前回(「AIDE新聞C73版」掲載)は、主として第1回のコミックマーケットが始まった70年代後半から80年代までをとりあげ、戦後の国内コンテンツ文化の歴史を概観した上で、各年代におけるコミックマーケットの意義と特質を考察したが、それを受けた本稿では、主として90年代の社会状況、コンテンツを中心とした文化状況を概観し、同時期の文化・社会状況との相関性を軸に、90年代におけるコミックマーケットの文化的価値を考えてみたい。
■「1989年」
90年代の話をする前に、80年代末、とりわけ1989年の国内社会事情を振り返ってみよう。1月には昭和天皇が死去し、長く続いた「昭和」が終焉を迎え、続く2月には、戦後ストーリー漫画の創始者でもあった手塚治虫が死去、さらに6月には、昭和を代表する歌手・美空ひばりが死去するなど、この年は、特に戦後の国内文化が大きな節目を迎える転換期となった。また、ほぼ同時期に、日本を震撼させる特異な犯罪が起こった。猟奇的な連続幼女誘拐事件、いわゆる「宮崎事件」である。本事件のインパクトは、趣味で収集したビデオテープに埋め尽くされた犯人の部屋の光景[図版1]など、メディアの過熱報道ともあいまって、オーバーグラウンドのコンテンツ文化のみを享受する一般の人々に、負のイメージを伴った「オタク」の存在を強制的に認識させることになった。また、オタクの存在が一般的に認知されるにともない、彼らが集うコミックマーケットにおいて実践されつづけてきたコンテンツ作品に対する「パロディ」手法が一般にも浸透していくことになる。つまりは、アンダーグラウンドで練り上げられた同人誌・同人アニメ的な手法が、オーバーグラウンドのコンテンツ作品にも影響を与える土台を一般社会に築いたということであり、80年代に蓄積された「裏」コンテンツが一挙に「表」に噴出し、一般文化のムーブメントとしてのコンテンツ「再構成」の時代が到来する前兆となったのである。これは一般社会と、コミックマーケットに代表されるオタク文化とが初めて正面からぶつかりあったということであり、オタク文化が一般社会における規範や規制にさらされる第1歩でもあった。
それはまた90年代以降のコミックマーケットにも、直接的、間接的に大きな影響を及ぼすことになる。
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図版1
連続幼女誘拐事件の犯人・宮崎勤の自室。
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