|
スポーツ トップ | プロ野球 | 大リーグ | サッカー | ゴルフ | グラフ | 大相撲 | エトセトラ | 企画・連載 |
天気 | 地図 | 買物 | 雑誌 | 交通 | 映画 | 写真 | 動画 | データベース | サイト案内 |
同率最終戦に緊急登板斎藤雅樹投手◆1994年10月8日 〇6―3中日=ナゴヤ斎藤雅樹投手
プロ野球史上初の最終戦同率決戦は、球場全体を異様な緊張感が支配し、点の取り合いとなった。先発槙原が二回に4連打を浴びて2点リードを追いつかれ、なお無死一、二塁。ここで、斎藤がマウンドに登った。
「前の晩に槙原さん、桑田、僕の3人が長嶋監督から『君らに任せた』と告げられたとよく言われるが、僕は呼ばれていなかった。中1日だったし、出番はないと思っていたけど、ブルペンで投げていたら、コーチが『おい、斎藤』と。思わず聞こえないフリをした」
体調が万全でない分、変化球を低めに集めて打たせてとる投球。六回まで1失点に抑えると、味方打線も爆発、3点差をつけて桑田にバトンをつないだ。
「五回途中に内転筋を痛めたが、テーピングをグルグルに巻いて投げた。あの試合で投げられたことが自信になり、さらにレベルアップできたと思う」
(2006年4月19日 読売新聞)
|
PR特集 |
▲この画面の上へ |