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ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン
(Putin, Vladimir Vladimirovich)
1952年10月7日
レニングラード市(現サンクトペテルブルク市)
1975年 レニングラード国立大学法学部卒業
期間 | 職務 |
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1975年 | ソ連邦国家保安委員会(KGB)で勤務。5年間東独で勤務し、帰国後はレニングラード国立大学で勤務(学長補佐官)。 |
1994年3月 | サンクトペテルブルク市副市長、その後第一副市長。 |
1996年6月 | ロシア連邦大統領府総務局次長 |
1997年3月 | 大統領府副長官、大統領監督総局局長 |
1998年5月 | 大統領府第一副長官 |
1998年7月 | 連邦保安庁長官 |
1999年3月 | 安全保障会議書記(連邦保安庁長官を兼職) |
1999年8月9日 | 首相代行に任命(ステパーシン首相解任後) |
1999年8月16日 | 国家院の承認を受け首相に就任 |
1999年12月31日 | エリツィン前大統領の辞任に伴い、大統領代行に任命。 |
2000年3月26日 | 大統領選挙で当選(得票率52.94%) |
2000年5月7日 | 大統領に就任 |
2004年3月14日 | 大統領選挙で再選(得票率71.31%) |
2004年5月7日 | 大統領に就任(二期目) |
2008年5月7日 | 与党「統一ロシア」党首に就任 |
2008年5月8日 | 首相に就任 |
既婚(妻リュドミーラ)。2女。
少年時代に始めた柔道は、1976年にレニングラード市チャンピオンとなり78年にスポーツ・マスターの称号を得たほどの腕前。2000年9月の訪日時には講道館から六段の段位を受けた。
5回(大統領としての訪日はうち3回)
年月 | 訪日歴 |
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1995年2月 | 外務省先進国招聘(サンクトペテルブルク第一副市長時代。東京、大阪、京都を訪問)。 |
2000年7月 | 九州・沖縄サミット |
2000年9月 | 公式訪日(大統領として) |
2005年11月 | 公式訪日(大統領として) |
2009年5月 | 実務訪問賓客(首相として) |