本を出しました。

「記憶の解凍」について説明する庭田杏珠さん 「記憶の解凍」について説明する庭田杏珠さん

「記憶の解凍」というプロジェクトから生まれたこの本には、原爆で失われた人々の暮らしが刻まれています。しかも、元は白黒だったものがカラー化されています。そのことで、写真を見る人は過去と現在が地続きになることを感じます。

「本当にそこに人々の暮らしが生活あって、穏やかな日常が残ってますね」

ねるさんが感じたように、庭田さんがこの取り組みを始めたのはカラー化によって戦前の記憶が身近なものになるからでした。
そのやり方は、まず白黒の写真データをA Iによって自動的に色付けします。その後その写真の持ち主との対話を通して思い出してもらうことで補正して本当の色に近づける、
その過程を「記憶の解凍」と呼んでいます。
庭田さんは言います。
「カラーで見てもらうことで、戦前の日常が原爆・戦争で一瞬にしてなくなってしまったんだと想像してもらうことが"継承"につながるのかと思います」

左から二人目が濱井徳三さん (1939年に撮影された写真をカラー化) 左から二人目が濱井徳三さん (1939年に撮影された写真をカラー化)

失われた暮らしや街を思う

ねるさんは、長崎での平和学習で様々な情報に触れてきたはずなのに今回初めて気づかされたことがありました。

「原爆投下前のことに目を向けることがなかったので、見方が変わりました」

庭田さんが継承の活動を始めるきっかけになった濱井徳三(はまい とくそう)さんと会いました。濱井さんの両親は、平和記念公園ができる前の広島で最も賑やかだった中島地区で理髪店を営んでいました。そして原爆は、濱井さんのご両親、兄と姉を奪ったのです。

家族を原爆に奪われた濱井徳三さん(87歳) 家族を原爆に奪われた濱井徳三さん(87歳)

庭田さんの活動で濱井さんは様々な記憶を呼び覚ましたと言います。
「10歳で一人になってしまい、悲しいとか苦しいとか 色々な思いもしましたけれども
 (写真を)カラー化してもらって思い出して、毎日溌剌として生きています」

ねるさんは、広島の最後にこう話しました。
「写真を見たことで、この生活がなくなってしまったんだ、今の私たちと同じように暮らしていたんだってことが、当たり前のことなのに考えきれていなかったんだなって気づきました」

ふるさと長崎へ

ねるさんは広島を発ってふるさと長崎に向かいました。

長崎市松山町にある爆心地公園で大学三年生の水谷遥(みずたに はるか)さんと会いました。
水谷さんは、母方の曽祖母が原爆を体験した被爆4世です。いま被爆体験者とパートナーを組んでその人の経験を代わって伝える「交流証言者」の活動に取り組んでいます。
これは、高齢化によって被爆体験を語り伝える方が少なくなっていることから、始められた取り組みです。

水谷遥さんと長崎平和公園にて 水谷遥さんと長崎平和公園にて

一方、ねるさんは被爆3世です。
「私も祖母が被爆者なんですけど、なかなか話したがらなくて。被爆者の方は話したくない、思い出したくないという人が大半だと思うので、その中で話そうとしてくださる方の話を聞いてこうやって伝えてくださっているのは私としても心強いと思います」
水谷さんとねるさんは、公園に保存されている遺構を見ました。そこには、人々の暮らしの痕跡がありました。
「実際に使われていた茶碗とかが埋まっていて、ちゃんと日常がそこにあったんだということがわかって、胸がぎゅっとなるんです」(水谷さん)

次世代が伝える被爆体験

被爆者の高齢化が進む中、長崎市がその体験を次世代に継承し伝える「家族・交流証言推進事業」を始めました。今は44人の方が取り組んでいます。

水谷さんのパートナーは、6歳で被爆した池田道明さん。ねるさんは、水谷さんの講話を聞きました。

6歳で被爆した池田道明さん 6歳で被爆した池田道明さん

池田さんは、母親の勤務先だった旧長崎医科大学付属医院で被爆しました。爆心地からわずか700メートル。意識を失った池田さんが目を覚ますと地獄のような光景が広がっていました。
「足や腕、お腹が倍以上に膨れて死んでいる人が何人も、何人もいました」
「そのために家族であってもその遺体が誰なのかわからない人が大勢いました」
(水谷さんによる池田さんの体験の講話)

池田さんに長崎原爆資料館で被爆体験を伺う 池田さんに長崎原爆資料館で被爆体験を伺う

語れる次世代を育てるのが私の使命です

ねるさんは水谷さんの語りに胸を打たれたと言います。
「同世代のこうした話を聞いて、さらに下の世代に伝えていることに感動しました」

池田さんも水谷さんの熱意に対してこう語ってくれました。
「我々が亡くなって継承者がいなくなったらそれで終わるのか...。原爆のことを勉強してもらって次の語れる人に育ってもらうと言うのが私たちの使命なんですね。たかが70年前の話を語り継げないはずはないと思うのです。(水谷さんの)語り部になりたいという話を聞いてぶるぶるしています」。

長濱ねるさん

私も発信し続けたい

広島と長崎で、被爆者とその体験を様々な形で継承して伝えようという若者に出会ったねるさんは何を思ったでしょうか。

「被爆者の方々の思いを継承して自分たちで伝えていこうと言うすごくエネルギーを持った同世代の方にお話を聞いて改めて自分自身がどうしていくべきか、自分自身ができることってなんだろうとか、どう変えていくことができるんだろうって考える二日間でした。遠い昔のことではなくって、自分たちのこと、実際に世界で起こっていること、これから先起こるかもしれないことをより身近に感じ取ってもらえるんじゃないかと思うので、私も発信していくことをやめずにいきたいなと思いました」

制作:広島テレビ長崎国際テレビ、Yahoo! ニュース
取材:2021年7月

【編集後記】  戦争を体験した方の高齢化が進んでいて、直接お話を伺える機会が急速に失われています。被爆体験をした方は2005年の25万9556人から2020年までに、12万7755人と半数に減っています(厚労省)。その中で、体験をしていない次世代や若者の中から戦争体験を受け継ごうという活動が各地で始まっています。この夏は、長崎で平和学習を学んだ経験を持つ長濱ねるさんが、若者と被爆体験者に会いに行きました。ねるさんは、この旅を通して広島、長崎での若者の意欲的な活動と自らの経験を彼らに託そうという体験者の思いを知ることができたようです。
私たちYahoo!ニュースは、こうした取り組みを記録してデジタルの力で未来に伝えようと思っています。今回のコンテンツや記事も含めてこの「未来に残す戦争の記憶」をぜひ社会で、学校で、ご家庭で戦争や平和を考えるためにご活用ください。 (Yahoo!ニュース 未来に残す戦争の記憶プロジェクト)

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