高円寺レコード
写真: 共同通信社

若者向けの「新しい音楽」=「ニューミュージック」

一昔前、レコードショップ、CDショップには「ニューミュージック」の棚があったものでした。いまでは、音楽のジャンルは細分化され、日本の若者向けの音楽は「J-POP」などと呼ばれるようになり、ニューミュージックは「新しい」ものから「古くさい」ものになってしまいました。

店の棚に、ニューミュージックが登場した時期は定かではありませんが、紅白歌合戦に「ニューミュージック」の波が押し寄せたのは、1978年(昭和53年)のこと。さとう宗幸、世良公則&ツイスト、原田真二、サーカス、庄野真代、中原理恵、渡辺真知子が初出場。いずれもニューミュージック系で、その名の通り、新しい音楽の風を紅白へ届けました。

諸説ある「ニューミュージック」の起源

ニューミュージック以前の昭和40年代後半は、フォークソングが若者の間で流行歌の地位を占めていました。その後、シンガー・ソングライターの台頭とともに広がった、フォークソングに比べてメッセージ性が希薄で、よりポップな要素が増えた音楽を「ニューミュージック」と呼ぶようになります。

ニューミュージックの起源にはいろいろな説があり、どれが本当なのかははっきりしませんが、一言では的確に表現できない音楽のジャンルだからこそ、曖昧にも聞こえる「ニューミュージック」という言葉がぴったりと当てはまったのかもしれません。

J-POPに息づく、ニューミュージックの名曲

現在、ニューミュージックという言葉はあまり聞かれなくなりました。その代わりに登場したのが「J-POP」です。定着したのは1993年(平成5年)ごろから。それまでニューミュージックに分類されていた曲のほとんどは「J-POP」という名称で呼ばれるようになります。

フォークソングや演歌は、音楽ジャンルとして生き残りましたが、ニューミュージックの名称は、この時期を境に、ほとんど聞かなくなってしまいした。しかし、ニューミュージック全盛期の名曲は現代のミュージシャンによってカバーされ、若い世代に新鮮な感動を与えています。

ニューミュージックの棚から、レコードやCDを選ぶのが青春の思い出だったみなさん、当時の思い出の曲名を検索したことはありますか? もしかしたら、知らぬ間にカバー版が新譜としてポッと見つかるかもしれませんよ。いい音楽は、時代を超えても評価されるものですからね。