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オキナワの青年 特定失踪者を追う第2部

(4)出稼ぎ母親思いの長男の選択

同級生宅の屋根にいる魔よけ「シーサー」。遊びに来た克巳さんも見たはずだ=沖縄県中城村

同級生宅の屋根にいる魔よけ「シーサー」。遊びに来た克巳さんも見たはずだ=沖縄県中城村

 労働組合の活動に挫折した仲村克巳(かつみ)さんが、自動車整備工場を自ら辞めたのか、辞めさせられたのか、はっきりしない。確実なのは、家族に隠して内地へ行く準備をしたことだ。沖縄の職業安定所で見つけた尼崎市の尼崎製鉄に応募し、一九六五年一月、採用。いわゆる集団就職にあたる。

 尼崎市は「鉄の街」として戦災から復興した。尼崎製鉄は、鉄筋建材の独自開発など世界的な技術力を誇る市内最大の鉄鋼企業だった。ただし、鉄鋼業界の再編が進む中、同年四月には神戸製鋼所との合併が決まっていた。

 高度成長期に入った日本は労働力が不足し、沖縄にも大量の求人があった。「もし内地に行くなら」と、整備工場の同僚たちが話題にするとき、尼崎製鉄の評判は「稼げるが、仕事はきついから、やめた方がいい」だった。克巳さんも聞いていたという。

 それでも尼崎製鉄を選んだのは、親が抱えた負債を気にしたのか。しかし、両親は内地行きには反対だった。

 克巳さんを知る人は皆「母親思いだった」と振り返る。
 父亀永(きえい)さんが、当時は高価だった雨靴を、盗まれないように枯れ草の下に隠していたところ、母のキクさんが知らずに燃やしてしまったことがある。「そしたらニーニー(兄)は雨靴を買って、泥をつけ元の所に置いた」。妹の栄子さん(59)の思い出だ。

 「両親は、長男を遠くにやりたくなかったと思う」と栄子さん。また、キクさんは、沖縄出身者への厳しい差別があった戦前、大阪の缶詰工場で働いた経験があり「苦労しないか心配していた」とも。

 その母にも克巳さんは出発を隠した。キクさんが気づいて港に駆けつけたときには、船はもう港を出ていた。

 普天間高校の同級生で、中学も同窓の男性(64)がようやく取材に応じてくれた。沖縄県中城(なかぐすく)村に今も住む。

 定時制の授業が終わる午後十時、いつも一緒に帰る仲だった。克巳さんが尼崎へ出発した後、キクさんに「行くのをけしかけただろう」と責められたという。「でも、知らなかった」と苦笑する。

 同級生は「自分は長男なので、内地に行くことは考えなかった」と語る。戦争で両親を亡くし、祖父母と暮らしていたという事情もあった。また、先祖供養を大切にする沖縄では当時、トートーメー(位牌(いはい))を長男が継承するのは自明だった。「年をとれば、うちのことを考える。克巳も出稼ぎに行ったので、ずっと住むつもりはなかったはず」

 同じころ、大阪に働きに出て失踪(しっそう)した友人がいた。やがて、けがをして実家に連絡があったという。「克巳は元気だから連絡してこんのか。そう思ってるうちに何十年もたってしまった」。大きな仏壇のある部屋で、同級生は視線を落とした。

(2008/01/05)

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