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『わたしのかけらたち』によせて text by 寺岡呼人

はじまりは、植村さんのバンマスをやっている林兄弟からの推薦だった。
「花菜ちゃんが呼人さんに合ってると思う」と植村さんの事務所の社長に推薦してくれたのだ。
そして、まだ過去の音源を聴かないうちにまず本人を紹介してもらった。

そこで話す植村さんの雰囲気、ムード、そして人生経験が随分と面白くて「それを曲にした方がいい」としょっちゅう言ってしまうほど、「素」の彼女の持ってるものは魅力的だった。

そして、その後過去の音源を聴かせてもらった。
もうどの曲も素晴らしいアレンジと曲で、文句のつけようのない、というか「僕必要かな」と思うほど、“プロフェッショナル”なサウンドだった。
「林兄弟は僕に何を期待して推薦してくれたんだろう」
ちょと僕は不安になった。
サウンドなら、もう十分なものを過去にやっている。

ただひとつだけ。
あの時感じた「素」の植村さんが意外にいなかったのだ。
素晴らしいサウンドの中でかしこまってるというか、優等生でいる気がして、「なら僕が関わるなら、サウンドやアレンジよりも、“素”の植村さんを引きだそう」と最初に思った。
アレンジという、洋服は敢えて最初から着ないで、裸の自分をどう表現するか。
それを体得することができれば、彼女はきっと今後何十年もやっていけるだろうし、そのきっかけになってくれたら大成功で、それが唯一のゴール目的だった。

そして、まずはある日、植村さんにインタビューをするところから始まった。
そこで彼女から引き出した“ことば”のなかに、「トイレの神様」「猪名川」などのワードが出てきた。僕は、これは面白いと思い、それらをメモしたものを、後日まとめて彼女に送った。
「これらの言葉を元につくってみない?」と。

しかし、それから数日、数週間経っても、曲があがってこない。
後で分かった事だが、植村さんは当時、歌詞を書くことにおいてスランプで、更に「自分をさらけ出す」という表現を頭では分かっていても、カタチにすることが中々できなかったらしい。

そこで、僕の知り合いの作詞家、岩里祐穂さん、そして僕が尊敬していて、植村さんが過去に仕事がしたことがある、山田ひろしさんに一度相談してみようということになった。

この決断が大きなターニングポイントになった。
岩里さんとは、元々彼女が書いていた曲に詞をつけてもらい、山田さんとは元々やりたかった「詞に曲をつける」という作業をした。総体的なテーマは“植村花菜の原風景”そして“赤裸々”。

最初にインタビューした時に出てきたテーマを、書きたくてもうまく歌詞として書けなかった彼女は、作文にしてそれぞれに見せた。「うまくまとめられないので、せめて作文にしました」と。

岩里さんは彼女の書いた曲の中から「これが“猪名川”っぽくない?」と後に『猪名川』になる曲を選び、そして、別の2曲をそれぞれ『マスカラ』『サンシャインストーリー』に仕上げていってくれた。それも彼女の作文から構成していったものだ。

そもそも、僕はシンガーソングライター至上主義に疑問を持ちはじめている。
何でもかんでも「詞曲」を本人で、というのは、いい側面もある反面、一人よがりになりがちで、リスナーにうまく届かないリスクもあると思う。70年代の分業制、プロデューサー、作曲、作詞、歌手、といったものの方が、結果的に後生に残るようなものを作ってる気がしてるのは僕だけだろうか。

それはさておき、植村さんがこの分業を決断したことは、ある意味彼女の運命も変えることになるのだから、縁や、タイミング、決断、というのは不思議なものだ。

山田ひろしさんとは代々木八幡の居酒屋で植村さんと三人で初めて会った。
彼の『植村花菜』に対する評価も、非常に的を得ていて、「まだまだいけるのに、殻を破っていないところがもったいない」と言っていて、その居酒屋で彼女の作文の中から「これいける」と唸ったのが『トイレの神様』だ。僕は山田さんが「トイレの神様」に反応してくれた時点で「この人わかってる!」と思った。安心して一緒にやれると。
そこで山田さんが「書いた言葉」に植村さんが「曲をつける」、という事が決まった。

日数は結構掛かったが、数週間後山田さんが歌詞を送ってくれた。
しかし、それから待てど暮らせど植村さんから曲があがってこない。
レコーディングは、もう始まりつつあり、他の曲の作業はどんどん進んでいった。ただ、この段階では『トイレの神様』はアルバムの中の1曲であり、それほど重要なポジションじゃない、どころかこの3人以外、事務所の人も、レコード会社の人も、この曲の存在は知らなかった。

植村さんが曲をあげたのは、レコーディングも進んで、締め切り間際。
彼女の、かなり音の悪いMP3プレーヤーで(笑)、雑音混じりのデータが送られてきて、「1コーラスだけです」と自信なさ気にコメントが入った『トイレの神様』を聴いた時、僕は心でガッツポーズした。
まさか、当初願っていた、『植村花菜の素』がここまで表現できるとは思っていなかった。というのも、曲作りに苦労していたり、歌詞に苦労していたりを見ていたので、「一度には無理か」と思っていたプロセスを、この曲は一気に飛び越えさせた。

山田ひろしマジックである。

そしてもう一人。
以前、僕のイベントに出てくれた磯貝サイモンというシンガーソングライター。
彼の音楽に対する情熱や、センスが以前からずっと気になっていて、「彼は今回のコンセプトにはピッタリなんじゃないだろうか」と思った。

聞けば、外部のアレンジをするのは初めてという。
そこで一度『猪名川』のアレンジのデモを作ってもらった。コンセプトは話して。
そこで出来上がったものを聴いて、植村さんも「素晴らしい!」という事になり、参加してもらうことに。

結果的には、才能をいかんなく発揮し、みんなにその手腕を絶賛された。
彼はこの先、ひっぱりだこの存在になるだろう。


僕自身は植村さんの事務所の社長、田口さんに最初の打ち合わせで「俺が最初に見た、植村花菜はギター一本で歌っていて、それで“一緒にやりたい”と思った。その時のイメージやって欲しい」と言われ、更に「トータルにやって欲しい」というオーダーだった。
実はこれに当初は戸惑った。「トータルっていうのは何をすればいいんだろう」と。
いわゆる、アレンジとかボーカル入れをするのではなく、ディレクターやれって事なのかな、とか。
結果的には、行き当たりバッタリだったが、ジャケット、プロモーションビデオまで、踏み込んでやることになった。

アルバムの打ち上げで誰かが言った。
「今回のプロジェクトは、誰一人ハズしていないし、ジャケット、ビデオ、プロモーションの時の歌、全部ハズしていない。無駄なものが一つもなかったね」

そう、物事がうまくいく時はこうなるのだ。どう箸が転んでも、いい方向に転んでしまう。
それは結果的に、植村花菜という人間の“運”と“ひき”の強さではないだろうか。

このアルバムは、植村花菜のもう一つの序章だと思う。
物語はこれから始まるのだ。




P.S.

去年の年末、ミックスし終えたばかりの『トイレの神様』を林兄弟に聴かせた。
曲が終わったら、二人とも泣いていた。
その時、「林君達の期待に応えられたかな」と、一安心した。