石立善氏の逝去を悼む


2019年12月18日未明、上海師範大学哲学系教授、石立善氏が逝去されました。46歳(中国の数え方では47歳)の若さです。

石氏は、1990年代の終わり頃、関西学院大学に留学なさっており、私が初めてお目にかかったのは2001年のことであったと思います。当時、私は京都大学人文科学研究所にて助手をしており、台北での留学から帰って来た時期でした。関学では実学的なことを学ばれたようでしたが、京都大学の大学院に進学なさってからは、中国古典の学習に大いなる熱意を持って臨んでいらしたことを覚えています。三歳年下のこの友人を私はずっと尊重してきました。

京都大学大学院の中国哲学史研究室においては、朱子学の研究に熱心に取り組まれ、着実に読書の力を鍛錬され、後輩たちを叱咤激励し、研究室をまとめるよき先輩でした。私の弟もその頃、この研究室で学んでおり、残念がながら二年前の春に他界しましたが、その弟も常々石氏に感謝と尊敬の念を口にしておりました。

学問に対しては常に真摯で、他者への評価も非常に厳しく、どんな大学者を相手にしても批判の手を緩めませんでした。「日本の学者はまともに本を読めていない」とか、「誰も彼もいい加減すぎる」とか。耳の痛いその批判には、確かに当たっているところがありました。彼の言葉は、いまも重く耳に残っており、それが戒めにも励みにもなっています。

2010年には学位論文「「朱子語録」と「朱子語類」の研究」によって、京都大学から博士(文学)の学位を授与され、その後帰国されて翌年には上海師範大学の教授に就任されました。若くして正教授となったことは、大きな圧力のかかることであったのかも知れません。帰国後は精力的に学術活動に参加し、多くの編著を世に問い、私も何度も各種のシンポジウムで同席しました。そのたびに、夜は遅くまで宿泊先の部屋で二人して話し込み、いまの研究状況や将来の計画について語り合いました。

中でも印象深いのが、2018年3月に石氏が杭州の西湖湖畔龍井にて開催した「第一届漢唐注疏思想沙龍」です。参加者はわずか八名ですが、私以外はみな深い学殖を備えた研究者であり、各人の研究発表に対し、じっくりと時間を傾けて全員で入念な検討を加えるもので、大いに裨益を受けました。春の西湖のくつろいだ雰囲気と石氏の歓待ぶりが忘れられません。

訃報は南京大学教授の童嶺氏よりその日のうちに受けとりました。その数日前に童氏が京都大学に訪問なさっており、その際に石氏の体調が思わしくないむね聞いておりました。心配はしていましたが、これほど重大な病状とは想像さえしていませんでした。悲しみにくれるばかりです。

石氏は卓越した読書力を持つ極めて優れた文献学者でした。あれほど熱意を注いで本を読む人はなかなかいるものではありません。貴重な読書の人が、ひとりこの世を去りました。

そして誰しも認めるのがその日本語の能力の高さです。日本と中国の学界の間をつなぐ人材を我々は永遠に失ってしまいました。恐ろしく、悲しいことです。

二年前に弟を亡くした私は、まだその絶望から立ち直っておらず、苦しい日々を過ごしてきました。それだけに自分より少し年下の仕事仲間に対しては特別な思いがあります。特に石氏のことは弟のように思っていました。石氏はそのように思っていなかったはずですが、あるインタビューの中で私のことを「知己」と呼んでくれたのは嬉しいことでした(博報財団『国際日本研究フェローシップニュースレター』第5号、2018年6月)。

その石氏が、これほど早く旅立ってしまうとは。せめて、ご冥福を祈り、ご家族の悲しみに寄り添いたいと思います。

南京会議
2016年、南京大学開催の学会にて、石立善氏とともに

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