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「すずらん」

【第65回】 「すずらん」


函館〜札幌間の優等列車は、36.10改正で特急「おおぞら」が登場する以前は、倶知安、小樽経由のいわゆる「山線」がメインだった。そんな中で、室蘭本線、千歳線経由の「海線」を経由する優等列車は、急行「すずらん」が運転されていたが、その前身は連合軍専用列車から改めた特殊列車という意外な顔を持っていた。35.7改正では北海道初の気動車急行となり、昭和40年代に入ると代表的な「海線」の急行列車に成長した。

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特殊列車「洞爺」から名を改めて昼行客車急行としてスタートする

JR北海道色となった後の特急「すずらん」。781系はクハとサハが2扉化された。

「すずらん」の歴史は、その名としては昭和31(1956)年11月19日改正から始まるが、そのルーツを辿ると、昭和21(1946)年2月11日から運転を開始した上野〜札幌間の連合軍専用列車まで遡る。この列車は、連合軍の一般軍人やその家族が公務や私的な旅行をするために設定されたもので、荷物車と寝台車の一部は青函航路による車両航送を介して北海道へ渡り、函館〜札幌間(倶知安、小樽経由)は臨時のスジで運転された。この列車は同年4月22日から「ヤンキー・リミテッド」と命名され、本州側が横浜発着となった11月5日からは北海道側の列車が室蘭本線、千歳線経由となった。
連合軍専用列車は、当然のごとく日本人の乗車は認められていなかったが、講和条約の発効を機に、昭和27(1952)年4月1日からは制限付きで日本人旅客も利用できる「特殊列車」に改められた。この列車は、昭和29(1954)年10月1日改正で「洞爺」と命名されたが、1等寝台車の青函航送は、この年の9月26日に発生した青函連絡船「洞爺丸」の沈没事故により中止され、「洞爺」の編成は2・3等車のみの平凡な編成となった。昭和31(1956)年11月19日改正では一般の急行と同じ取扱いになり「すずらん」と改称され、108列車/札幌7時00分→函館13時16分、107列車/函館15時10分→札幌21時27分のダイヤで運転された。だが、まだまだ函館〜札幌間の主力列車にはほど遠く、同区間の所要時間は、「山線」経由の「まりも」より30分余計にかかっていた。

35.7で北海道初の気動車急行に43.10では「海線」急行の総愛称名に

札幌〜函館間の距離は300km台で、夜行列車の運転距離としては短いが、かつては夜行の「すずらん」が寝台車やグリーン車を連結したフル編成で運転されていた。また、客車の「すずらん」としては、本州から10系客車を借り入れて夏期に臨時列車で連結されたことがある。

昭和30年代前半の「すずらん」は、どちらかというと、「山線」の「大雪」や「まりも」の補完列車的意味合いが強かったが、昭和35(1960)年7月1日改正ではキハ55型気動車グループが投入され、北海道の急行としていち早く気動車化された。その当時のダイヤは、108D/札幌8時50分→函館13時53分、107D/函館14時40分→札幌19時40分で、客車時代より1時間以上もの大幅なスピードアップを果たした。特急がまだ登場する以前であったため、この「すずらん」に対する当時の国鉄北海道支社の力の入れようは相当なものあり、北海道では異例の全車指定席列車となった。
昭和36(1961)年に入ると、北海道にもキハ58型気動車グループの北海道版であるキハ56、キハ27、キロ26が登場し、同年4月から「すずらん」の一部車両がキハ27に置き換えられた。全車両がキハ58型グループに置き換えられたのは10月1日に実施されたダイヤ改正でのことで、同時に80系気動車による北海道初の特急「おおぞら」も誕生している。
このときから函館〜札幌間のメインルートは「山線」から「海線」へシフトしはじめ、「海線」の優等列車は、「おおぞら」「すずらん」以外に、3階建て気動車急行の「オホーツク・摩周・宗谷」、夜行客車準急の「たるまえ」、不定期客車急行の「石狩」がラインアップを飾った。また、昭和37(1962)年10月1日からは、同系統に「アカシヤ」が登場している。このうち、「オホーツク・摩周・宗谷」は、「オホーツク」「摩周」が昭和39(1964)年10月1日改正で特急「おおとり」に格上げとなり、「宗谷」は「山線」経由の単独急行に昇格している。
昭和40(1965)年10月1日改正では函館〜旭川間に北海道第3の特急「北斗」が誕生しているが、「すずらん」の方は、1往復が増発され2往復となり、自由席が連結されるようになった。そして昭和43(1968)年10月1日改正では、系統別に愛称名の整理が行なわれ、函館〜東室蘭〜札幌間の急行は昼・夜行問わず「すずらん」に統一されることになった。その結果、「すずらん」は「アカシヤ」「たるまえ」「石狩」を吸収したが、オリジナルの筋を持つ「第1・1すずらん」は特急「北斗」に格上げとなり、定期列車として設定された「すずらん」は下り4本・上り3本だった。このうち1往復は「すずらん」としては初めて旭川まで顔を出している。

60.3改正で臨時のみが残るもJR化後は札幌〜室蘭間の特急に

「すずらん」に急行型のキハ27、キロ26が本格的に投入されたのは36.10改正から。以来、昼行「すずらん」は一貫してキハ58型気動車グループが充当された。

昭和40年代後半の室蘭本線と千歳線は、室蘭〜札幌間系統では急行「ちとせ」が勢力を拡大したものの、函館〜札幌間系統ではもっぱら特急の増発がメインとなり、「北斗」が増発されるごとに「すずらん」は縮小の一途を辿っていった。昭和53(1978)年10月2日改正では、定期列車は昼夜行1往復ずつとなり、昭和55(1980)年10月1日改正では、夜行が臨時に格下げ、昼行はすべて季節列車となった。
昭和50年代後半に入ると、183系気動車の増備が進み、「北斗」がさらに増発されたことから、「すずらん」はその波に呑み込まれるかのように昭和60(1985)年3月14日改正で全列車が臨時に格下げとなった。ちなみに函館〜札幌間の急行は昭和61(1986)年11月1日改正で「山線」経由の「ニセコ」1往復が廃止され、「山線」経由の特急「北海」も「北斗」に吸収されるなど、この区間の天下は完全に「北斗」のものとなった。
このような形で臨時を除いて国鉄末期に姿を消した「すずらん」の名だったが、JR移行後の平成4(1992)年7月1日改正で復活する。この改正では、千歳線南千歳(旧・千歳空港)〜新千歳空港間が開業し、これまで781系により運転されていた室蘭〜札幌〜旭川間の特急「ライラック」が新千歳空港〜札幌〜旭川間の「ライラック/エアポート」(新千歳空港〜札幌間快速)として再編された。これにより、室蘭方面は「ライラック」から系統分離された形となり、新たに同じ781系を使用して札幌〜室蘭間の「すずらん」として再出発した。この列車は、かつて北海道のローカル急行として一大勢力を誇った「ちとせ」の流れを汲むもので、当初は7往復が設定されたが、札幌〜東室蘭間はすでに特急「北斗」が充実しているため、「すずらん」はその間隙を縫う脇役の座に甘んじた。平成6(1994)年3月1日改正では281系気動車による「スーパー北斗」が運転を開始したことも手伝い、5往復に削減されている。
その後、日中の札幌〜東室蘭は「北斗」「スーパー北斗」の天下となり、「すずらん」は、この両列車が運転されない早朝・夜間帯を中心に、通勤・通学客を取り込んだ手堅い輸送に徹することになった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/06/01


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