かつてブームを巻き起こした物の生みの親が上田にいるらしい!?
2017年03月06日
たまごっちやアメリカンクラッカー、ヨーヨーなど玩具。
ティラミスやパンナコッタのようなスイーツ系の食べ物。
エリマキトカゲやウーパールーパーなどの動物系…。
これまでブームとなった物と言えば様々な物が思いつく事でしょう。
しかし、こちらは社会現象にもなった一大ブームを巻き起こした物です。
まさか、アレの生みの親 仕掛け人が上田に住んでいるとはっ!!驚きです。
早速、その生みの親に会いに行きました。
そのブームとは1960年をピークに巻き起こった流行で、この方の会社では年商3億だったのがたった一年で
年商10億もの会社に成長したという程なのだそうです。
ものすごく売れたので、これまでに54種類ものソレを開発販売してきたそうです。
そのブームとなった物。
どれくらいブームになったのかと言うと…
96年の流行語大賞にも選ばれたというくらいなのですよ!!Σ ゚Д゚≡( /)/
96年の新語流行語大賞受賞ワードと言うと、長嶋茂雄さんの「メークドラマ」、マラソン有森選手の「自分で自分を褒めてあげたい」。なんとなく、その時代を思い出してきたでしょうか?
その他には…
「アムラー」「チョベリバ」。女子高生が話題となっていた時代でした!
そんな女子高生達を表す存在でもあった物…
答えは「ルーズソックス」です!!(´∀`艸)♡
足元のズルズル、ダフダフが懐かしいですね♪
ルーズソックスの生みの親であるのは、上田市武石地区にお住いの鴇田 章さんです!
96年の新語流行語大賞も鴇田さんが受賞されたのだそうですよヽ(*゚∀゚*)ノ♪
その時はご自身で立ち上げられたブロンドールという百貨店などで販売するような靴下の会社の社長さんでした。
それまでも、靴下や下着のメーカーアツギで靴下担当をされていたという鴇田さん。靴下の歴史を遡っていくと中世ヨーロッパの男性貴族のストッキングにたどり着くそうで、今は男性貴族のストッキングのコレクターでもあるという、靴下博士であり靴下マニアでもある男性です。
ルーズソックスの始まりは1988年。映画「ワーキングガール」を観るとその当時のアメリカの様子が分かるのですが、NYやワシントンのキャリアウーマンの間でエアロビクスが流行っていたそうで、少しゆるゆるの靴下を通勤にも履いていたのだそうです。
日本でも流行るのでは!?と思った鴇田さんは、その靴下を輸入し素材を変更して日本で販売したところ、OLさん向けに出したつもりでいたその靴下が女子高生の間で火が付き、瞬く間にブームとなったのだそうです。
ルーズソックスが流行した背景には、実は1980年代は学生を呼び込むために私立女子高の制服が有名デザイナーに依頼して製作するのがブームとなったという事があるそうで、そのためスカート丈も競って短くなっていき、それに合う靴下という事で「ルーズソックス」が女子高生の間で評判となっていったそうです。新しいプロポーションを求めて、ルーズソックスのボリューム感が求められたのですね。
ボリュームと言えば、ダフダフ感を出すためにわざわざ手で引き延ばしたりしましたよね。
中には、夜、ルーズソックスにペットボトルを入れておく技を使っていた人もいたようです。女子高生たちがめざしたのはキン肉マンに出てくるバッファローマンのプロテクター。鴇田さんはいち早くその情報を仕入れ、すぐに改良をして新商品を出す…という事を繰り返したのだそうです。
網目が横の物や透かし柄の物。タオル素材の物。様々なルーズソックスを作っていったそうなのですが、素材やデザインだけではありません。
ルーズソックスで重要となってくるのが…長さ!!
65㎝、80㎝、100㎝…と長くなっていき、最終的には120㎝もの長さのルーズが誕生したのだそう!
伸ばしたらすごい事になってしまう靴下ですねΣ(゚ロ゚;)
売りに売れたルーズソックスですが、仕掛け人である鴇田さんの会社では97年にはパッタリとルーズソックスの販売をやめてしまったのだそうです。流行は売れているうちに次の物を考えるというのが鴇田流との事。鴇田さんが考えたものとは…
紺のハイソックスの「紺ハイソ」です
紺ハイソも売れましたよね♪
今は上田に住み、時々アパレル系の学校や会社にファッションやマーケティングの講師として全国各地へと赴いていっている鴇田さんですが、靴下とも関わりの深い養蚕に興味を持ち、養蚕業と靴下の関係について研究をしているそうです。
鴇田さんのような方の知識やアイデアが加わることによって、地元の活動にも新しい動きが見られるのでは?と期待しています♪
斉藤 美穂
ティラミスやパンナコッタのようなスイーツ系の食べ物。
エリマキトカゲやウーパールーパーなどの動物系…。
これまでブームとなった物と言えば様々な物が思いつく事でしょう。
しかし、こちらは社会現象にもなった一大ブームを巻き起こした物です。
まさか、アレの生みの親 仕掛け人が上田に住んでいるとはっ!!驚きです。
早速、その生みの親に会いに行きました。
そのブームとは1960年をピークに巻き起こった流行で、この方の会社では年商3億だったのがたった一年で
年商10億もの会社に成長したという程なのだそうです。
ものすごく売れたので、これまでに54種類ものソレを開発販売してきたそうです。
そのブームとなった物。
どれくらいブームになったのかと言うと…
96年の流行語大賞にも選ばれたというくらいなのですよ!!Σ ゚Д゚≡( /)/
96年の新語流行語大賞受賞ワードと言うと、長嶋茂雄さんの「メークドラマ」、マラソン有森選手の「自分で自分を褒めてあげたい」。なんとなく、その時代を思い出してきたでしょうか?
その他には…
「アムラー」「チョベリバ」。女子高生が話題となっていた時代でした!
そんな女子高生達を表す存在でもあった物…
答えは「ルーズソックス」です!!(´∀`艸)♡
足元のズルズル、ダフダフが懐かしいですね♪
ルーズソックスの生みの親であるのは、上田市武石地区にお住いの鴇田 章さんです!
96年の新語流行語大賞も鴇田さんが受賞されたのだそうですよヽ(*゚∀゚*)ノ♪
その時はご自身で立ち上げられたブロンドールという百貨店などで販売するような靴下の会社の社長さんでした。
それまでも、靴下や下着のメーカーアツギで靴下担当をされていたという鴇田さん。靴下の歴史を遡っていくと中世ヨーロッパの男性貴族のストッキングにたどり着くそうで、今は男性貴族のストッキングのコレクターでもあるという、靴下博士であり靴下マニアでもある男性です。
ルーズソックスの始まりは1988年。映画「ワーキングガール」を観るとその当時のアメリカの様子が分かるのですが、NYやワシントンのキャリアウーマンの間でエアロビクスが流行っていたそうで、少しゆるゆるの靴下を通勤にも履いていたのだそうです。
日本でも流行るのでは!?と思った鴇田さんは、その靴下を輸入し素材を変更して日本で販売したところ、OLさん向けに出したつもりでいたその靴下が女子高生の間で火が付き、瞬く間にブームとなったのだそうです。
ルーズソックスが流行した背景には、実は1980年代は学生を呼び込むために私立女子高の制服が有名デザイナーに依頼して製作するのがブームとなったという事があるそうで、そのためスカート丈も競って短くなっていき、それに合う靴下という事で「ルーズソックス」が女子高生の間で評判となっていったそうです。新しいプロポーションを求めて、ルーズソックスのボリューム感が求められたのですね。
ボリュームと言えば、ダフダフ感を出すためにわざわざ手で引き延ばしたりしましたよね。
中には、夜、ルーズソックスにペットボトルを入れておく技を使っていた人もいたようです。女子高生たちがめざしたのはキン肉マンに出てくるバッファローマンのプロテクター。鴇田さんはいち早くその情報を仕入れ、すぐに改良をして新商品を出す…という事を繰り返したのだそうです。
網目が横の物や透かし柄の物。タオル素材の物。様々なルーズソックスを作っていったそうなのですが、素材やデザインだけではありません。
ルーズソックスで重要となってくるのが…長さ!!
65㎝、80㎝、100㎝…と長くなっていき、最終的には120㎝もの長さのルーズが誕生したのだそう!
伸ばしたらすごい事になってしまう靴下ですねΣ(゚ロ゚;)
売りに売れたルーズソックスですが、仕掛け人である鴇田さんの会社では97年にはパッタリとルーズソックスの販売をやめてしまったのだそうです。流行は売れているうちに次の物を考えるというのが鴇田流との事。鴇田さんが考えたものとは…
紺のハイソックスの「紺ハイソ」です
紺ハイソも売れましたよね♪
今は上田に住み、時々アパレル系の学校や会社にファッションやマーケティングの講師として全国各地へと赴いていっている鴇田さんですが、靴下とも関わりの深い養蚕に興味を持ち、養蚕業と靴下の関係について研究をしているそうです。
鴇田さんのような方の知識やアイデアが加わることによって、地元の活動にも新しい動きが見られるのでは?と期待しています♪
斉藤 美穂
この記事へのコメント
この爺さんまだ生きているんだ。
死ぬまでルーズソックスの生みの親って言い続けるんかね。
そんなに力とセンスがあるなら自分の会社倒産させないと思いますよ。
Posted by 通りすがり at 2017年12月05日 21:37