石垣山一夜城歴史公園
石垣山一夜城歴史公園
石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。
この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き志気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました。
秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。
この城は、関東で最初に造られた総石垣の城で、石積みは近江の穴太衆による野面積みといい、長期戦に備えた本格的な総構えであったといわれ、度重なる大地震にも耐え、今日まで当時の面影が大変よく残されています。
この地は国立公園区域および国指定史跡に指定されています。
公園面積 約5.8ha
富士箱根伊豆国立公園 昭和11年2月1日指定
国指定史跡石垣山 昭和34年5月13日指定
アクセス
JR早川駅より関白農道を経て徒歩約40分
箱根登山鉄道入生田駅より徒歩約50分
住所 | 神奈川県小田原市早川字梅ヶ窪地内 |
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TEL | 0465-33-1583 |
アクセスマップ
石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。
この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き志気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました。
秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。
この城は、関東で最初に造られた総石垣の城で、石積みは近江の穴太衆による野面積みといい、長期戦に備えた本格的な総構えであったといわれ、度重なる大地震にも耐え、今日まで当時の面影が大変よく残されています。
この地は国立公園区域および国指定史跡に指定されています。
南曲輪の石垣(南側)
- 公園面積 約5.8ha
- 富士箱根伊豆国立公園
昭和11年2月1日指定 - 国指定史跡石垣山
昭和34年5月13日指定
本丸のシャガ 平成21年4月11日撮影
アクセス
- 徒 歩
・JR早川駅より石垣山農道を経て徒歩約40分
(石垣山農道は「早川・片浦ウォーキングトレイル」のコースで、石垣山に参陣した武将たちの生涯を簡単にまとめた説明板も設置され、歴史にふれながら散策することができます。)
箱根登山鉄道入生田駅より徒歩約50分
- バス(季節運行)
観光回遊バスが春と秋に運行されます。
運行日、ダイヤ、料金等については、「観光回遊バス」のページをご覧ください。
南曲輪の石垣(東側)
- 駐車場…無料・多数(乗用車:約50台程度)
- 道順
○西湘バイパスを湘南方面から
西湘バイパス「小田原IC」で降り、国道1号「山王橋」交差点左折、国道1号を道なり箱根方面へ約2.9km先「板橋」交差点左折、約350m先「ターンパイク入口」交差点左折、約260m先の新幹線高架手前を右折、約70m先を右折し道なり約1.8kmで駐車場
○小田原厚木道路から
小田原厚木道路「小田原西IC」で降り国道135号方面へ約860m先の新幹線高架手前を右折、約70m先を右折し、道なり約1.8kmで駐車場
※注意!!
西湘バイパス「早川IC」又は国道1号「早川口」交差点から国道135号を経由する場合、国道135号「早川」交差点は右折禁止です。
「早川」交差点の約70m手前を左折、直後の交差点を右折、再び直後の交差点を右折し、国道135号「早川」交差点を横切ってください。(幅員狭くバス等不可)
マップコード 57 225 716*55
所在地
小田原市早川1383-12
※現地に管理事務所等はございません。
問合せ先
- 公園について…みどり公園課 0465-33-1583
- 史跡について…文化財課 0465-33-1717
- ウォーキングトレイル、武将説明板について…観光課 0465-33-1521
※下記メールフォームからお問い合わせをする場合は、タイトルに「石垣山一夜城の○○○について」と入力してください。