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飛騨川バス事故 塔が伝えてきた記憶

2021年9月6日 05時00分 (9月6日 05時01分更新)
 国の道路通行規制の原則が変わるきっかけになった半世紀前の飛騨川バス転落事故。その犠牲者を慰霊する「天心白菊(てんしんしらぎく)の塔」=写真=が、バイパス建設のため解体される。移転が技術的に困難なためだ。事故の記憶が風化しないような手だてはないか、関係各方面で知恵を絞ってほしい。
 一九六八年八月十八日未明、大雨の中、名古屋から乗鞍岳へ向かっていた観光バスのうち二台が、岐阜県白川町の国道41号で、土石流に押し流され飛騨川に転落。家族連れら百四人が犠牲になった。 国は事故後「災害が起きてから通行止め」の方針を、連続雨量が基準を超えたら通行止めにする「事前通行規制」に転換した。
 現場近くに町などが設置したコンクリート製の塔は、発生日にちなんで高さ八・一八メートル。設計した建築家左高啓三さん(75)によると、先端が北極星を指していることから「天心白菊の塔」と命名され、当時の佐藤栄作首相が塔の名を揮毫(きごう)した石碑も併設された。
 現場付近の41号は、事故から五十三年後の今も飛騨川の急流と崖の間を走る。今年八月十八日の慰霊法要は大雨で中止。昨年七月の豪雨でも同川は氾濫した。道路の安全確保は長年の課題だった。
 バイパス建設では、約十年かけて現場周辺の六キロ余の区間を川沿いを避けるルートに変える。この一部がどうしても塔の場所にかかる。町によると、塔は基礎部分が深く、掘り起こして移設するのは困難。石碑だけを町内へ移す。
 当時、芸大の学生だった左高さんは、事故に遭ったバス会社の社長だった父親の依頼で塔を設計した。「解体は仕方ない。その代わりに、塔に敷き詰められた小石を遺族に渡し、慰霊の証しにしてほしい」と話す。住民の中には「移転した石碑の脇に、新しく塔を立ててはどうか」との声もある。
 この塔に限らず、災害や大事故の慰霊碑やモニュメントは、遺族や被害者らの思いがこもるシンボルだ。同時に、風化しがちな悲劇の教訓を後世に再認識させる手掛かりになっている場合もある。その意味をかみしめて、解体後の手だてを考えてほしい。

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