女はバカだと誰かが言えば、俺もだよなー女ってバカだよなーという。レイプされた女が悪いという。
男ってどうして暴力的なんだ、といわれれば、そんな男って最低だよな、そんな男は男じゃないオカマ野郎だ、という。
宗教気持ち悪いって話も、どこそこの国は最悪だの外国人は出てけだのって話も同調する。ホモは認めるべきじゃないという。
ニートだのメンヘラだのの話になれば、家から追い出せ、全員自衛隊に入れて鍛え治せ、という。
差別する人きらいと言われれば、差別する人の心がしれないというし、おまえは差別主義者だといわれればその時は反省したふりしてゴメンナサイそうかもしんない、という。それだけ。
俺もいろんな面で差別されてんなーと思う。男だからとかチビだとか出身高校とかで、普通に差別に巻き込まれてるな、っておもう。
だけど差別に巻き込まれて大人しくしといたり、誰かがしたい差別に同調するほうが、なんてったっておだやかに生きられる。話をあわせるってことだから。
ぶっちゃけ差別意識に自覚的になったり、差別を糾弾しようとしていくと、生きていける確率が下がらない?俺そんな気がするんだけど。差別はあふれかえってるから、それにぜんぶ気にしてたらほんとまいるだろ。
差別に加担する、これは弱い人間の生きる方法。俺からこれ取ったら生きる方法もやり方もわからない。のたれ死ぬ気がする。それってかなり現実的なことのような気がするんだけどなあ。俺のこういう感覚が普通とは思わない、たぶん自覚的に差別して生きる人なんてそんないないだろ。ほとんどの人がそうせざるをえなくて無意識のうちにやってる。
差別しないで生きられる人はそうすりゃいい。でも、そんな風に生きられるやつってかなり強いか、相当社会と戦うはめにならない?次の飯を逃さずに生きられるものなの?
そういう色々なことを「わかってる側」なのにも関わらず 差別に同調して世渡りできるんなら増田はコミュ能力高い強者じゃん 増田が自分を弱者だと定義してるのがなぜなのか逆に知り...
弱者にとって差別が良くないのは、弱者同士足のひっぱり合いになったり、そういうこと