第75回読売文学賞が決まりました。選考委員の選評を紹介します。受賞者インタビューは、文化面で6日から順次、掲載する予定です。
小説賞 川上未映子「黄色い家」…主人公の語り口 技光る
この作者は主人公を甘やかさない。「花」という美しい名前をもらった彼女は、その名前が皮肉にしか見えない劣悪な環境を与えられて、酸欠の金魚が口をぱくぱくするように、ぎりぎりの日々を乗り越えていく。
身を削るバイトで
貯
めた金は、母親の彼氏に奪われる。高校をドロップアウトし、母の友人と始めたスナックが軌道に乗ると、店が火事で全焼する。その中で見出した活路は、カード詐欺の出し子という犯罪行為だった。
未成年飲酒にも犯罪にも、生真面目に勤勉に取り組む、というパラドックスが主人公の新しさだ。彼女は擬似家族との当たり前の日常を守る、以外の望みを持たない。甘やかな恋愛とも性の欲望とも無関係だ。唯一の心の
拠
り所となるのは、現金である。
口座が開けない、という設定で、天井裏に貯められていく札束は、彼女を文学史上最年少の守銭奴にし、また同居人たちの上に君臨する独裁者にもする。
不安定な暮らしは結局崩壊するが、安易な勧善懲悪とは無縁なのが爽やかだ。
作品の最大の魅力は、花の語り口にある。学歴も教養もない花に寄り添い、その素朴な言葉に磨きをかけた作者の技が光る。女性のピカレスク(悪漢小説)という新しい道が開けた。(荻野アンナ)
戯曲・シナリオ賞 坂元裕二「怪物」…「わからなさ」に対して挑戦
わからなさに対する果敢な挑戦と言いたい。人物を克明に見ることはその者を「変な人」や「わからない人」といった印象に誘うわけだが、『怪物』はそれを入口として「変じゃない」「わかった」つもりになるとまた別の「わからなさ」が用意してあるという仕掛け。そしてそのわからなさの先に見える二人の少年は「自覚出来ない真実」におののいている。それはまた別の言い方をするなら、生徒間のいじめや教師たちの責任回避など、今の世相を覆う問題を見せながら、実は解決不能なのはここに発しているとばかりに二人の少年の内面に
辿
り着こうとしている。
そこに見えてくるのは扱いかねる「わからなさ」を抱えてしまっている少年たちの痛ましさ。でもそのわからなさは「困ったこと」ではなくて解決出来ないというそのこと自体が人間が避けがたく抱えてしまう「わかりたい」ことへの希求の証しではないのか。この本はそのことを言おうとしているように思える。
二人の少年は、自分の正体を知りたくて自分を特徴づける様子を「かいぶつだーれだ」と言い合いながら、山中の廃線になった線路の上で遊んでいる。
わからなさへの果敢な挑戦と言ったが、むしろそれと戯れている『怪物』だと言った方がいいのかもしれない。(岩松了)
随筆・紀行賞 西加奈子「くもをさがす」…乳がん カナダでの闘病記
朝、
蜘蛛
にあったらあなたは何をしますか。ラッキーだと喜ぶ。その日は晴天だから、洗濯をする。盗人が来るから殺す……カナコは、祖母を思い出した。蜘蛛はお大師様のお使いだから、殺してはいけないよ。祖母の教えを守っていたのに、カナダの蜘蛛は、カナコの膝やふくらはぎを
噛
み、赤い斑点を残した。これが体の不調の始まりだ。
浸潤性乳管がん治療には、ホルモン、抗がん剤、外科手術、放射線と色々あるが、それらの標準治療の組み合わせにも、いずれも一長一短がある。脱毛、疲労・
倦怠
感、吐き気、発熱など、彼女は身体の不調に堪えながら、外国人として、カナダの病院で乳がんと闘った。その闘病記が、この『くもをさがす』である。
異国の地で、言葉がうまく通じない病院で、重病と闘う。しかし、カナコにはそんな気負いはない。彼女の周囲には、適度な距離と触れ合いの関係を持つ、友人や知人(もちろん、親族も)がいて、義務でも奉仕でもない範囲で、カナコの窮状を救い、
慰撫
してくれるからだ。また、時折引かれる書物からの言葉も、彼女を勇気付ける。とりわけ、大阪弁を
喋
る(?)カナダの看護師たちのケアに、カナコは心身ともに救われる。彼女の乳がんは寛解した。蜘蛛は、やっぱりラッキーだったのだ。(川村湊)
評論・伝記賞 澤田直「フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路」…異能の文人 深い考察で描く
二十世紀ポルトガルの詩人ペソアは、自身のうちに数多の別人格を
棲
みつかせ、そのそれぞれの出自、性向、個性に応じて作品を書き分けるという未曽有の離れ業を演じた異能の文人。死後、未刊のまま
遺
された膨大な手稿が発見され、「異名者」たちが往還する、
錯綜
した迷路のような彼の文学宇宙の
全貌
は、未だ完全には解明されていない。
ペソアの魅力に取り
憑
かれた澤田直氏は、長い歳月を費やし、原典を精密に味読することはもとより、多言語で書かれた資料や研究書を博捜して、彼の生涯を
辿
り直し、文学史上ほとんど類例のないこの不思議な営みの生成過程を、生き生きした筆致で描き上げた。当時の政治社会状況、文芸思潮の盛衰、ペソアの家族環境など、叙述は複数の層を自在に行き来し、安定した単一の主体としてではなく、無定形な多様体の装置として書いたこの特異な作者の精神のドラマを物語ってゆく。
ヨーロッパ文学全般に相
渉
る幅広い教養に裏打ちされた鋭い分析、深い考察が展開されながら、澤田氏の文章はあくまで奇を
衒
わない簡素で清潔な散文で、一般読書人に向かって開かれた興趣の尽きない読み物になっている。本賞・本部門の近年の受賞作のなかでも出色と言ってよい評伝文学の達成である。(松浦寿輝)
詩歌俳句賞 正木ゆう子 句集「
玉響
」…明晰な句の構図 価値観貫く
300句余りを収める第6句集。五七五の定型に過剰な負荷をかけることなく、余白を生かしながらやわらかな言葉で語りかける。それでいて、句の構図は
明晰
であり、芯に作者独自の価値観が貫かれている。
「フレコンバッグの中なる春の土のこゑ」は除染土が積まれている光景を描くが、声高に嘆くのではなく「土のこゑ」に耳を傾けるしぐさが温かい。
また、信州の
白樺
峠に
鷹
の渡りを見に行った連作では「鷹湧いて湧いて一天深かりき」「行く鷹の後ろにこの世なき如く」「三千羽ひと声もなく鷹渡る」など広大な時間や空間と
対峙
しつつ迫力のある世界を浮かび上がらせる。森羅万象と魂を交わす作風は、この句集でも輝きを放っている。
その一方「子雲雀のぶらぶら歩き虫咥へ」「平均台うしろ歩きに春惜しむ」「鬼胡桃拾ふや栗鼠に配るほど」といった
無垢
なユーモア感覚にも注目した。
可憐
な遊び心によって句集の風通しが良くなっている。
句集後半で作者は大きな手術を受けることになる。「身にしみて導尿管はわが温み」は異物としての導尿管を「わが温み」の一体感として捉えた胆力に圧倒された。「小夜時雨病みて男をひとりにす」の心情もしみじみと愛らしく、季語が秀逸。包容力あふれる充実の一冊である。(栗木京子)
研究・翻訳賞 鈴木晶「ニジンスキー 踊る神と呼ばれた男」…伝説の舞踏家 全容詳細に
ワツラフ・ニジンスキー(一八八九?―一九五〇)は、ポーランド系ロシアの不世出の舞踏家。ディアギレフの主宰するバレエ・リュスで活躍し、超人的な跳躍力で観衆を
驚愕
させ、一世を
風靡
したが、後半生は精神を病み、舞台から消えた。本書は、伝説に包まれたこの舞踏家の
全貌
を余す所なく描いた研究書である。英仏露語の文献を広く渉猟してきた著者の長年にわたる研究者・批評家としての蓄積を惜しみなく注ぎ込んだ、堂々たるライフワークと言えるだろう。記述はニジンスキーの生誕の日付をめぐる厳密な詮索から、帝室バレエ学校での修業時代の活写、そしてバレエ史全体を踏まえていなければ書けないような舞踏学的考察に至るまで、遠近を自在に行き来する。さらに本筋に直接関係なさそうな興味深い「余談」を随所にはさみながら、それが結局舞踏史的に本筋を補強するという名人芸を見せる。映像記録が残されていない過去のバレエを研究することは容易ではないが、著者は演目の詳細な調査や、『牧神の午後』『春の祭典』などの残された記録に基づく振付の分析を通して、ニジンスキーを単に天才的なダンサーとしてではなく、古典舞踏の約束事を破って現代バレエの新しい道を切り開いた振付家としても見事に浮かび上がらせた。(沼野充義)
■選考委員
(50音順)岩松了(劇作家、演出家、俳優)、荻野アンナ(作家、仏文学者)、川上弘美(作家)、川村湊(文芸評論家)、栗木京子(歌人)、管啓次郎(詩人)、高橋睦郎(詩人)、沼野充義(文芸評論家、スラブ文学者)、松浦寿輝(詩人、作家、批評家)、若島正(英米文学者)
■贈賞式
3月4日(月)午後6時から、東京・内幸町の帝国ホテル。
■賞
正賞は
硯
、副賞は各200万円。