沖縄県
おきなわけん 沖縄県 |
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方、沖縄地方 | ||||
団体コード | 47000-7 | ||||
ISO 3166-2:JP | JP-47 | ||||
面積 | 2,281.00km² |
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総人口 | 1,425,232人 (推計人口、2015年5月1日) |
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人口密度 | 625人/km² | ||||
県の木 | リュウキュウマツ | ||||
県の花 | デイゴ | ||||
県の鳥 | ノグチゲラ | ||||
他のシンボル | 県の魚 : タカサゴ(グルクン) 県の歌 : 沖縄県民の歌 本土復帰記念日 : 5月15日 慰霊の日 : 6月23日 |
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沖縄県庁 | |||||
知事 | 翁長雄志 | ||||
所在地 | 〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎一丁目2番地2号 北緯26度12分44.8秒東経127度40分51.3秒座標: 北緯26度12分44.8秒 東経127度40分51.3秒 |
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外部リンク | 沖縄県庁 | ||||
ウィキポータル | 日本の都道府県/沖縄県 | ||||
ウィキプロジェクト |
沖縄県(おきなわけん)は、日本の南西部、かつ最西端に位置する県。かつては琉球王国が存在し、清に朝貢すると同時に、薩摩藩にも従っていた。明治時代より日本に編入される。太平洋戦争(大東亜戦争)では米軍が空爆と艦砲射撃の後に上陸し、『「唯一の地上戦」と呼ばれる[1][2]』沖縄戦が県民を巻き込んで行われ、多数の犠牲者を軍民より出した。沖縄戦後1972年までアメリカの占領統治下におかれ、2015年現在も多数の米軍基地が存在する。また海上輸送路(シーレーン)の要点でもある。以上の歴史的、地理的、政治的理由から他の府県(本土、内地と呼ばれる)に比べ特色のある文化(伝統芸能・儀礼・宗教・習俗・風習・郷土食)を持つ県となっている。
東シナ海と太平洋(フィリピン海)にある363[3]の島からなる県で、県庁所在地は、沖縄本島の那覇市。#気候で詳述するが一般にはおおよそ亜熱帯とされる気候であり、一部は熱帯に属する。日本の中では年間を通して温暖な気候であり、また最高気温と最低気温の差も小さい。だが、平均的には最高気温自体はさして高いものではない。
産業としては2010年現在、85.5%を第三次産業が占めており、観光に依存する部分が非常に大きい。第一次産業は2%にすぎず、第二次産業も12.4%と割合としては低調である[4]。
目次
概要[編集]
日本列島の南、南西諸島のうち琉球諸島を占める地域である。南西諸島のうち、屋久島、種子島、トカラ列島、奄美群島は鹿児島県に所属する。それより南で大東諸島や尖閣諸島まで含む。気候は大部分の地域で亜熱帯に属し、宮古島・多良間島・石垣島・西表島・与那国島・波照間島・沖大東島などでは最寒月平均気温が18°C以上の熱帯に属する。
歴史的には、明治時代の琉球処分までは、軍事的には薩摩藩の附庸国であり、貿易上は中国大陸にある国家の冊封も受け、「両属」の外交体系を採る琉球王国であった。そのような歴史的経緯から本土や離島の都道府県とは異なる文化・習俗が根付いており、これらを生かした観光産業が盛んである。また、国内有数の長寿地域としても知られ、その特有の食生活などを有する反面、アメリカ統治時代に根付いた食文化も色濃い。
太平洋戦争では、地上戦(沖縄戦)の末にアメリカ軍(米軍)が占領した後、1972年(昭和47年)までの四半世紀にわたり、一貫して米軍の施政権下に置かれた。沖縄の本土復帰後も、東アジアの軍事的抑止において地政学的・戦略的に重要とされることなどから、多くの米軍基地(在日米軍)が所在している。これら基地の返還や移設をめぐる諸問題は主要な政治問題の一つともなっており、近年においても普天間飛行場の移転先を巡る論争(詳細は普天間基地移設問題を参照)などの議論が続いている。
国土交通省は、「沖縄本島」を、「本土」5島の一つとしている[5][6]。ただし、沖縄では一般的に(漠然と)、本州を「本土」と呼んだり、あるいは、沖縄県を除く46都道府県のことを「本土」と呼ぶ場合もある。また、民間企業においても、特に運輸・輸送業界では、日本の都道府県で唯一陸路(道路・鉄道等)で他の都道府県との往来不可である地理的条件などから、県庁所在地の那覇市がある沖縄本島に対して、いわゆる離島料金を適用する事例も多い。
国土交通省による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る[7]。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある。(九州・「九州」の由来参照)
中華人民共和国および中華民国(台湾)では、その帰属が日本にあるべきではないとする主張がある。(中華民国・沖縄県への認識、中国人による沖縄県への認識参照)
名称[編集]
「おきなわ」という地名の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説(伊波普猷)と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説(東恩納寛惇)とがあるが、いずれも定説には至っていない。
沖縄という名称自体は古く、淡海三船著『唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)』(779成立)に、753年(天平勝宝5)遣唐使一行が阿児奈波島(沖縄島)に漂着したと記されており、本来日本では沖縄と呼称していた。のちに中国側からの呼称に従って琉球と呼ばれるようになったようである。この琉球の語源についてもまだ明らかになっていない。
琉球処分の際、明治政府内では「琉球県」の名称も検討された。これは1879年(明治12年)、琉球藩を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の伊藤博文から太政大臣の三条実美に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、中国語由来の琉球に対し、沖縄は琉球語(沖縄方言)の「うちなー」由来の名称であり、こちらのほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと考えられる。用語としての「沖縄」は元々は沖縄本島を指す言葉であったが、沖縄県設置により鹿児島県奄美群島を除く琉球諸島が沖縄と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった[8]。
地理・地域[編集]
国土地理院、海上保安庁によると、沖縄県は363の島から成っている[3]。49の有人島と多数の無人島からなり、0.01km²以上の面積を有する島は160島存在する[9]。最東端から最西端までは約1,000km、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ[10]。 南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており、地理的分布では北のトカラ列島までと、奄美群島と沖縄諸島および先島諸島の3つに大きく分けられる。沖縄本島と先島諸島の伊良部島との間は直線で約250km、与那国島と台湾の間は約100kmであるのに対し、奄美大島と屋久島の間は約200kmである。
島 | 所属自治体 | 備考 | 位置 | |
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最北端 | 硫黄鳥島 | 久米島町 | 有人島に限れば伊平屋島[12] | |
最南端 | 波照間島 | 竹富町 | 日本最南端の有人島[13] | |
最東端 | 北大東島 | 北大東村 | ||
最西端 | 与那国島 | 与那国町 | 日本最西端の島[14] |
離島が多いものの、離島の医療は人材的・経済的理由から不足気味であり、病院がなく診療所のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の沖縄本島への空輸を陸上自衛隊や海上保安庁が行っている。なお、宮古島、石垣島には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。
県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には九州島全域や下関市、上海、福州や台湾島全域が含まれ、1,500km圏内には大阪、南京、ソウル、平壌、マニラ、香港などが位置する。2000km圏内には東京、仙台、北京、瀋陽、海南省海口市、長春、ウラジオストク等が存在し、2500km圏内には稚内、成都、重慶、ハノイ、グアム、北マリアナ諸島、パラオが収まるなど、まさに東アジア・東南アジアと日本との接点とも言える位置にある。
沖縄本島の中部・南部は那覇市・沖縄市を中心として都市化・人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(沖縄本島#中南部都市圏 も参照)。そのため人口密度は全国で第9位で、三大都市圏の都府県を除くと福岡県に次いで2番目に多い。
地質[編集]
琉球諸島は太平洋側の琉球海溝と東シナ海側の沖縄トラフに挟まれる。琉球海溝はフィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込むことによりできたもので、これは南海トラフと同様の成因である。沖縄トラフはユーラシアプレート上にできた窪みである。琉球諸島の島々はサンゴが発達してできた石灰岩から成るため、雨水の浸食により洞窟が多く見られる。石垣島にある沖縄県最高峰の於茂登岳(標高526m)の岩石はサンゴの基盤である花崗岩が露出したものである。
自然[編集]
- 生物
- 亜熱帯で生物に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には山原と呼ばれる森林が広がっており、ノグチゲラ、ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった天然記念物等貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、慶良間諸島等が沖縄海岸国定公園に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が西表石垣国立公園に指定されており、マングローブ林が広がるほか、イリオモテヤマネコ等の貴重な生物が生息している。なお、環境省が指定する日本の重要湿地500のうち、55ヶ所が沖縄県内にある。これは、北海道(61ヶ所)に次いで日本で2番目に多い。
- 大雨と水不足
- 2005年(平成17年)から2007年(平成19年)各年の6月に梅雨前線の影響で大雨と雷が沖縄本島を襲い、各地で冠水、土砂崩れ、崖崩れ等が相次いだ。平年値では年間を通じて降水量が多いが、梅雨と台風による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流出してしまうことなどから、気候・地形的に水不足に陥りやすい[15]。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の1972年(昭和47年)に約96万人と増加し、需給関係から1990年代前半までしばしば水不足による断水が行われた[16][17]。特に1981-1982年の渇水では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。そのため、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、また1997年(平成9年)に気候に左右されず安定して水の供給が可能な海水淡水化施設が北谷町に完成し[18]、2005年(平成17年)に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。
- 地震
- 「地震大国」と言われる日本において、九州などと同じく、一年あたりの(有感)地震回数が少なく、また気候や人口密度などの面から最も地震に関するリスクが少ない地域の一つとされていた(地震の発生度や発生時の被害の大きさを示す地震地域係数が日本で唯一「0.7」の都道府県となっているが、この値は後年見直される可能性もある)。しかし、損害保険料率算出機構の最新の統計集では2等地となっており、特段リスクが低い地域と見なされなくなった。過去には1771年の八重山地震による大津波で、先島諸島に多大な被害が生じている。最近では2010年(平成22年)の沖縄本島近海で発生した地震で約100年ぶりに沖縄本島で震度5以上を観測し、勝連城跡の城壁の一部が崩壊した[19]。
気候[編集]
那覇市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日本国内における気候区分では南日本気候に属する。
宮古島・多良間島・石垣島・西表島・与那国島・波照間島・沖大東島は熱帯性気候でケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 (Af) に、それ以外の地域では亜熱帯性で温暖湿潤気候 (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000mm以上で、年間平均気温は約22°Cとなっている。しかし、最高気温が35°Cを超える猛暑日になることはほとんど無い[20]。これは、沖縄は陸地面積が狭く、周りを海に囲まれていて(海洋性気候)、また、東京や大阪のような大都市が無く、ヒートアイランド現象が起こらないためである[要出典]。また沖縄は台風銀座と呼ばれており、毎年多くの台風が接近する。月別で注目すると、降水量は梅雨入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。梅雨明け頃には、夏至南風(沖縄本島ではカーチーベー、宮古・八重山周辺ではカーチーバイ[21])と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる季節風として知られている[22]。
1977年(昭和52年)2月17日に、久米島の測候所で初めて雪が観測された(実際にはみぞれであったが、分類上は雪と同じ扱いとして記録される)。これは沖縄県で唯一、気象庁が公式に発表した降雪記録であると同時に、日本における降雪の南限記録となった[23]。過去にも琉球王国の正史とされる『球陽』によると、1774年、1816年、1843年、1845年、1857年に、沖縄県の領域で、降雪があったことを記録している[24]。1999年12月20日およびその前後に、那覇市などで「雪が降った」という目撃談が複数報告され、地元のNHKでもその「雪らしきもの」の映像を放送したが、気温が高かったことなどから気象台は否定的で[25][26]、現在も公式な降雪記録とはなっていない。
平年値 (月単位) |
沖縄諸島 | 大東 諸島 |
宮古諸島 | 八重山諸島 | ||||||||||||||
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沖縄本島 | 伊 是 名 島 |
渡 嘉 敷 島 |
久 米 島 |
南 大 東 島 |
宮 古 島 |
多 良 間 島 |
石垣島 | 西表島 | 波 照 間 島 |
与 那 国 島 |
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国頭村 奥 |
名護市 | 金武町 | 那覇市 | 南城市 糸数 |
登野城 | 伊原間 | 祖納 | 大原 | ||||||||||
気候区分 | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Af | Af | Af | Af | Af | Af | Af | Af | |
平均 気温 (°C) |
最暖 月 |
26.7 (7月) |
28.8 (7月) |
28.6 (7月) |
28.9 (7月) |
27.1 (7月) |
28.3 (7月) |
26.7 (7月) |
28.8 (7月) |
28.5 (7月) |
28.7 (7月) |
29.0 (7月) |
29.5 (7月) |
28.8 (7月) |
28.9 (7月) |
28.9 (7月) |
28.9 (7月) |
28.8 (7月) |
最寒 月 |
14.5 (1月) |
16.3 (1月) |
16.2 (1月) |
17.0 (1月) |
15.2 (1月) |
16.1 (1月) |
15.3 (1月) |
16.7 (1月) |
17.7 (1月) |
18.0 (1月) |
18.4 (1月) |
18.6 (1月) |
18.3 (1月) |
18.3 (1月) |
18.0 (1月) |
18.8 (1月) |
18.4 (1月) |
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降水量 (mm) |
最多 月 |
309.5 (6月) |
248.2 (8月) |
228.8 (5月) |
260.5 (9月) |
253.3 (6月) |
269.9 (6月) |
268.8 (5月) |
263.9 (6月) |
200.6 (5月) |
262.5 (8月) |
249.6 (8月) |
261.6 (8月) |
250.6 (9月) |
273.6 (8月) |
284.1 (8月) |
197.7 (9月) |
293.2 (9月) |
最少 月 |
138.3 (12月) |
96.2 (12月) |
78.3 (12月) |
102.8 (12月) |
111.7 (1月) |
97.5 (12月) |
124.1 (12月) |
119.0 (7月) |
84.7 (1月) |
130.8 (1,7月) |
127.2 (12月) |
126.3 (12月) |
122.3 (7月) |
141.6 (7月) |
137.6 (3月) |
106.2 (12月) |
138.5 (7月) |
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日照 時間 (時間) |
最長 月 |
239.2 (7月) |
245.7 (7月) |
218.1 (7月) |
238.8 (7月) |
210.1 (7月) |
289.8 (7月) |
230.5 (7月) |
255.4 (7月) |
278.8 (7月) |
246.7 (7月) |
199.1 (7月) |
264.5 (7月) |
245.6 (7月) |
253.2 (7月) |
245.4 (7月) |
259.3 (7月) |
258.9 (7月) |
最短 月 |
78.3 (1月) |
86.2 (2月) |
88.3 (2月) |
87.1 (2月) |
93.0 (2月) |
91.5 (1月) |
87.8 (1月) |
77.4 (2月) |
114.5 (2月) |
82.6 (2月) |
73.9 (1月) |
82.1 (2月) |
70.5 (1月) |
74.5 (1月) |
86.5 (2月) |
91.9 (1月) |
55.7 (1月) |
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島嶼[編集]
沖縄県に属する島嶼のうち、面積上位20位以内の島を挙げた[28]。
島嶼 | 面積 (km²) | 島嶼 | 面積 (km²) | |||
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1 | 沖縄本島 | 1208.19 | 11 | 多良間島 | 19.75 | |
2 | 西表島 | 289.28 | 12 | 渡嘉敷島 | 15.31 | |
3 | 石垣島 | 222.63 | 13 | 伊是名島 | 14.16 | |
4 | 宮古島 | 159.26 | 14 | 波照間島 | 12.77 | |
5 | 久米島 | 59.11 | 15 | 北大東島 | 11.94 | |
6 | 南大東島 | 30.57 | 16 | 黒島 | 10.02 | |
7 | 伊良部島 | 29.08 | 17 | 下地島 | 9.54 | |
8 | 与那国島 | 28.91 | 18 | 小浜島 | 7.84 | |
9 | 伊江島 | 22.77 | 19 | 屋我地島 | 7.81 | |
10 | 伊平屋島 | 20.59 | 20 | 粟国島 | 7.64 |
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自然公園[編集]
地形[編集]
- 山岳
- 河川
本県の河川の特徴としては、急勾配でかつ、河川延長が短く、流域面積が小さいことが挙げられる[30]。その為、河川流量の変動が顕著で、大雨による増水、少雨による水不足に陥りやすい。またマングローブ林など日本本土と異なる亜熱帯特有の自然環境を形成している[31]。現在、沖縄本島北部では赤土の流出、中南部では畜舎からの排水等の影響による河川汚染が問題となっている[32][33]。
本県には国内で唯一、一級河川が存在しない。二級河川の開発は知事の要請に基づき沖縄振興特別措置法により、日本政府の直轄事業として改良・修繕工事を行っている[34]。
- 湖沼・干潟等
地域区分[編集]
1896年(明治29年)4月1日の郡制施行に伴い、国頭郡、中頭郡、島尻郡、宮古郡、八重山郡の5郡が設置された。現在もその旧郡の境界をもって5地域(5地区)に分ける慣例が残っている。ただし、島尻郡が沖縄本島周囲の離島全てを含む形となっているため、伊平屋島と伊是名島は旧島尻郡の中心の那覇から遠くなっており、航路で近い国頭郡の枠に入れる例が多い。
行政による地域区分では、旧郡による5地地域において中頭地区に入る浦添市を南部広域市町村圏に入れている。また、島尻郡の離島は別扱いとなる。
沖縄県は11市・5郡・11町・19村あり、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。
沖縄諸島[編集]
- 北部広域市町村圏
旧国頭郡の範囲に、島尻郡の伊平屋島と伊是名島を加えた範囲。旧郡の名称から「国頭地区」とも呼ばれる。
- 中部広域市町村圏
旧中頭郡の範囲から浦添市を除いた範囲。
- 南部広域市町村圏
沖縄本島にある旧島尻郡部分に浦添市を含めた範囲。以前は宜野湾市、西原町も中部ながら南部広域圏に属していた。また西原町も南部広域圏には属していないものの一部の事務組合には南部と合同になることもある。
- 離島
いずれも島尻郡、南部広域市町村圏に属しており、「南部離島」とも呼ばれる。
先島諸島[編集]
- 宮古支庁
旧宮古郡の範囲
- 八重山支庁
旧八重山郡の範囲
米軍基地[編集]
2012年現在、在日米軍の施設は沖縄本島の総面積の18%を占めている[35]。
歴史[編集]
- 1429年 - 尚巴志による三山統一。琉球王国が成立。
- 1500年 - 尚真王、八重山諸島を征服。さらに1522年には与那国島を征服し王府の支配下に置く。
- 1609年 - 薩摩藩による侵攻。これ以降、琉球王国は薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣した。奄美群島は王府の支配から切り離され薩摩の直轄地へ。
- 1872年(明治5年)- 琉球処分により琉球王国が琉球藩に再編される。
- 1879年(明治12年)3月11日 - 琉球藩が廃止され、王府の支配が終了。沖縄県が設置される。これには清朝が抗議したけれども、同年、米前大統領ユリシーズ・グラントが公式に調停し、日本国の領土となった[36]。
- 1945年(昭和20年)3月~6月沖縄戦、沖縄本島南部を中心に住民に多数の犠牲者が出る。同年4月1日以降米国海軍軍政府布告1号により米軍占領地域で順次日本政府の統治から切り離され県民はアメリカの統治下へ。
- 1946年(昭和21年)1月GHQ覚書により連合国よりアメリカ軍政へ移管。
- 1946年(昭和21年)4月米軍は沖縄民政府を発足させ、沖縄諮詢会で互選された志喜屋孝信を知事に任命し、旧県会議員を主体に沖縄議会を設立。
- 1948年(昭和23年)10月「米国の対日政策に関する勧告に対する国家安全保障会議の諸勧告(NSC/2,3 )」により米軍の沖縄恒久保持、基地の開発の方針が示される。
- 1949年(昭和24年)8月全沖縄的な群島政府が設立される。
- 1950年(昭和25年)12月琉球列島米国民政府(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)とアメリカ軍政の沖縄統治機関の名称を変更。大規模な基地建設の開始。
- 1951年(昭和26年)4月マッカーサー元帥解任。
- 1952年(昭和27年)4月28日日本国との平和条約発効。
- 1972年(昭和47年)5月15日 - 日本に復帰する(沖縄返還)。
人口[編集]
2010年度の国勢調査結果より前回の2005年度と比較して、沖縄県の人口は2.3%増加し、都道府県別で全国第4位の人口増加率となった[37]。国立社会保障・人口問題研究所は、2025年に143万3千人まで増加すると予測している[38]。2010年の自然増加率は人口千人あたり5.0人増と全国最高である[39]が、社会増加率は各年により増減が変動する[40]。また2010年度の合計特殊出生率は1.87人[39]と1975年度以来連続で全国1位を維持している[41]。年齢構成に関しては、14歳以下の人口(年少人口)の割合が17.8%と全都道府県で最も高く、また65歳以上の人口(老年人口)は17.4%と最も低い。老年人口割合が20%以下の都道府県は本県のみで、年少人口が老年人口を上回った唯一の都道府県である[37]。粗死亡率は男女ともに全国で最も低いが[42]、年齢調整死亡率は全国平均に近く[42]、特に成人男性は全国3位以上の年齢調整死亡率となっている[43]。沖縄県在住の外国人は、国籍別で2010年現在アメリカ(米軍とその関係者は含まれない。)が最も多いが、中国・韓国籍の外国人も増加傾向にある[44]。
沖縄県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 沖縄県の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 沖縄県
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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沖縄県(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
政治・行政[編集]
知事[編集]
沖縄県公選知事 | |||||||
代 | 氏名 | 在職期間 | 期 | 出身地 | 最終学歴 | ||
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1 | 屋良朝苗 やら ちょうびょう |
1972年(昭和47年)5月15日 - 1976年(昭和51年)6月24日 |
2 | 中頭郡読谷村 | 広島高等師範学校卒業 (現・広島大学) |
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2 | 平良幸市 たいら こういち |
1976年(昭和51年)6月25日 - 1978年(昭和53年)11月23日 |
1 | 中頭郡西原町 | 沖縄師範学校卒業 | ||
3 | 西銘順治 にしめ じゅんじ |
1978年(昭和53年)12月13日 - 1990年(平成2年)12月9日 |
3 | 島尻郡知念村 (現・南城市) |
東京大学法学部卒業 | ||
4 | 大田昌秀 おおた まさひで |
1990年(平成2年)12月10日 - 1998年(平成10年)12月9日 |
2 | 島尻郡具志川村 (現・久米島町) |
米・シラキューズ大学大学院修了 | ||
5 | 稲嶺恵一 いなみね けいいち |
1998年(平成10年)12月10日 - 2006年(平成18年)12月9日 |
2 | 関東州大連 (現・中国・遼寧省大連市) |
慶應義塾大学経済学部卒業 | ||
6 | 仲井眞弘多 なかいま ひろかず |
2006年(平成18年)12月10日 - 2014年(平成26年)12月9日 |
2 | 大阪府大阪市 | 東京大学工学部卒業 | ||
7 | 翁長雄志 おなが たけし |
2014年(平成26年)12月10日 - 現職 |
1 | 真和志村(現:那覇市) | 法政大学法学部卒業 |
組織・庁舎[編集]
議会[編集]
沖縄県議会議員選挙は統一地方選挙では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙の1つである(他は東京都、茨城県)。これは、日本復帰後の選挙が1972年(昭和47年)6月25日に行われたことによるためで、他の2都県(議会の解散)とは事情が異なる。
財政[編集]
2012年度[編集]
- 標準財政規模 3567億9084万円
- 財政力指数 0.28(都道府県平均 0.46)
- 財政力指数が0.3未満のEグループ(11自治体)に分類されている
- 経常収支比率 95.1%(都道府県平均 94.6%)
- 財政の硬直化が進んでいることを示す指標である
- 将来負担比率 81.3%(都道府県平均 210.5%)
- 実質公債費比率 11.0%(都道府県平均 13.7%)
- 人口100,000人当たりの職員数 1,412.52人(都道府県平均1,110.90人)
- ラスパイレス指数 107.0(都道府県平均 107.4)
- 地方債残高
- 普通会計分の地方債現在高 6829億9400万円
- 上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 1541億800万円
2011年度[編集]
- 財政力指数 0.29 (都道府県平均 0.47)
経済・産業[編集]
産業[編集]
2009年(平成21年)度の県内総生産は3兆7211億円である[45]。一人あたり県民所得は204万5000円(全国平均の73%)であり、高知県に次いで全都道府県中下から2番目である。また失業率は日本一高い。産業別人口の割合では、全国平均と比べて加工業を主とした第二次産業の比率が日本一低く、サービス業を主とする第三次産業の割合が東京都に次いで2番目に高いという特徴がある。
離島県であることから、生産できない生鮮食品・家電製品・自動車等、他都府県から移入する必要があるものは輸送費の分だけ本土に比べ割高となってしまう。そのため、本土の地方と比べて、特別物価が低くはなっていない。
沖縄県は元来、サトウキビ栽培が盛んで、近年は観光業が発達していて、経済の中心になっている。また、観光業以外に目立った産業のない沖縄県の経済は、米軍基地の経済(軍雇用者所得、軍用地料、米兵向け商店・飲食店など)に依存している側面があり、経済依存度は、1972年の15.5%から低下したものの、現在でも5.2%を占めている。米軍基地には、オフィスや病院、ショッピングモールなどの施設があり、約9000人前後の県民が基地施設に勤務していて、県庁に次ぐ人気の高い就職先になっている。
農業・漁業[編集]
日本唯一の熱帯・亜熱帯性気候を生かし、マンゴー、アセロラ、パイン、ドラゴンフルーツ等のトロピカルフルーツや、サトウキビ、タバコ、ゴーヤー(ニガウリ)といった農作物が生産されている。また、マグロ、ブリやクルマエビの養殖も盛んである[46]。
工業[編集]
近年の石油需要・原油価格の高騰から植物資源を燃料に充てられるバイオエタノールが脚光を浴び、沖縄県が主な産出のサトウキビが選択肢の一つとして注目されている。
観光業[編集]
本県の主な産業として、伝統・歴史・自然を生かした観光業が挙げられる。ただし、沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の海水浴場の多くは、ワイキキビーチと同様に人工海浜であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。観光客数は国内外合わせて5,690,000人(国内:5,443,800人、海外:246,200人)[47]である。訪れる外国人観光客は、台湾 (75%) 、米国 (11%) 、韓国 (4%) 、香港 (2%) 、中国 (2%) という比率になっている[48]。米国からの観光客は、米軍基地関係者が多く含まれる。
2000年(平成12年)に主要国首脳会議が行われたのをきっかけに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。
情報[編集]
1998年(平成10年)から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、海底ケーブルの陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange 等の呼びかけを行いコールセンターやIT企業の優遇策による誘致を活発に行っている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴わないとして箱物行政といった批判も多い。
優遇税制・特例[編集]
経済振興のため、数々の特例[49]が設定されている。
- ガソリン税(本土より1リットル当たり7円引き)や、沖縄自動車道の通行料金(本土より約4割引)などが軽減されている。
- 沖縄県発着の航空便に関しては、航空機燃料税が50%減免されていることもあり、県外の同一距離路線に比べて5000円程度安くなっている[50]ため、結果として観光客誘致にも寄与している。
- 観光においては、観光戻税制度、のちの特定免税店制度が他県にはない特徴的な優遇税制である。
- 酒税の軽減措置がある(→泡盛、オリオンビール参照)。
- 2002年(平成14年)4月に施行された沖縄振興特別措置法により、IT関連企業、金融関連企業の誘致を行っている。税制上の優遇(法人税の控除、特別土地保有税の非課税、事業所税の課税標準の特例)と大地震等の災害の可能性の低さを理由に、いくつかの企業が特別地区への移動を行っている。
企業[編集]
県内では、本州等で展開している企業の地域会社が多数存在する。
- 電気通信事業者
- 電気通信事業者では、携帯電話の au のサービスを提供する地域会社として沖縄セルラー電話がある。この会社は沖縄県の経済振興を目的として設立された企業であることから、同社の過半数株式を所有する KDDI だけでなく、地元企業の沖縄電力のほか県内の財界人・有力企業も出資している。沖縄県独自のサービスも展開していることもあり、県内では他県での市場占有率が首位のNTTドコモを抑えている(2005年(平成17年)現在の市場占有率は49%)。なお、同社は政治的な配慮によりドミナント規制対象外だったが、のちに au 本体 (KDDI) が対象となっている。
- また、アステルグループのPHSサービスを提供していた沖縄電力グループの旧アステル沖縄を引継ぎ、2005年(平成17年)1月25日に事業を開始したウィルコム沖縄(本州などでPHSサービスを提供するウィルコム(旧DDIポケット)の子会社)がある。
- 酒類
- ビールメーカーとして県内で大きな市場占有率を持つオリオンビールが存在する。なお、同社は県内における酒税減免措置にのった県内市場の高い占有率を成しているが、日本全体で見た場合の市場占有率は1%程度であるため独占禁止法に抵触しないとされる。
- 新聞
- 新聞は輸送事情の関係から、本土の全国紙は現地印刷が開始された日本経済新聞を除き、当日の朝に配送することが不可能なため(本土における夕刊配達の時間帯に朝刊が配達される状態)、地方紙である沖縄タイムスおよび琉球新報が購読率の大半を占めている。
- 金融
- 金融機関は、店舗数では県内の地方銀行のほか郵便局(ゆうちょ銀行)やJAバンク(JAおきなわ)が圧倒的である。都市銀行については、みずほ銀行那覇支店が店舗として唯一存在する(宝くじ販売の関係上)ほか、三菱東京UFJ銀行が、那覇市に法人営業所を設置しているのみである。
沖縄県に本社を置く主要企業[編集]
- 製造業
- 小売業
-
- サンエー(宜野湾市)
- 金秀商事(西原町)
- イオン琉球(旧・琉球ジャスコ)(南風原町)
- リウボウインダストリー(那覇市)
- 沖縄ファミリーマート(那覇市)
- ローソン沖縄(浦添市)
- 電力
-
- 沖縄電力(浦添市)
- 情報通信業
-
- ウィルコム沖縄(那覇市)
- CSKコミュニケーションズ(那覇市)
- 沖縄セルラー電話(那覇市)
- プロトデータセンター(宜野湾市)
- マスコミ
- 金融業
- 運輸
- ※バス会社については#バスを参照。
- 日本トランスオーシャン航空(那覇市)
- 琉球エアコミューター(那覇市)
- 沖縄岡崎運輸(那覇市)
- 沖縄交通(那覇市)
- 建設
-
- 國場組(那覇市)
- 観光
沖縄県に拠点事業所を置く主要企業[編集]
- 工場
-
- 日本鉄工(糸満市)
生活・交通[編集]
警察[編集]
交通[編集]
空港[編集]
島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。県内には、以下の表の空港と伊是名場外離着陸場があるほか、在日米軍が基地として利用する嘉手納飛行場、普天間飛行場などがある。
空港 | 旅客合計 | 国内線 | 国際線 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
旅客数 | 定期便 | 旅客数 | 定期便 | |||
那覇 | 13,666,846人 | 13,387,304人 | 本土 | (花巻)・仙台・福島・ 羽田・成田・(新潟)・ 小松・中部・伊丹・ 関西・神戸・岡山・ 広島・高松・松山・ 高知・北九州・福岡・ 熊本・長崎・宮崎・ 鹿児島・奄美・与論 |
276,542人 | ソウル・ 上海・ 台北・ 香港 |
県内 | 北大東・南大東・ 粟国・久米島・宮古・ 石垣・与那国 |
|||||
チャ | 沖永良部・伊是名・ 伊江島 |
|||||
石垣 | 1,890,802人 | 1,890,013人 | 本土 | 羽田・関西・神戸 | 789人 | - |
県内 | 那覇・宮古・与那国 | |||||
チャ | 波照間 | |||||
宮古 | 1,121,221人 | 1,121,221人 | 本土 | 羽田・関西 | 0人 | - |
県内 | 那覇・石垣・多良間 | |||||
久米島 | 261,256人 | 261,256人 | 本土 | (羽田) | 0人 | - |
県内 | 那覇 | |||||
与那国 | 78,585人 | 78,585人 | 県内 | 那覇・石垣 | 0人 | - |
多良間 | 36,065人 | 36,065人 | 県内 | 宮古 | 0人 | - |
南大東 | 35,749人 | 35,749人 | 県内 | 那覇・北大東 | 0人 | - |
粟国 | 14,326人 | 14,326人 | 県内 | 那覇 | 0人 | - |
北大東 | 13,646人 | 13,646人 | 県内 | 那覇・南大東 | 0人 | - |
慶良間 | 3,625人 | 3,625人 | - | - | 0人 | - |
波照間 | 3,621人 | 3,621人 | チャ | 石垣 | 0人 | - |
伊江島 | 555人 | 555人 | チャ | 那覇 | 0人 | - |
下地島 | 0人 | 0人 | - | - | 0人 |
- 出典:国土交通省航空局・空港管理状況調書 (PDF) (2005年度)
- 就航先は2008年(平成20年)4月1日現在
- チャーター便の旅客数含む
- 括弧は通年運航ではない(季節運航もしくは運休期間がある)路線を示す
- 三大都市圏への航空路は太字で表記
鉄道路線[編集]
太平洋戦争前には沖縄本島に沖縄県営鉄道、沖縄電気(路面電車)、沖縄軌道、糸満馬車軌道が存在したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も沖縄戦で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、2003年(平成15年)に沖縄都市モノレール線(ゆいレール)那覇空港 - 首里間が開業した[51]。
2013年現在、2006年(平成18年)に明らかになった那覇 - 名護間に鉄道を建設する構想は、建設費を日本国政府が一部(または全部)負担することを除き、建設や運営の主体や手法などについて調査・検討中である[52]。また南大東村では、観光客の増加を図ることが目的に、1983年までサトウキビを運搬するために島内を運行していた鉄道「シュガートレイン」の復活を計画している[53]。
全都道府県の中で唯一、JR各社の路線が敷設されていない。これは国鉄時代から同様であるが、かつての鉄道小荷物については琉球海運などとの連絡運輸により取り扱いが行われていた[54]。なお、JRの営業拠点としては那覇市に九州旅客鉄道(JR九州)沖縄支店が設置されている。
路線バス[編集]
沖縄本島では那覇市内の沖縄都市モノレール(ゆいレール)以外に鉄道がないため、都市内および都市間を結ぶ交通機関として、島内各地にバス路線網が展開されている[55]。また、石垣島や宮古島でも島内の交通機関としてバス路線網がある。
ほかに、島の港・空港・中心集落・観光地を結ぶ交通手段として、小規模な路線バスの運行が行われている島も多い。
また、沖縄県は、日本で唯一、国鉄バス→JRバスの定期旅客営業路線が歴史上において存在したことのない都道府県である。
- 一般乗合・一般貸切兼業
- 宮古諸島
- 一般貸切専業
- 沖縄本島
- 中部観光バス
- 大東交通
- ワールドトランス
- 平安座総合開発
- 沖宮観光バス
- 結
- サクシードプランニング
- 美ら島
- 國和第一ハイヤー
- 翔陽
- 沖縄南観光
-
- ハイウエイ沖縄
- 太陽交通
- カリー観光
- ロケーションファースト
- アンドインディー
- フジさくら観光
- Island Limousines
- タワダロケーションサービス
- ダイトウ
- 沖縄ツーリスト
- 特定
道路[編集]
- 本土復帰後、1978年(昭和53年)7月29日までは、車輌は右側通行だった。※ 730 (交通)も参照。
- 沖縄本島、特に那覇都市圏では渋滞が激しく、県内の1km当たりの渋滞損失額は三大都市圏の都府県に次いで大きい[56]。
- 高速道路
- 一般国道
- 県道
港湾[編集]
航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。石垣市の石垣港は、中国と台湾との中継港として使われている。
医療・福祉[編集]
教育[編集]
2007年度より開始された小学6年生および中学3年生を対象にした全国学力・学習状況調査では、2011年度、沖縄県は全ての科目で最下位[57] となったが、2014年度の調査では沖縄県は小学6年生算数で全国2位となった。
- 大学
- 沖縄大学(那覇市)
- 沖縄国際大学(宜野湾市)
- 沖縄キリスト教学院大学(西原町)
- 沖縄科学技術大学院大学(仮称、国頭郡恩納村に設置予定となっている)
- 短期大学
- 沖縄女子短期大学(那覇市)
- 沖縄キリスト教短期大学(西原町、沖縄キリスト教学院大学と併設)
- 高等専門学校
- 沖縄工業高等専門学校(名護市)
- 高等学校・中学校・小学校・その他の学校
以下の一覧記事を参照されたい。
マスメディア[編集]
新聞[編集]
2大県紙のシェアが併せて約7割弱に達し、先島諸島では独自の地元紙が発行される。全国紙(一般紙)は下記の事情もあり、他県と比べシェアが極めて低い[58]。
- 県紙
- 先島諸島のローカル紙
- 地方紙その他
西日本新聞も沖縄県の官公庁や図書館、および九州本土に本社を置く企業・法人の出先機関(沖縄支店など)に向けた事実上の「業務用」として新聞を発行していたが、2009年(平成21年)に発行を停止した。同新聞は1967年(昭和42年)-1977年(昭和52年)と2000年(平成12年)-2009年に那覇支局を設けていた。
- 全国紙
読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞、産経新聞の各社が当県に総・支局を設置している。2008年(平成20年)11月1日より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し、全国紙では唯一、朝夕刊とも地元紙と同時に配達を行っている。なお、読売、毎日、朝日は東京本社版および西部本社版を、産経は大阪本社版がそれぞれ販売されている。これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため、配達は当日の午後にずれ込む(前日の夕刊と同時配達)。また先島諸島や大東諸島については、全国紙だけでなく地方県域新聞2紙も印刷後空輸や船便で配送されるため、本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう。
- スポーツ紙
スポーツ新聞は、日刊スポーツとスポーツニッポン(新報スポニチ)が当県で現地印刷を行っているが、両紙とも本州などで発行される新聞とは異なり、10~12ページで発行されている(沖縄県には公営競技の施設がないため公営競技面は掲載されていないほか、番組表も非掲載)。なお、那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニでは、東京本社版の各紙が発行日当日に空輸され販売されているが、価格は定価より50円上乗せした180円となっている。
放送局[編集]
- NHK沖縄放送局 - 旧沖縄放送協会
- 琉球放送 (RBC)(テレビ:JNN ラジオ:JRN)
- 沖縄テレビ放送 (OTV) (FNN/FNS)
- 琉球朝日放送 (QAB) (ANN)
- ラジオ沖縄 (ROK) (NRN)
- エフエム沖縄 (JFN)
- AFN - 在日米軍放送。本州や長崎県にある各局と違い、中波 (AM) ラジオだけでなくテレビおよびFMラジオでも番組を制作し放送している。
テレビ放送における特記事項[編集]
NHK受信料支払率は、平成23年度末の初公表において全国最低の42.0%であった。
- 先島諸島・大東諸島における特記事項
- 大東諸島では長らく県内のテレビ放送が受信できなかったため、アナログ放送では関東広域圏を放送対象とするテレビ局のうち日本テレビ・テレビ東京を除く各局の放送を、小笠原諸島向けに送信されている衛星回線を使用し中継していた(このほか、NHK衛星第1・NHK衛星第2テレビも地上波で中継)。なお、県内の話題については電話回線を利用した字幕情報が必要に応じて挿入されていた。その後、2011年(平成23年)初頭から敷設工事が進められた海底光ケーブルで送られてくる信号で沖縄本土からのテレビ放送波を送ることができるようになり、同年7月のNHK沖縄放送局・民放各局のデジタル中継局の開局によって、RBC は本島のテレビ放送開始から51年、OTV は本島の開局から52年、QAB は本島の開局から16年でようやく視聴可能になった(詳細は大東諸島#テレビを参照)。
- なお、琉球朝日放送 (QAB) は大東諸島だけでなく、先島諸島でもかつてアナログ放送での受信は不可能であったが、宮古島および石垣島ではケーブルテレビの自主放送によりテレビ朝日の番組を時差放送していた。2009年(平成21年)10月21日、デジタル新局として QAB の中継局が設置され、本島の開局から14年でようやく視聴可能になった。
- ネットワーク系列局の空白
- 県内には、日本テレビ・テレビ東京両系列の放送局が置かれていない(佐賀県と並び、クロスネット局を含めた日本テレビ系列が放送対象地域外となっている都道府県でもある)が、これらの系列各局により制作された番組の一部は県内の他系列に属する放送局で、ローカル枠で放送されている他、OTV では、日本テレビ系列が主催する毎年夏放送の『24時間テレビ』、『高校生クイズ』および年末年始の『高校サッカー』の中継(沖縄県大会および全国大会の沖縄県代表絡みの試合)にも参加している。
- 日本テレビでは、系列局のない県内におけるニュース取材を行う目的で日本テレビ那覇支局を設置している。なお、同局系列の系列局については1990年代に南西放送が開局予定だったが実現しなかった。
- 他県と隔絶しているゆえの事象
- 県内の全てのケーブルテレビ局では、アナログ・デジタルとも地形や技術上などの問題もあり、県外民放の再配信は一切行われていない。また琉球新報・沖縄タイムスの番組表も鹿児島県を含めた県外民放はラジオを含め一切掲載されていない[59]。
- その他
- 近隣のテレビ局と豊見城市にある送信所を直線で結ぶ位置にある沖縄県庁の庁舎は、電波の転送路を妨害しないよう[要出典]庁舎の屋上部分を曲線的に窪ませた形状となっている。
AMラジオ局について[編集]
沖縄本島北部・先島諸島および大東諸島では夜間~早朝を中心に近隣国の混信をまともに受けやすいため、FM電波を使って中継放送が行われている。
FMラジオ局について[編集]
FM沖縄は現在先島諸島、大東諸島では中継局がないため直接受信不可(なお宮古島では地元のコミュニティFM局が同局の一部の番組を放送)。NHK-FM は現在大東諸島では中継局がないため直接受信不可[60]。
コールサインについて[編集]
アメリカ合衆国の施政権下では KSxx を用いていたが、本土復帰(1972年(昭和47年))以降は JOxx を用いている。
ケーブルテレビ[編集]
- 沖縄県のケーブルテレビ局を参照。なお大東諸島にはケーブルテレビ局が現状[いつ?]ない。
文化・スポーツ[編集]
琉球王国成立以前から日本本土の影響を受けつつ、中国大陸や東南アジアの文化も受け入れ、混ざり合う文化を築き上げてきた[61]。また太平洋戦争後から沖縄返還に至るまで、長期間米軍に統治されていたため、アメリカの文化(特に食文化)も深く浸透している[62]。
宗教[編集]
アニミズムを基本としており、本土の神道の原形(古神道)に近いと言われる。琉球神道とも言われ、本土の神社に当たるものとして御嶽がある。また、祖先崇拝の風も強く残る。
仏教は、王族や一部の上層階級が信仰するのみで、一般の農民にはほとんど浸透しておらず、葬式の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信徒の数は、本土に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、本土のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別にユタを呼ぶ事例もある。
墓は、自然のほら穴等を使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から、中国の影響を受けた亀甲墓へと変わり、現在では破風墓が一般的である。また、遺骨の処理方法も風葬や洗骨をする独特の風習があったが、近年では保健所等の指導や婦人運動の結果、多くの地域で火葬が実施されるようになった。
言語・方言[編集]
沖縄県で使われている言葉は大まかに以下の三つに分けることができるが、共通語化が著しく、琉球語のみならず、若年層では沖縄弁(ウチナーヤマトグチ)でさえも衰退が著しいが、特に強い保護政策等はとられていない。
- 琉球語 - 日本政府の立場としては、日本語の方言である琉球方言として扱われることが多いものの、ユネスコなどの国際機関の間では日本語とは異なる日本語族に属した独立した言語であるとされる。伝統的な沖縄の言語であるが、日常的な使用はほぼ高齢者層に限られる。明治から昭和中期まで方言札を使った強力な標準語普及運動が推進されたことに加え、本土復帰運動や戦後のマスメディアや学校教育の発展に伴いそれらを通じて、琉球語を軽視する反面、標準語に接する機会が圧倒的に増えたため、琉球語が使われることは非常に少なくなっており、特に1990年以降に生まれた世代では大半が理解することすら難しいほど衰退している。おおまかに、国頭語(国頭方言)、沖縄語(沖縄方言)、宮古語(宮古方言)、八重山語(八重山方言)、与那国語(与那国方言)に分けられるが、それら諸言語(諸方言)の間でもそれぞれ別言語とされることがあるほどの違いがあり、いずれもユネスコにより絶滅危機言語とされている。
- ウチナーヤマトグチ - 沖縄県民の大半が日常的に使用する言葉であり、日本語の共通語を基盤に琉球語の要素を混合させた新方言とされる。沖縄弁とも言われる。しかし、ウチナーヤマトグチと言えども、1990年以降に生まれた若い世代の沖縄県民において年齢が下がるほど衰退傾向が著しく、アクセント面で影響が残る程度となっており、語彙面では共通語と差異がほとんどみられない場合も少なくない。
- 日本語共通語 - マスメディア・学校教育や公的機関などで使われている。高齢者層では琉球語、沖縄弁、共通語とのトライリンガル、1950年代から80年代後半に生まれた世代では沖縄弁と共通語のバイリンガルが大半であり使い分けができる。一方、1990年代以降の生まれの世代においては共通語とほぼ変わらない言葉を話す傾向が強く、ほぼ共通語のみのモノリンガルに近い。また年々その傾向も年齢が下がるにつれて強くなりつつある[63]。このように、日本国内でも特に共通語化が進みつつある地域とされており、危惧されている。
人種・民族[編集]
地理的・歴史的・文化的な経緯から琉球民族とする主張がある。人種的には先史時代から10世紀にかけて南九州から移入したとされ、分子生物学の研究でも本土と遺伝的に近いことが確かめられている。北琉球と呼ばれることもある沖縄諸島の住民は、分子生物学的(Y染色体による系統分析)にほぼ九州、本州、四国の住民と同じである。
名字[編集]
沖縄の名字の多くは、地名に由来する。琉球王国時代では、王族、士族らは現在の名字に相当する家名を名乗り、領地が変わるたびにそれも変化した。薩摩藩による侵攻以降、薩摩藩の政策と琉球王府の施策により、日本風の二字姓家名からいわゆる沖縄風の三文字姓に改名した家系が多い。琉球処分後、一般庶民にも姓を名乗ることが許され、また明治以降は琉球語読みの名字の多くは日本語読みに改まった。
建築[編集]
沖縄県の伝統的な建築は、主に琉球王国時代に発展した。建造物の多くは建築様式や素材・技術などで他地域の建築(主に日本建築・中国建築)との類似点が多く見られるが、風土等の面で異なるために独自の発展が見られる。王朝時代において、琉球士族などを中心に瓦葺きの木造建築である貫木屋(ヌチジャー)、庶民は主に穴屋(アナヤー)と呼ばれる掘立小屋に住居を構えていた。また住居以外には、城壁や橋梁等の石造建築物に琉球石灰岩が多く使用された。その後、沖縄戦により失われた物も多いが、戦後導入されたツーバイフォー工法などの規格住宅に置き換わっている例も多い。現在は台風に強い鉄筋コンクリートの建物が造られ、過去に水不足による断水を幾度と経験したことから、屋上に給水タンクを設置し、また壁の塗装色が様々な住宅が多いのも特徴である[64][65]。
伝統工芸[編集]
- 久米島紬(織物、1975年)
- 宮古上布(織物、1975年)
- 読谷山花織(織物、1976年)
- 読谷山ミンサー(織物、1976年)
- 琉球絣(織物、1983年)
- 首里織(織物、1983年)
- 与那国織(織物、1987年)
- 喜如嘉の芭蕉布(織物、1988年)
- 八重山ミンサー(織物、1989年)
- 八重山上布(織物、1989年)
- 琉球びんがた(染色品、1984年)
- 壺屋焼(陶磁器、1976年)
- 琉球漆器(漆器、1986年)
- 知花花織(織物、2012年)
- 伝統工芸品
芸能等[編集]
琉球王国時代に広まった琉球古典音楽は、中国に起源をもつ三線を始め、琉球舞踊や日本芸能である能、狂言等の要素を取り入れた組踊が発展し、さらに琉歌による文学的表現も確立させた。琉球処分後には庶民にも三線音楽が普及し、現在でも民謡が盛んに歌われるほか、ポピュラー系の音楽ジャンルにも影響を及ぼしている[66]。また、エイサーは浄土宗の念仏が基となり形成された伝統芸能であり、近年では宗教色のない創作エイサーへも発展している。太平洋戦争中までは琉球競馬が盛んに行われていた。
衣装[編集]
伝統的衣装である琉装のほか、近年ではアロハシャツに似たかりゆしウェアも見られる。
武術[編集]
以前から存在していた沖縄固有の武術「手(ティー)」と、琉球王国時代に伝来した中国武術により融合して誕生したのが、唐手(からて、トゥーディー)であり、後の空手道に発展した[67]。戦後、空手を習得したアメリカ軍人や、日本から海外へ渡った空手家により、次第に世界へと普及した。
広義の琉球古武術は、徒手空拳術(空手)と武器術から成る。一般的に古武術は後者を指すが、空手と武器術は互いに密接な関係にある[68][69]。棒術、トンファー術など様々だが、中でもヌンチャクを用いた武器術は世界的にも有名である。
馬術[編集]
速さではなく、美しさを競う古式競馬。琉球競馬(ンマハラシー)は300-500年ほど前から行われ、明治以降は全県民的な催事となったが、太平洋戦争で途絶えた。2013年から沖縄こどもの国にて行われる。
料理[編集]
仏教の影響が弱かったことから、本土のように肉食の禁忌がなかったため、早くから肉料理が発達した。中国の影響からか特に豚肉料理が伝統的に発達している。牛、馬、猪、鳥の肉を食べるが、祝いの席などで山羊の刺身、山羊汁、チーイリチーをふるまうことが多い、山羊の肉と血液を調理するチーイリチャーは、沖縄ならではのものといえる。古くから諸外国との貿易で繁栄した海洋王国のためか、琉球料理には、遠い北海道産の昆布も多く使われる。
また、アメリカ占領時の食文化も今日に受け継がれている。
差別[編集]
王府の管轄下にあったニンブチャー(チョンダラー)以外には被差別民がいなかった[70]ため、本土の部落差別にあたるものはない。しかし、都市部以外ではシマ社会の旧習が今も色濃く残っており、男尊女卑や、部外者排斥の傾向が見られる。また、沖縄固有の歴史的事情に起因する差別も知られている。
一方、本土ではかつて、沖縄出身者が異質な存在として差別的に扱われることが多かった。1903年には展覧会で沖縄出身の遊女をアイヌや台湾原住民などとともに異民族として「展示」し、沖縄県民の反発を招く事件が起こった(詳細は人類館事件を参照)。大正から昭和初期にかけて沖縄から本土への出稼ぎが増加した際には、標準語や本土の習慣・時間感覚に不慣れな者が多かったことなどを背景に、求人告知や商店の入口で「琉球人お断り」と但し書きされる事例があった。
奄美出身者差別[編集]
地理的・文化的に近い奄美群島は、琉球王国の侵略を受け服属したのは約1世紀半であったが、島津氏によって本土勢力の支配下となり明治維新で鹿児島県に属した後も、沖縄との人的交流が盛んな地域であった。しかし、太平洋戦争後のアメリカ占領軍の施政下から奄美群島が先に祖国復帰を果たすと、「日本国民」に戻った奄美出身者の人権を制限する施策が、沖縄本島住民の陳情により次々と導入された。また、沖縄タイムスなどのマスコミも差別を助長するような報道を行い[要出典]、民間に差別感情が広まった。
アメラジアン差別[編集]
アメリカ人とアジア人、特にアジア地域へ来たアメリカ軍人と現地の女性との間にできた子どもはアメラジアンと呼ばれる。沖縄には今日でもアメリカ軍の軍人・軍属が多く居住し、多くのアメラジアンが生まれ続けているが、差別も根深い。米軍基地とテレビで目にすることが、沖縄で育ったアメラジアンが知っているアメリカ文化の全てということが多い[71]。にもかかわらず外見でアメリカ人と決めつけられ、商店からつまみ出される、公共のプールに入れさせてもらえない[72]といった差別を受けている。慰霊の日の前後に公立校では反米的な学習が展開されるため、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と迫害されるいじめを浴びる[73]。さらに、アメラジアン自身だけではなくその母親にまで、反米意識に基づく差別・偏見のまなざしが向けられている[74]。また、アメラジアンの多くが集まっていたオキナワ・クリスチャン・スクール・インターナショナルの新校舎建設地が産廃の投棄跡であったため生徒に吐き気や皮膚炎症、性器の発赤といった健康被害が多発した時には、沖縄県はダイオキシンやPCBの検査をせずに「安全宣言」を出して済ませてしまい、結局約80名が退学する事態となった[75][76]。
ハンセン病者差別[編集]
沖縄県はハンセン病が多く発生してきた地域であり、20世紀末には日本人の新規発症者の6割から7割を沖縄県出身者が占めている[77][78]が、沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった[79]。シマではハンセン病者(「クンチャー」と呼ばれ、これは乞食を意味する琉球方言である)をガマ、崖地、ゴミ捨て場などに隔離し、シマに戻ることを禁じる文化があった[80]。亡くなっても一族の墓には入れず、逆さまにして埋め、二度と生まれてこないよう呪いをかけた[81]。昭和50年代に火葬場が増えてから沖縄にも本土式の葬儀が広まった[82]が、その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い(「これが芽吹いたら生き返ってこい」という意味だが、炒ってあるので絶対に芽は出ない)が行われている[83]。
近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに、沖縄県民は激しく抵抗した[84]。癩療養所設置を阻止するための暴動(嵐山事件)が起きたり、療養所設置を求めた青木恵哉ら患者が焼き討ちにあったりもしている。その青木らによりようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園(現在の国立療養所沖縄愛楽園)は、地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった。
感染性への誤解も根強く、琉球新報は投薬治療中の教員から児童へ感染が広がっているという誤った考え方を主張し(後に他紙記者により「沖縄戦後ジャーナリズム最大の汚点」と指弾される)、またらい予防法廃止前に行われた世論調査では住民の87%がハンセン病患者の全員隔離に賛成という結果が出ている[85]。
精神障害者差別[編集]
復帰前の調査では、沖縄は精神障害の有病率が本土の2倍との結果が得られ[86]、近年でも精神的疾病、性暴力、家族内暴力、学校内暴力、自殺などが全国トップレベルである[87]。
その沖縄で特徴的なのは、西洋医学とは整合しない土着の信仰や旧習に基づく障害観である。精神障害者を家族が座敷牢に閉じこめる私宅監置は、本土では1950年に禁止されたが、沖縄では復帰後もなお障害者の座敷牢状態が続き、また家族は地域社会から疎外され見捨てられる有様であった[88][89]。精神障害は悪霊(マジムン)によって起こされているという理解もあり、これを迷信として否定するよう呼びかける精神科医がいる一方で、ユタ信仰の影響を受け土着化したキリスト教である沖縄キリスト教福音はその主張自体が悪霊に言わされているものだと批判し、統合失調症やてんかんには悪霊払いを行っている[90][91]。「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、精神科医が精神病の患者にユタを勧める例もある[92]。
一方、ユタは精神障害者に近いというとらえ方から、精神障害者が社会の役に立っているという認識をしている人も多い[93]。精神異常を来した者のうち、神や先祖とのコンタクトや憑依体験に至った者はカミダーリと呼ばれ、社会に受けいれられる「肯定的な狂気」として存在できる[94]。
自衛官差別[編集]
職業差別として、自衛官に対する差別がある。本土復帰に伴い自衛隊が沖縄にやってきたとき、自衛官たちは人殺し呼ばわりされ、差別の凄まじさから自衛隊員の子供は半年以上も学校に通うことが出来なかったほどである。また様々な行事から閉めだされた上に、参加が許可されても自衛隊を名乗ることを許されなかった。自治体ですら自衛官やその家族の住民登録を拒否する、ゴミの処理も受け付けないなどの、差別を長年に渡って続けてきた。その一方で、長年にわたる沖縄の不安定な雇用情勢や本土との賃金格差から、自ら隊員に志願する沖縄県出身者も少なくない。那覇ハーリーで自衛隊を名乗り参加することが許されたのは復帰後30年近く経過した2001年のことであった[95]。
スポーツ[編集]
スポーツチーム[編集]
- クリード安仁屋ベースボールクラブ
- FC琉球(サッカーJリーグ)
- 琉球ゴールデンキングス - 2007 - 08年シーズンよりbjリーグに新規参入のプロバスケットボールチーム。
- 琉球コラソン(日本ハンドボールリーグ)
- 琉球ボクシングジム
主なスポーツイベント[編集]
スポーツ施設[編集]
日本プロ野球の春季キャンプ地が沖縄県に集中しており、2011年(平成23年)は、12球団中10球団(1軍のみ)が県内でキャンプを行った。以下に主な運動公園・野球場を挙げた。
観光[編集]
沖縄県を舞台とした作品[編集]
この節の加筆が望まれています。 (2014-11) |
※発表年順
- 映画
- ひめゆりの塔 (1953年、東映)
- 電光空手打ち (1956年、東映)
- 狼やくざ 殺しは俺がやる (1971年、東映)
- 激動の昭和史 沖縄決戦 (1971年、東宝)
- 夏の妹 (1972年、日本ATG)
- ゴジラ対メカゴジラ(1974年、東宝)
- 沖縄やくざ戦争 (1976年、東映)
- 空手バカ一代 (1977年、東映)
- 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 (1980年、松竹)
- 友よ、静かに瞑れ (1985年、東映セントラルフィルム)
- ベスト・キッド2 (1986年)
- マリリンに逢いたい (1988年、松竹富士)
- Aサインデイズ (1989年、大映)
- 3-4X10月 (1990年、松竹)
- ソナチネ (1993年、松竹)
- 涙そうそう (2006年、東宝)
- カフーを待ちわびて (2009年、エイベックス)
- てぃだかんかん (2010年)
- テレビドラマ
- アニメ
- 対馬丸 さようなら沖縄 (1982年、対馬丸製作委員会)
- 白旗の少女 琉子 (1988年、共同映画全国系列会議)
- かんからさんしん (1989年、かんからさんしん製作委員会)
- ストラトス・フォー (2003年、UHFアニメ)
- あそびにいくヨ! (2010年)
- エウレカセブンAO (2012年、MBS)
- はいたい七葉 (2012年、QAB)
- ゲーム
沖縄県出身の人物[編集]
脚注[編集]
- ^ 特異な歴史の道のりを経て(沖縄県)、
- ^ 「唯一」という部分については異論がある。沖縄地上戦 国内唯一→国内最大 政府が閣議決定(琉球新報)
- ^ a b “1 - 1 国土構成島数,面積及び周囲”. 第六十二回 日本統計年鑑 平成25年. 2013年11月13日閲覧。
- ^ 沖縄の産業/産業のうちわけ - 2014-12-4閲覧
- ^ 島国 (領土がすべて島から成る国)である日本を構成する6,852の島に対する『国土交通省』による区分け ⇒ 6,852島(本土5島 ・ 離島6,847島)。 [出典] 『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識)[1] 2009年11月27日閲覧。
ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。 - ^ 【参考】 日本の島の面積順に上位10島 ⇒ 本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬。
[出典] 国立天文台 (編)理科年表 平成19年版 P565 ISBN 4621077635。 - ^ 14地域 ⇒ 北海道、東北、関東内陸、関東臨海、東海、北陸、近畿内陸、近畿臨海、中国山陰、中国山陽、四国、九州北九州、九州南九州、沖縄。 “用語集”. 国土交通省. 2013年6月1日閲覧。
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- ^ 沖縄地理雑学(同リンク中では「国鉄那覇港駅」と紹介されているが、正確には国鉄と連絡運輸を行っていた琉球海運の駅である。)
- ^ バス事業者の一覧については、沖縄総合事務局運輸部 平成19年度運輸要覧 (PDF) より抜粋。
- ^ 都道府県別1km当たり渋滞損失額(国土交通省)
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- ^ 読売新聞広告ガイド 2010年下半期の県別平均販売部数(2011年9月5日閲覧)
- ^ 以前は他地域での経営上の理由(ケーブルテレビ局側における設備上のコストや県内既存局の圧力)などで再送信されなかったケースもたびたびあったが本土の県庁所在地の中心部のケーブルテレビ局は4大系列とも再送信されることが一般的である。
- ^ ただし、NHK-FM は2011年(平成23年)9月からラジオ第1・第2とともにインターネットを通じた同時配信により聴取可能となったが、すべて東京からの放送となるため本来の沖縄県域および九州・沖縄ブロックの番組と権利上の理由で同時配信されない番組がある場合は中継局が整備されない限り聴取不可。なお、2012年度に2か所の中継局が開局されたが、開局されたのは東京都小笠原諸島の父島・母島両中継局であり、大東諸島では依然として開局のめどが立っていないため、父島・母島両中継局開局後は全国で唯一 NHK-FM のラジオ放送による直接受信ができない地域として残ることになった。
- ^ 琉球文化の概要 琉球文化アーカイブ
- ^ 終戦後のアメリカ食文化
- ^ 日本語の国際化と沖縄の言語状況 東京外国語大学 井上史雄
- ^ 沖縄県教育委員会 沖縄の歴史と文化
- ^ 沖縄の住まい
- ^ Wonder沖縄 琉球古典音楽 悠久への誘い
- ^ 沖縄の伝統 空手・古武術
- ^ 琉球古武術の歴史
- ^ 古伝空手・琉球古武術のすすめ
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- ^ 李京愛・豊住マルシア・野入直美・葉映蘭・秋辺得平・榎井縁「日本社会に暮らす『在日』と『新渡日』の思い」『むくげ』173号, 2003年
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- ^ 中村文哉「沖縄社会の二つの葬祭儀礼―沖縄のハンセン病問題と「特殊葬法」―」『山口県立大学社会福祉学部紀要』11号, 2005年, p.24
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- ^ 謝花直美「沈黙の声 沖縄戦の精神障害者」『季刊 戦争責任研究』52号, 2006年, p.9
- ^ 沖縄戦の後遺症とトラウマ的記憶 (PDF) 復帰40年沖縄国際シンポジウム「これまでの沖縄学 これからの沖縄学」
- ^ 島成郎「社会の変化と精神障害者の処遇―沖縄での経験から―」『精神神経学雑誌』77巻, 1975年, p.450
- ^ 内藤喜和子「沖縄・伊江島から思うこと」『月刊ノーマライゼーション』1999年11月号
- ^ 池上良正『悪霊と聖霊の舞台 沖縄の民衆キリスト教に見る救済世界』どうぶつ社, 1991年, p.84, 138
- ^ 「キリスト教会の「カルト化」」『AERA』2008年7月28日号
- ^ 野村恭代「施設と地域との「共生」への課題―沖縄県精神障害者施設における調査から―」『関西福祉科学大学紀要』14巻, 2010年, p.92
- ^ 野村恭代「施設と地域との「共生」への課題―沖縄県精神障害者施設における調査から―」『関西福祉科学大学紀要』14巻, 2010年, p.90
- ^ 塩月亮子「聖なる狂気 沖縄シャマニズムにおける憑依現象」立川武蔵(編)『癒しと救い アジアの宗教的伝統に学ぶ』玉川大学出版部, 2001年
- ^ “沖縄では自衛隊の基地も迷惑施設なの?”. 読売新聞. (2012年5月16日)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 沖縄県(公式サイト)
- 沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語 - 沖縄観光コンベンションビューロー
- 沖縄県の島しょ別面積一覧 沖縄県を構成する160の島の名称と面積の一覧表 - 沖縄県土地対策課
- 2016 ミスユニバース沖縄大会
先代: 琉球藩 |
行政区の変遷 1879年 - 1945年 (第1次沖縄県) |
次代: 琉球列島米国軍政府 |
先代: 琉球列島米国民政府 琉球政府 |
行政区の変遷 1972年 - (第2次沖縄県) |
次代: ----- |
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